のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】 KISSの法則 第42話 和睦と好転の兆し

 

「……すまない」 耳に届いた小さな謝罪。
それだけで、大きく前進した気がする。

 

 

 

 

【ヒミツの時間】 KISSの法則 第42話 和睦と好転の兆し

 

KISSの法則・小さな謝罪

 

「とりあえず」

私を抱きよせたまま、冷たく言い放つ榊課長。

「この部屋から出ていけ。

 ここはオレの部屋だ」

あ。ここ。榊課長のお部屋。

主が不在だから、ひっそりとして。

家具にほこりよけの白い布が掛けられている。

「……すまない」

彼が背後を通る瞬間、耳に届いた小さな謝罪。

もう、それだけで……大きく前進した気がする。

ぱたん、と。

扉が閉まると、張りつめていた気持ちがぷつんと切れて。

足ががくがく、ふるえ出す。

こうなることを知っていて、榊課長は人ばらいをしてくれたようで。

驚いた様子もなく、抱きかかえてくれた。

 

 

 

「ばか。ひとりで頑張りすぎ。

 窓も割らないし。

 ここじゃ、投げつけるものもなかっただろうけど」

抱きかかえたまま、ベッドに移動。

白い布をはぎ取って、優しく横たわらせてくれた。

「窓は……」

振り絞ったつもりが、のどに絡みついてひどく嗄れる。

「水をもらってくる」

立ち上がり掛ける榊課長の手を握って。

「ここに投げられるものがあっても、窓は割らなかった」

私の言葉に目を瞠る、榊課長。

「窓を割れば、騒ぎになります。

 拓真さんのお父様にも知られてしまうでしょ?

 無関係な人なら、窓も割るし、投げ飛ばすけど……」

じっと見つめ合って。

「あの人とは、いずれ家族になるから」

 

 

 

「静香さんも、お父様も、そうです。

 家族になる人たちを、悲しませたくなかったの。

 問題を起こさなくても、ひっそり修正できるなら、そうしたかった。

 家族なら、許し合えるはず、でしょ?」

「麻衣……」

榊課長……拓真さんは掠れた声で。

「拓真さんも、お兄ちゃんに向き合ってくれた。

 私、すごく嬉しくて。拓真さんはすごいって感動したの。

 だけど、それって。

 自然なことなんだって、わかった」

自分がそういう立場になって、初めて気づいた。

愛するって、その人と同じ目線で同じ方向を想うこと。

 

 

 

だから。

心の中の呼び名も、榊課長から拓真さんに変えられる。

今までは、ずっと怖くて。

会社でぽろっと間違えちゃうんじゃないかなんて思っていたけれど……。

それって、うわべだけで呼んでいるから。

心から想っていれば、自然とチェンジできるはず。

オフィシャルとプライベートは、周りが決めるんじゃなくて。

自分の心が決めること。

思っていたことを伝えられて、ほっとしたからか……

急に咳き込んだ。

やっぱりちょっと、のどがかさついてる。

お水、もらおうかな。

でも、たぶん。階下では二人が今までの溝を埋めている、はず。

お邪魔はしたくないし。

その時、こんこん、と控えめなノックの音。

眉を上げる、拓真さん。

 

 

 

音もなく立ち上がった拓真さんは、扉の前で立ち止まり。

「誰だ」

鋭いひと声。

笑ったら怒られそうだけど、ヒットマンみたいで……。

少し言葉を交わして、薄く扉を開くと。

「とりあえず。水を持ってきてくれ。

 話は聞くから」

そう言って、また扉を閉めた。

「麻衣。ちょっと身体、起こせるか?

 さっき、麻衣の居場所を教えてくれた男が『謝りたい』って。

 そういう無防備な姿は、誰にも見せたくない」

あ。

“身体を起こせるか”は、お水を飲むからだと思ってたら。

“誰にも見せたくない”なんて。

頬が熱くなる。

 

 

 

「あの男。

 オレが玄関に入ったらすぐに鍵を渡して、場所を教えてくれた。

 どうしてだ?」

身体を起こしてくれながら、訊かれて。

ちょっと、びくびくしながら打ち明ける。

「取引をしました。

 罪悪感でいっぱいだったから、それをちょっと利用して。

『おとなしくついていく代わりに、私の居場所を拓真さんに知らせてください』

『雇い主が事件を起こせば、あなたも困るでしょ?』って言って」

はあ、と大きなため息。

怒られる、と首をすくめる私の頭を優しく撫でて。

「ドアインザフェイス、譲歩的要請法か……。

 最初に“行きたくない”って言って、断わらせて。

 拒否した相手に罪悪感を抱かせて、小さな要請をのませるヤツ」

あ。そういう名前なんだっけ。

 

