【ヒミツの時間】KISSの法則 第1話 きめごと
麻衣ってば、ほんと可愛い。
あたしの自慢の娘なの。
なのに! よりによって、どうして榊なわけ?
あんな血の通わない狼にぺろっといかれたら、どうすんのッ!
【F社 J部S課長 S女史談】
麻衣ちゃん? ああ、あのコ。
香里も榊も、あのコに“めろめろ”だけどさ。
絵に描いたような天然むすめってだけじゃん。
僕なんて、キュートに見えて腹黒。
引き出しがいっぱいで飽きないでしょ?
【F社 E部第2課長 T氏談】
ええ。麻衣は、私の大切な女の子ですよ。
なにしろ、私の理想を結晶化したんですから。
たとえ……エゴと指差されようとも、ね。
【?????談】
KISSの法則・プロローグ
――麻衣!――
――はい――
大切なあの人から、私へ
そして、もうひとつ……
ゆっくりだけど、まっすぐに
私たちの“永遠”に一歩一歩近づきたい
KISSの法則を胸に抱いて
KISSの法則・きめごと
「帰るぞ、麻衣」
耳にかかる声が擽ったくて、体が跳ねる。
店内がざわざわしているから、仕方ないけど。
でも。近すぎますよ、榊課長。
告白されて、頷いて。
それだけでもう、人生初の舞い上がる大事件なのに。
香里さんに連れられて来たダイニングバー。
榊課長の隣に座る、私。
いろんなことが起こりすぎて。
夢……見てるみたい。
ずうっと話し込んでいる香里さんと高橋課長。
お先に失礼します、と。
声を掛けようとしたら、榊課長に止められた。
「黙って帰ろう。アイツらめんどくさい」
「いいんですか?」と見上げれば、大きく頷く。
背中にそっとまわされた手に、どぎまぎしながら立ち上がって。
振り向くと、香里さんにウインクを返された。
首だけでぴょこぴょこお辞儀をしながら、連れ出される。
「あー。あのさ」
個室を出たところで、言いづらそうに天を仰ぐ榊課長。
「ト、じゃなくて。
んー、化粧室は?」
「あ、行ってきます」
返事をしてから、トイレって言おうとしたんだと気づく。
むう。なんだか、コドモ扱いされてる。
でも。
レストルームのミラーに映る私は、どう見ても幼くて。
今夜は香里さんと一緒だったから何も言われなかったけれど。
一人でこのダイニングバーに来たら、年齢確認されちゃうかも。
オトナの彼と、コドモの私。
釣り合うには、どうしたらいいんだろ。
俯きながら榊課長の元に戻ると、ちょうどお会計を済ませていたところで。
「あ、すみませんっ。お会計」
そういえば、伝票が行ったり来たりしてたっけ。
「やべ、見つかったか。
会計は見えないとこでさりげなく済ませるのがマナーだ、って高橋に言われてたんだけど」
あ。だから、化粧室って言ったのかも。
すぐ立ち直る楽天的な私。
「見つかったら仕方ないな。
こういう時、奢られた方はなんて言うか知ってる?」
少し考えて。
お兄ちゃんとの外食を思い浮かべる。
「ごちそうさまでした! ……です」
満足そうに目を細めた榊課長は、私の頭に手を乗せて。
「今度は二人で来ような」と私の瞳を覗きこむ。
外に出ると、もう真っ暗で。
5月の風は、まだ少しだけ肌寒い。
「麻衣、酒飲んだ?」
いいえ、とかぶりを振る。
「お酒、まだちゃんと飲んだことないんです。
未成年から卒業できた程度なので」
「ふぅん……」
榊課長は意味ありげに呟いて。
「じゃ、約束しろ。
酒、飲むときはオレと一緒の時、な」
はい? ……はい。
意味が掴めず、顔を見上げる。
「酒、弱いかもしれないだろ。
酔っぱらったら、合気道も使えないだろうし」
「あ、はい」と頷く。
でも酔拳はお酒飲んだ方が強いんですよ、という言葉は胸にしまった。
「心配してるんだよ、オレは。
その……麻衣が、大切だから」
怒ったような声音で、耳元で低く囁かれる。
「……ごめんなさい。約束、します」
何で謝る? と、訊かれたから。
怒ってるから……、って答えたら。
「怒ってないぞ。
こういうの慣れてなくて、照れてるだけだ」
「時間はまだいいか?」と訊かれて、頷くと。
「ちょっと話そう」とカフェへ。
榊課長はブラック、私はラテ。
やっぱり、オトナとコドモ。
「オレ、オンナ苦手だし、口下手だし。
麻衣は言葉にしないと、誤解しそうだし」
だからさ、と。真剣なまなざし。
「お互いに、思ったことは言葉にすること」
はい、と頷きながら、“2つめの約束”と心に留める。
「だから。
不安に思ったり、わからなくなったりしたら……
まず、オレに訊いて。
新堂じゃないぞ、オレに訊くんだからな」
念押しされて。
目を見て、はい、と返事をする。
……。
……?
え、あ。……沈黙。
榊課長はじぃっと私を見ているし。
沈黙、怖い。苦手。
耐えきれず目を逸らす私に、低い声。
「……で?
