のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】第11話 課長のヒミツ⑤ 恋の行方

 

伝わった想いを育てるには我慢も必要。
―オレと麻衣のために―
―そのあとに続く、“永遠”のために―

 

 

【ヒミツの時間】第11話 課長のヒミツ⑤ 恋の行方

 

課長のヒミツ・却下の贖罪

 

名残惜しそうに階段を降りる麻衣を見送って、5分。

そろそろオレも戻るかな、と階段に向かったら。

「よ、榊くん。無事でなにより」

背後から悪魔の声。

どっから湧いた、悪霊退散! の勢いで振り返ると、思った通りの高橋。

その背中から、ぴょこんと顔を出す新堂。

「投げ飛ばされて、動けないかと思ってさ」

知って、たのか。合気道のこと。

まさか、聞いてたのかっ!?

「い、いぃぃぃい、いつから。

 ここにいたんだよっ?」

「今。

 麻衣ちゃんが降りてきたから、あっちの階段からそうっと来たんだよ」

自慢げに胸を張る高橋。

 

 

 

「な~んか、嬉しそうだね」

にやにや笑う高橋と、仏頂面の新堂。

なんだよ、その温度差。

「新堂。明日から麻衣を企画にくれ」

邪魔が入らないうちに、確約を取り付けたい。

「却下。

 麻衣は少なくとも9月30日まではシンジョ所属よ」

却下……言われるほうは案外堪えるな。

「だけど、早く決まって出るヤツもいるんだろ?」

必死で喰い下がる。

もう、手遅れなんだよ、新堂。

走り出したら停まれない。

諦めるなんてできない。

「榊の性根が直らなきゃ、麻衣は渡さない」

なんだよ性根って。

さっきので、解決したんじゃねーのか。

 

 

 

「榊。

 あんた、あたしの可愛いシンジョのコを何回“却下”したのか分かってんの?」

腕を組んできぃっと睨み上げる、シンジョの鬼。

あ。それ、か。

「あたしだって、あんたの依頼なんか受けたくないわよ。

 でもね、忙しいあんたに信頼できるアシスタントがいれば、もっといい企画がたくさん生まれるって」

声を詰まらせる新堂。

「……そう、信じてたから。

 だから、トップのコにやらせたのよ。

 それを。なによ」

悔しそうに顔を歪めて。

そこでやっと気づく。

新堂を傷つけたことに。

「榊はあたしを騙したのよ。

 そんなヤツに麻衣を渡せない。

 ……絶対、渡さない」

きぃっと睨む新堂の背後、手を合わせて謝るジェスチャーの高橋が見えた。

 

 

 

「榊は結局、ただ麻衣を誑(たぶら)かしただけじゃない」

なじる新堂。

新堂の背を撫でる高橋。

じっと聞き入るオレ。

「あんな初心なコ。

 ハグなんかしたら、意識するでしょ?

 麻衣はね、それを恋だと勘違いしてるだけよ」

……勘違い。

今はまだ、そうかもしれない。

だったら本物にすればいいだけだ。

オレのポジティブ思考、なめんなよ。

激しく威嚇。

……心の中だけで。

 

 

 

「でもさ。

 麻衣ちゃんは榊を投げ飛ばさなかったよ、香里」

静かに諭す高橋に。

「そんなの……」と言葉に詰まる新堂。

「とにかく、却下よ。

配属先の決定権は、このあたしにあるんだから」

「香里ってば、暴君~」

へらへら笑う高橋をきぃっと睨んで。

「あたし、麻衣と約束あるから。

 ……帰るっ!!!」

踵を返した新堂は、どすどす音を鳴らして階段を降りていった。

 

 

 

「麻衣ちゃんが心配なんだよ、香里は」

ポンとオレの肩に手を置く、高橋。

「今までの榊って、冷酷非道の権化だったからさ」

反論は……できない。

「入社してから、何十人も切り捨ててるだろ?