 

 

「勉強熱心なのはいいことだし。

 行動心理学に興味を持ってくれるのは、嬉しい。

 今回は結果オーライだったしな。

 でも、過信するな。

 ビジネスなら取り返しもつくけど、身の危険が迫ってるときは両刃の剣(もろはのつるぎ)だ」

相手だけじゃなくて、自分も傷つくかも……ってこと。

確かに。

あの男性が捻じ曲がった人なら、私の約束なんて反故(ほご)にする。

居場所を教えてくれるはずと、安心していたから、弟さんにあんな啖呵が切れたわけで。

一歩間違えたら、今この腕の中にはいなかったかも……。

 

 

 

KISSの法則・コトの経緯

 

男性が持ってきてくれたペットボトルのお水を飲んで、ほっと息をついたとたん。

「申し訳ありませんでしたっ」

直立不動の姿勢から、勢いよく頭を下げて謝罪されて。

「話は聞いた。

 ありがとう、すぐに居場所を教えてくれて」

拓真さんの言葉に、こわばった顔を少しだけ緩ませる男性。

「カズと静香は?」

「下で話し込んでいます。

 おそらく、良い方向に向かっているんでしょう」

ほっとした。

でも。もう一つの心配が。

 

 

 

「親父は?」

それが心配で。

事故が嘘なら、どこにいらっしゃるのか……。

固唾をのんで見つめたら、男性はバツが悪そうな顔をして。

「内緒で釣りに行っています。

 和真さんの提案で、すべて私が内密に手配をしました。

 おふたりがこちらにご挨拶にいらっしゃることも、ご存じではなくて……」

あ? あうぅ。

釣り、ですか。……内緒で?

「静香、さんが、世話好きなんだよ。

 悪気がないだけに厄介で。

 “釣りに行く”って言うと、山のような荷物持たされる。

 お弁当は食べきれないし、けど残すと悪いし、って。

 オトコは手ぶらで出かけたいもんなのに」

そういうものなんだ。

 

 

 

「このお部屋に、お連れするつもりはなかったんです。

 拓真さんが席を外したら、和真さんが客間に降りる予定で。

 盗聴、と言えば大げさですが……

 通話状態にした私の携帯が、客間には置いてありました」

そう、だったんだ……。

「ああ、知ってた。

 客間のソファーテーブルの下に見えて。

 だから、事故の電話にも動揺しなかったんだ。

 2番目の上座はオレが座るもんだから。

 座ると見えるように、置いてくれたんだろ?」

はい、と小さく頷く男性。

「和真さんは有能かつ有望な法律家です。

ただ一点、若奥さんのことになると感情が乱れてしまう」

大きなため息をついて、遠くに視線を向ける男性。

 

 

 

『残るように』と拓真さんが言ったのに、若奥さんは『ついていく』と。

 それで、我を忘れるほど激昂して。

『フィアンセを連れてこい。

 同じ部屋に籠って、どんな気持ちか思い知らせてやる』と。

 そう喚きながらも、拓真さんの部屋を指定したものですから……

 混乱しているのか、冷静なのか、計りかねました」

稚拙な企てが起こす結果を、考える余裕すらなくて。

静香さんが傷つくことに、思い至らないほど取り乱して。

「確かにな。オレの部屋なら、真っ先には思いつかない」

時間稼ぎのできる部屋、しかも拓真さんの自室。

拓真さんに一番ダメージを与えられる部屋を、瞬時に選ぶ狡猾さ。

 

 

 

「立花さんに危害を加えることはない、と確信していました。

 和真さんは、若奥さん以外の女性にふれるのを極端に嫌いますから。

 あの時は、度胸の据わった方だと感服しましたが、本当は怖かったのでしょう……」

「はいぃ」

見抜かれていたことにはずかしくなって、小さく返事をする。

「お二人には、不快な思いをさせてしまいました。

 そして、私がそれに加担したことも事実です。

 本当に申し訳ありませんでした」

深々と頭を下げる男性を、拓真さんは手で軽く制して。

「いや。いずれこういう日を迎えなきゃ、進めなかったんだ。

 あなたの配慮と機転のおかげで、被害が最小限にすんだ。

 感謝しています。

 逆に、兄弟のいざこざに巻き込んですまなかった」

この男性も被害者で。

きちんと解決してこなかった代償は、無関係だった人にまで大きなひずみを及ぼす。

 