訊きたいこと、ないのか」
うーん、と。考えて。
「あ、お誕生日、いつですか?」
そう絞り出したら、吹き出す彼。
「さっきの。
新堂がおしぼり取って来いって、麻衣に席を外させてた間の話とか、さ」
そう言われて、思い出す。
「高橋課長が説明してくれました。
えっと、仕事のことで香里さんが榊課長にもの申す……みたいな。
香里さんが鬼みたいになっちゃうから、部外者は避難するんだって」
そう答えると、榊課長は苦笑をもらして。
「新堂は確かに鬼みたいだったけど、話の内容は違うぞ」
香里さんと榊課長って、仲がいいのか悪いのか……よくわからない。
「社内恋愛は要らぬトラブルのもとだから、隠せってさ。
オレはオープンにしたかったけど、そうすることに決めた。
……麻衣が大切だからな」
また。頬が火照る。
ストレートすぎて返事ができない。
2つ目の約束に則った言葉なのだとしたら、余計に。
「だから、さ。社内では“立花”って呼ぶ」
小さく頷く。
立花、は少し淋しい気がするけれど、仕方ない。
「じゃあ、私は“榊課長”で」
「会社の中だけな。二人の時は名前でいい」
えっ? いや、それは。
拓真さん、なんて。……呼べない。
ふるふると首を揺らすと、口角を上げて意地悪な笑み。
「抜き打ちテストの意味は、わかったのか?」
うーん、と。首をかしげる。
「高橋課長が言うには……。
2問目がわかってたら逆に不合格だったんだよって」
それも、ダイニングバーで席をはずしたときに教えてくれた。
香里さんのカレシだからですか? と高橋課長に訊いたら。
さ~ね、ってウインクを返された。
「じゃさ、どうしてオレの名前”だけ”知ってた?」
榊課長の質問に、どうして……かな、と呟く。
「企画の神さまで。
バックの左手……を教えてくれた、から?」
「え、あの後か?」
気まずそうに耳の後ろを掻いて。
「んー、そっか。
あれの後なら……
ちょい微妙な線だな」
難しい顔でうむうむ頷くから、不安になる。
そう。
思ったことは、言葉にしなきゃ。
「……憧れてる人から、きゅってされて」
目を瞠る、榊課長。
はずかしいけど訂正しない。ほんとに憧れてたもん。
「きっと。
私が無知だから、からかわれてるだけ、って。
仕事が手に付かなくなったら困るから、もう、考えないことにしたんです」
「からかったわけじゃない……」と。
苦しそうに呟く、憧れの人。
「でも、やっぱりずっと気になってて。
名簿を打ち込みながら、名前を無意識にチェックしてました」
「……ふーん」
苦しそうだった顔が、嬉しそうに綻んだから。
少しホッとしてるのに。
「麻衣って呼び方とか使い分けができないんだろ。
不器用そうだもんな」
失礼な。
「ずっと、オレのこと。
見つけられなかっただろ?」
どうして、それを。
見上げる私を横目でちらり。満足そうに微笑んで。
「オレはそれくらい前から、知ってた。
知ってたっていうか、ずっと見てたし……
気になってた」
あ。え。だって、それって。
ぱくぱくする私の唇をじっと見つめて。
「なにも訊くな」と、首を横に振る榊課長。
「ま、名前で呼ぶのはリスクが高すぎるよな。
オープンにできるまで、“榊課長”でいい」
「新堂の言う通りにするのは癪だけど……
できる限りヒミツにする。
隠しきれなくなったら、思いっきりオープンにするけど」
「はいぃ……」
語尾が不安げに伸びた。
ん? と。眉を上げる榊課長。
「“思いっきり”オープンというのがひっかかりました」
素直に申告すると。
「ああ、そこか。
それは……時期尚早だから。
そのうち、ちゃんと時が来たら話す」
なぜか、顔を紅くして答えてくれた。
「そんで、企画に。
企画っていうか、企画“3課”に欲しいって前から申し入れてたんだけど。
ヒミツにするには3課じゃまずいって話になって。
企画なら1課配属だって、新堂が譲らないから……」
「1課じゃ、ダメなんですか?」
私の素朴な疑問に、榊課長は恨めしそうな表情。
「いや、だからさ。
企画1課じゃ耐えられないの、オレが。
1課はオトコの比率高いから……
その、つまり…妬いちゃうってこと!」
えっ? と。思わず声がもれた。
妬いちゃうの?
こんな、コドモに?
嬉しいような、はずかしいような
申し訳ないような、擽ったいような……
ヘンな、気持ち。
「新堂のヤツ、急に『麻衣をシンジョの後継者にする』って言い出して。
んで、高橋が『結婚』って騒ぎ出して」
結婚……。
やっぱり。あの時、話題に出てたよね。
私、ヘンなこと言っちゃったと思って、すごく焦ったけど。
「と、いうことは。
私がシンジョに残らないと、香里さん達は結婚できないって……こと、ですか?」
んー、と。難しそうな顔で唸る榊課長。
「あれはまぁ、一種の脅しみたいなものだ。
結婚なんてな。したきゃ、いつだってできる」
でもな、と。困った顔で呟いて。
「オレもごねてはみたものの。
やっぱ、シンジョが一番安心できると思って。
新堂なら、麻衣のこと預けられるし……」
そこで、ひとつ咳ばらい。
「オレも初めて気づいたんだけどさ」と。
また天を仰いで。
「思った以上に嫉妬深いらしいんだよな、オレ」
嬉しい、けど。
ちょっと、引っかかる。
「はい」
意見したくて、小さく挙手。
ん? と。榊課長は驚いた視線。
「ちょっと、過保護だと思います!」
わ、想定してたより大きな声が出ちゃった。
「私、どこの部署に行っても、榊課長に妬かれるようなこと、絶対しません。
て、いうより。できません。
だって……」
言葉がうまく出てこない。
「だって。榊課長のこと、もっと知りたいし」
声が震える。
「たい……大切、だから」
最初の勢いはどこへ行ったのか。
語尾なんて掠れて消えてしまいそう。