 僕の知ってる限りでさ」

高橋が知ってる以上のことは、ないと思うけど。

それに大袈裟なんだよ、何十人もいないだろ。

 

 

 

「すっげ~勢いでぎろって睨んで。

『迷惑だ』とか言ってたじゃん。

 あれ、相手は堪えるよ」

心底同情した声を出す。

「告白って勇気がいるんだぞ、知ってた?」

「最近、知った」と答えるオレに目を見開く高橋。

なんだ、その反応。

「その顔、やめて。こっちが照れる」

オレに照れるな。

「僕はさ、榊に変わって欲しかったんだよね。

 誰も信じない、傷ついた狼みたいだったから」

自分の力量以上の評価に、委縮して。

弱気を悟られないよう、虚勢を張って。

その実、劣等感の塊だった。

 

 

 

「麻衣ちゃんなら。

 榊を包んで、ほどかせてくれそうな気がしたんだ。

 初めて麻衣ちゃんを目にした榊の顔ったら」

くすくす笑って。

「口開けて、見惚れてた。

 僕がヒくくらいにね」

再度思う。

反論は……できない、と。

「で、さ。ごめんね。

 ちょっと、その。

 ぽろっと零したら、香里、激怒しちゃってさ」

あ?

「却下、の件。

 依頼なんて形だけだって……つい」

それで、か。

黙り込むオレに「怒ってる?」と訊く高橋。

「怒る資格はない。ホントのことだ」

 

 

 

課長のヒミツ・抜打ちテスト

 

なぜか、肩を並べて5階に戻る、オレと高橋。

麻衣と一緒に5階に戻ろうと目論んでいたのは、ほんの30分ほど前のこと。

想いが通じたのに、落胆は隠しきれず。

シンジョの鬼、もとい、シンジョ課長、新堂の権限は絶対で。

オレの下した“却下”の根が深いだけに、とりなすのは不可能。

それどころか、言い訳して媚びへつらうのは、逆に新堂に対して失礼になる気がした。

きっと配属先では波乱が待っている。

そんな不安が拭えない。

アイツ、狙われてたし。

ま、オレもその中の一人だったんだけど。

たまたま、オレの行動心理学が役立っただけで、こうなっただけ。

新堂曰く、恋だと勘違いしてるだけ、らしいし。

……いっそ、公言するってのもあり、かも。

 

 

 

気遣っているのか、空いているオレの隣のデスクで端末に向かう高橋。

そこ、麻衣が座る予定だったんだけど。

ふう、と。

ため息をつくと同時に、着信バイブが唸った。

高橋のプライベート用スマホだ。

〈あ、香里? 

 うん、一緒。

 え、今から?

 ちょっと待って、訊いてみる〉

終業時間は過ぎているから、普通に会話している。

新堂か。いいよな、お前らは。

 

 

 

「榊、仕事どのくらいで終わる?」

高橋の質問に、あ? と不機嫌な声が出る。

「香里から呼び出し」

オレに気を遣わなくていーぞ。

「行けよ勝手に」と投げ遣りに言えば。

「香里、麻衣ちゃんと一緒でしょ。

 榊も連れて来いって」

目の前がぱぁっと明るくなる。

「おう、行く。すぐ、片付け……」

言いかけて口を噤む。

にやける高橋、通話中のスマホ。

 

 

 

「……いや、今日は早く上がる予定だったから。

 違うぞ、別に。

 そーじゃ、ねーぞ」

「なにテンパってんだよ」と白けた声。

「テンパってなんかねーよ。

 水曜は原則ノー残業デーだろ」

咳払いして、冷静を装う。

〈すぐ行くってさ。

 うん。榊、浮かれまくり〉

スマホに告げる高橋。

くっそ、遊ばれてる。

 

 

 

向かったのは半個室のダイニングバー。

4人席の向かい合わせに座っている、鬼と天使。

初めて目にする私服姿。

白いレース襟がついたネイビーのニットワンピ。

清楚で可憐な“すみれちゃん”のイメージそのまんまで。

ひきよせられるように、麻衣の隣ににじりよると、襟首を掴まれた。

「麻衣、こっちにおいで。

 男は二人であっち」

なんだよ、それ。

「文句言っても、香里は変わんないよ。

 はい、僕と榊はこっち、ね」

 

 

 