 

 

KISSの法則・向かい合う勇気

 

「もう少し休んだら、なにも言わずに帰る。

 後は、カズ次第だ。

 コンタクトがあれば、対応する。

 拒絶するなら……

 もう、二度と関わらない」

厳しい横顔に、たじろぐ。

理不尽な仕打ちに耐えて、今回のことで爆発したのだとしても……

このままじゃ、しこりが残る。

「待って、拓真さんっ」

袖をくいっと引っ張る。

「私の生意気な言葉に、弟さんは一言も反論しなかったの。

 自分に意見する人間がいるなんて、って。

 呆然として、どうしていいのか戸惑ってる感じだった」

仕事柄、……たとえば検察側と弁護側でお互いの主張をぶつけることはあっても。

それって論点がはっきりしていて、ある程度予想できる。

そして、なによりも。

ビジネスで、勝敗で、ひとごとで。

 

 

 

「想像ですけど……

 ずっと今まで、誰にも。

 プライベートで意見されたことがないんじゃない?」

声高に持論を展開する弟さん、呆れた顔で受け流す拓真さん。

ずっと、そうやって兄弟は過ごしてきたはず。

そして。

ご両親も、静香さんも。

きっと、ここにいる男性をはじめ、法律事務所の誰も。

策略家で弁の立つ弟さんに、間違っていることを指摘できず放置してしまった。

「拓真さん。

 突き放さないで、向き合ってみましょう。

 それでも、響かないなら……仕方がありません、けど」

私の言葉に、小さくため息をつく拓真さん。

言葉が過ぎた、と俯いた。

「悪いけど……」

静かに呟く拓真さん。

ご家族のことに、踏み込みすぎた。

弟さんとは、今日初めて会ったのに。

また、思い込みで突っ走っちゃった。

 

 

 

「『話がある』って、カズに伝えてくれるか?」

意外な言葉に驚いて。

顔を上げて、拓真さんの目線を追ったら……笑顔で頷く男性の姿。

閉まった扉、階下に消える足音。

「拓真さんっ、ありが、とっ」

きゅっと抱きしめられて。言葉の最後は胸の中。

「それ、オレの台詞。

 麻衣の言う通りだ。ずっとめんどくさくて、ほっといた。

 せっかく、ここまで漕ぎつけたんだからな。

 説得しようなんて、気負う必要もない。

 言いたいこと言って、すっきりして帰ろう」

沈痛だった面もちが、すっかり晴れて。

嬉しくなる。

 

 

 

「場合によっちゃ」と、いたずらな笑顔。

「殴るかもしれないけど、いいか?」

それは……。

言葉に詰まって、考えて。

「平手で一発までなら、大丈夫です」

二人で同時に吹きだして、声を立てて笑う。

笑い声がおさまると、真顔になって……

ちゅっ、と、キス。

「ここオレの部屋だし、ベッドだし。

 やばいんだけど」

そう言いながら、何度もキス。

背中と腰に拓真さんの腕が絡みつく。

自然に拓真さんの首に腕を回して。

いつもよりもぴったりひっついて、吐息がもれるほど……

くらくら、してくる。

「マジで……やばいって。

 そんな顔すんな」

苦しそうな顔で、ゆっくり離れて。深呼吸。

 

 

 

KISSの法則・兄の言葉

 

「さて。降りて、ガツンとかますぞ」

立ち上がって私を見下ろした拓真さんは、ぎょっとした顔に。

なに。どうしたの? 

無言のまま、頬に伸びる手。

いえ、もう、下に行きましょうよ。

戸惑う私のほっぺを、むにっとつまんで横に引っ張る拓真さん。

「いひゃい、ってば!」

なんなの、もう。

むくれたくても、できないくらいじんじんして……

「とろけそうな顔のまんま、下に連れていけないだろうが」

あ。はい。

……すみません。

って。とろけさせたのは自分のクセにっ。

階段を下りると、静香さん。

そして、きまり悪そうに佇む弟さん。

「どうぞこちらへ」

客間へ通そうとする静香さんを、手を振って制する拓真さん。

「いや、いい。ここで」

 

 

 