「榊、あたしね~。麻衣から全部聞いたの」

麻衣を見遣ると、紅く染まって俯いていた。

悪い話ではないと推測される反応。

「まあ、付き合うのは……

 そうね、考えてあげてもいいわ」

正直、新堂の許可なんて必要ない。

なのに麻衣ときたら。

嬉しそうに顔を上げて、新堂に笑顔を見せる。

新堂に絶対の信頼を置く姿。それが癪に障る。

だけど。

許可を貰えるのが“嬉しい”のだとすれば……

オレが思っている以上に、麻衣はオレに好意を抱いてるってことだ。

ちょっと。いや、かなり嬉しい。

「それで、仕方ないからテストをしてあげる」

恩着せがましいヤツ。

 

 

 

「麻衣は榊とアド交換してないって。ほんと?」

呆気にとられながらも頷く。

そっか。

付き合うってことは、そういうことをするもんなんだな。

「お。じゃ交換しよう」

スマホを握る手を、ぺしっと新堂に叩かれた。

「カンニング禁止!」

ぎろっと睨む新堂。

「テストの回答者は……麻衣!」

びしっと指を差され、ええっ、と驚く麻衣。

「はい、麻衣。ここで抜打ち小テスト」

新堂の言葉に、ぴんっと背筋を伸ばして。

一心に新堂を見つめる麻衣。

従順な仔犬みたいで……無性に妬ける。

 

 

 

肝心の出題内容は……

「榊のファーストネームを答えよ」

おい、卑怯だぞ。

名乗ってねーの知ってて、そんなテスト。

茶番だ、こんなの。

テストに失敗したら、上司に支配されている麻衣は諦めるだろ。

立ち上がろうとしたオレを、目で制す新堂。

 

 

 

紅く染まる麻衣が、ゆっくり口を開く。

「あの、えと。

 榊、拓真(たくま)、さん……です」

え? は? 

……マジ?

 

 

 

「正解なの?」

高橋に訊く新堂。

お前、答え知らないで出題したのか。

「え~、僕も知らないよ。

 榊は、榊でしょ。

 ファーストネームなんて、あったの?」

あるだろっ!

だけど、なんで。知ってる?

 

 

 

「名刺、見せて」

ドキドキしながら新堂に差し出すと。

面白くなさそうに、「正解」と呟いた。

「オレの名前、知ってたの?」

麻衣は恥ずかしそうに、「はい」と答える。

あー、やべ。なんだ、これ。

嬉しい。

踊りだして―。

「あの、人事部からの社員名簿作成依頼で……」

小さく答える麻衣の横に、閃いた顔の新堂が映った。

 

 

 

「んじゃ、第2問」

もはや、卑劣の域だ。

絶対、オレと同じことを考えているはず。

「高橋のファーストネームは?」

……やっぱり。

高橋のファーストネームも知ってるなら、素晴らしい記憶力の持ち主ってだけのこと。

特別な意味なんて、ない。

 

 

 

困ったように眉をよせる、麻衣。

「不正解だと、許可は取消ですか?」

泣きそうな声。

おい、オレの麻衣だぞ、泣かすな。

睨むオレに、肩を竦める新堂。

そして。

テストの意味を把握していない麻衣。

「……すみません、わかりません」

消え入るような声で、申し訳なさそうに呟いて。

涙目でオレを見る。

――きゅぅぅうん――

なに、この音。

 

 

 

「え~、企画の社員名簿だけ?」

間延びした声で、どうでもよさげに訊く高橋。

「あ、いえ。全社員の名簿です。

 けど、ごめんなさい。わからない、です」

それって、つまり。

オレ“だけ”が特別、みたいな。

小さく肩を窄める麻衣を、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。

 

 

 

「はぁ~。もぉっ!

 麻衣、合格」

ため息まじりの新堂。

「香里、完敗だね~」と茶化す高橋。

2問目が答えられなかった呵責と、それに反する合格の歓喜で泣き笑いの麻衣。

そして、ガッツポーズのオレ。

「僕はね、高橋司(つかさ)。覚えてね」

すかさず、名前を覚えさせようとする高橋。

そんなムダ知識覚えなくていいぞ。

記憶キャパがもったいない。

 

 

 

「よし。じゃ、麻衣は企画で。

 いいな、新堂」

「送ってく、帰るぞ」と。

麻衣に声を掛けると、新堂がストップをかけた。

どーせ、奢れって言うんだろ。

ま、“却下”に関してはオレも反省してるし。

「払っとくから、伝票よこせ」

差し出した手に伝票を乗せた新堂は、無言のまま座るようにジェスチャーした。

 

 

 

「約束だから……

 悔しいけど、交際は認めてあげる。

 でも、配属先の話は別よ」

「んじゃ、この伝票はなんだよ」

「それとも、話は別!

 そんなんで、チャラにできるわけないでしょ」

「麻衣、おしぼり貰ってきてくれる?」と。

麻衣に席を外すよう促す、新堂。

心配そうな表情の麻衣。

安心させるために大きく頷いてみせる。

「僕も一緒に行くよ」と高橋が気を利かせた。

 

 

 

課長のヒミツ・密談

 

二人が席を立つと、新堂はテーブル越しに身を乗り出す。

「あんたね、今まで誰もいらないって言ってたくせに、麻衣をアシスタントにつけたらまずいでしょ」

「まずいって、何がだよ」

訊きかえしたオレに、新堂は呆れ顔を見せて。

「榊にばっさり斬られた女子社員。

 榊のうわべに騙されてる女子社員。

 合わせて何十人いると思うの?」

だから。何十人もいないっつーの。

どうして、そこだけ高橋と一致する?

 

 

 

「今の麻衣は誰かに別れろって言われたら、頷くわよ。

 自分が身を引けば、誰も傷つけないと思ってる」

「オレが傷つくだろ」

だ・か・ら~、と。大きなため息。

「それが分かってないのよ、あのコは。

 恋愛を知らないんだもん。

 人間関係の延長、だと思ってる」

 

 

 

「企画3課に配属されれば、間違いなく麻衣は傷つくわね。

 言っとくけど、合気道は役に立たないわよ。

 フィジカルじゃないの、メンタルを狙ってくるんだから」

「陰湿だな」

ため息が出る。

「榊一人じゃ守れない。

 あたしや司がいても、無理。

 多勢に無勢、だもの。

 怖いのよ、オンナの嫉妬は」

新堂もため息をついて。

 

 

 

「ま、百歩譲ったとして、企画第1課ね」

第1? ふざけんな。

「第1はオトコがいっぱい、いるわよね~。

 毎日、ほかのオトコのために笑顔でくるくる働いて。

 たまにコーヒーなんか淹れちゃって。

 おつかれさまです、なんて言っちゃうのよ」

くうぅと、ほぞをかむオレ。

そんな姿が容易に想像できる。

「ま~ね、麻衣のことだから。

 ついでに榊にもコーヒーくらいは淹れるだろうし、挨拶くらいはするでしょうね。

 でも、あくまでも、ついで。

 所属は企画第1課、よ」

 

 

 

「じゃーさ。

 企画じゃないなら、麻衣をどこへやる気だ?」

「そうね…」

思案顔の新堂。

そこに麻衣と高橋が帰ってきた。

さりげない高橋の誘導で、麻衣はオレの隣へ。

高橋は新堂の隣。

スゲーな、高橋。

猛獣使いのエキスパートだ。

 

 

 

「経理、人事、広報、総務、庶務、資材管理……」

新堂は、指折り挙げる。

「麻衣は、この中ならどこがいい?」

「え? あ、あの……」

戸惑いながら、オレの顔を見上げる麻衣。

……可愛い。

「おかえり」

無性に言いたくて言ってみたら。

「あ、はい。ただいま、です」

紅い顔で答える。

 

 

 

「きもっ! 