「カズ」

怒気を孕んだ、低い声。

弾かれたように顔を上げる、弟さん。

「オレたちは、上っ面だけの謝罪なら要らない。

 だから今日は帰る。

 麻衣がお前に言ったことは、足立さんから聞いたことだ」

「足立……」と怪訝そうに呟いて。

「匠さんか」と顔を上げる弟さん。

「その時、足立さんが言ってた。

『和真は拓真に殴られたかったんだろう』って」

顔を上げ真っ直ぐに拓真さんを見た弟さんは、眉をへの字に下げて。

「だから。

 オレはお前を殴ったりしない。

 殴るほうだって痛いだろ。

 今のお前には、その価値もないから」

その価値もないって……辛辣な言葉。

でもその通りで。

このままじゃ、無意味で無価値。

 

 

 

「いいか。

 この先ずっと一緒に歩んでいく、お前とお前の嫁さんでちゃんと解決しろ。

 オレたちを巻き込むな」

黙ったまま、小さく頷く弟さん。

「オレはお前じゃない。

 お前はカズで、オレの“弟”だ。

 “弟”が不服なら、法律改正でも絶縁でもなんでもしろよ。

 誰かのせいにして、妬みや恨みを撒き散らすな。

 今回のことも含めて、全部、綺麗にケリをつけられたら……

 殴ってやってもいいぞ」

何も言い返せない、弟さん。

だけど、俯かずに顔を上げてじっと聞き入っている。

どうか、心に届きますように。

 

 

 

「言いたいことはそれだけ。

 じゃーな」

拓真さんはにっこり笑って、手を挙げた。

「おじゃましました。

 また、改めてご挨拶に伺います」

ぺこりとお辞儀をしたら、静香さんに両手を握られて。

「ごめんね。

 それと、本当にありがとう」

泣きそうな顔の静香さんに、笑って欲しくて。

「今度、女子トークしましょう。

 私。静香さんとお話がしたいの。

 聞きたいことも、教えていただきたいことも、たくさんあるんです」

目を瞠って、嬉しそうににっこりほほ笑む静香さん。

 

 

 

「オレも混ぜろよ」

首を突っ込む拓真さん。

「女装したら、混ぜてあげますよ」

つんと澄まして言ったら、「ほんとだな?」と凄まれて。

想像して、呆気にとられて……爆笑して。

弟さんも、ほんの少しだけ笑みを浮かべていた。

ネガティブな感情を持っていたら、得られないもの。

楽しそうだな、って思ってくれて。

少しでも、変わろうとしてくれたらいいな。

 

 

 

KISSの法則・せめてもの抵抗

 

玄関を出たら、綺麗な夕焼け。

ゲートまでの長い道を、手をつないでゆっくり歩く。

今日、ここに来て、ほんとによかった。

勇気を出して、弟さんの手に乗ってみたことも。

きっと。いい方向に動いてくれる、はず。

綺麗な夕焼けがその証拠、なんてね。

「で?」

前を向いたまま、何かを訊いているらしい拓真さん。

「で? 

 ……って、なぁに?」

わかんないから訊きかえしてるのに。

ちらりとこっちを見て、ちっと舌打ち。

「カズに会って、どうだったんだよ」

あ。恋愛遺伝子の話。

「明日。日曜のご予定は?」

ちょっとムカつくから、焦らしちゃおっと。

ほっぺもまだ痛いし、ね。

 

 

 

「ぁあ?」

睨んで威嚇。

でも、前ほど怖くない。

私だって、日々成長してるんだから。

「明日のご予定は? って、聞いたの」

今日は、負けないもん。

「……足立さんとこで今日の反省会、の予定だけど」

拓真さんの小さな声に、自信がむくむく。

よし。全然、負ける気がしない。

「では。そこで、ご報告させていただきます」

ぷんと、そっぽを向く。

「じゃ。公園は。よってくだろ?」

つないだ手を、くいっと引っ張って。

向かい合って顔を覗きこむ拓真さん。

視線が絡まって、ぴくんっと肩が揺れる。

 

 

 

「もう、充電したし。

 自分がとろんってさせたクセに、ほっぺつねるから……いや。

 それにっ。

 恋愛遺伝子のレポート、まとめなきゃ」

頑張ったけど。

やっぱり、顔を見ちゃうとだめ。

「なんだ? やけに反抗的だな」

恋愛遺伝子なんて関係なくて。

拓真さんだけに反応する。

「もうこれ以上はムリ、です。

 “マンションに連れてって”、なんて口走って……

 拓真さんを困らせちゃうから」

さっきのキス。

あれでもう、完全に火がついちゃって。

強気で突っぱねれば、頑張れると思ったんだけどな……

早く家に帰ってクールダウンしなきゃ。