 見た、香里。今の榊の顔」

「……見た。

 なんなの、あの蕩けそうな優しい笑顔。

 ひゃ~、虫唾が走るわ」

外野のヤジは、この際ほっといて。

俯く麻衣をじっと堪能する。

紅い耳、つむじの位置、ちらりと覗く首筋。

「こりゃ、香里の意見に僕も賛同だな。

 麻衣ちゃんが企画に行ったら、榊の能率が下がる」

 

 

 

弾かれたように顔を上げる、麻衣。

「そう、なんですか?」

「そうなのよ」と。

大きく頷く新堂に、「そうですか」と再度呟いて。

ちらり、と。

申し訳なさそうにオレを見上げる。

「麻衣のせいじゃない。

 オレの修業が足りないだけ」

 

 

 

課長のヒミツ・思惑

 

「だから、すぐ企画に来いとは言わない。

 けど、9月末までには企画3課の受け入れ態勢を整える」 

「ちょっ、待ってよ」

慌てる新堂。

「榊。あたしの話、聞いてた?」

ああ、と。頷いてみせる。

「それまでに、麻衣に見惚れて仕事が疎かにならないように、慣れていけばいいんだし。

公言すんのがまずいなら、けっ……」

「「却下ッ!」」

すかさず、高橋と新堂の声が重なる。

結婚すればいい、の。“けっ”しか言えなかった。

 

 

 

「僕たちを差し置いて、それはないだろ」

腕を組んで睨む、高橋。

いきなりの険悪ムードに、麻衣は一人おろおろしている。

「じゃ、お前らもそうすればいいじゃねーか」

差し置いて、なんていうならとっとと納まれ。

「な~るほど。そうね、その手があるわ」

ほくそ笑む新堂。

「あ、香里、やっとその気になってくれた?」

喜ぶ高橋。

「順序って大事よね。

そのためにはシンジョの後任が必要なの」

「え、香里、いいの。ホントに?」

「いいから、司は黙ってて」

ぴしゃりと窘められ、しゅんと萎む高橋。

 

 

 

「……僕は、香里と結婚するし」

絞り出すような高橋の宣言。

え? と。素っ頓狂な声を上げる、麻衣。

「あ、え? あの。

 おめでとうございますっ!」

立ち上がり、満面の笑みで祝福。

呆気にとられる高橋。

呆れた顔の新堂が、「麻衣~」とため息をつく。

「えと。あれ? 今、結婚の話でしたっけ? 

 私、配属先の話だと思ってました」

配属先の話だけど。

ま、結婚も絡んでたけどな。

「麻衣は話の流れ、まるっきり理解できてないから。

もう一回仕切りなおして申し込みなさいよ」

オレを睨む新堂。

指図されなくても何回でも申し込むさ。

勢いで言ったと思われちゃ、心外だしな。

 

 

 

的外れな発言だと思い込んで、しょんぼり俯く麻衣。

いや、今のは高橋の不用意な結婚宣言が招いた事故だ。

ぽんぽんと頭を撫で、ついでに胸に抱え込もうとした途端……

「榊ッ!」と、どやされた。

「麻衣を離して。もうほんと、油断も隙もないわ」

ぶつぶつぼやく新堂は、姿勢を正してひとつ咳払い。

「決めたから。

 あたし、麻衣をシンジョの後継者として育てる!」

は? どっからそんな話になった。

やべ、新堂の表情が輝いてる。

 

 

 

「麻衣のスキルとモチベーションの高さからすれば、どこか一か所に配属されるのはもったいないもん。

 だったら、麻衣がシンジョ達に教えればいいのよ。

 そうすれば、いずれ各部署のレベルが上がるじゃない。

 あたしが課長で、麻衣は課長補佐。

 あたしが鞭で、麻衣が飴」

新堂のマシンガントーク炸裂。

こうなったら、猛獣使いのエキスパート・高橋にも止められない。

 

 

 

「残念だったな。

 クールイベント成功の立役者は麻衣だぞ。

 企画に来る布石は打ってある」

あの時は、先のことを考えていたわけじゃないが。

事実、立花麻衣は企画部配属が妥当なはず。

企画発案者に麻衣の名前が載り、それが稟議として各部署を回ったのだ。

この上ない、既成事実。

「じゃあ、企画第1課だからね!」

「ばっかじゃね。

 クールイベントは3課だ。3課によこせ」

 

 

 

「まぁまぁ、二人とも」

のんびりした声で仲裁する高橋。

「泣きそうだよ、麻衣ちゃん」

いがみ合うオレと新堂を、うるんだ瞳で交互に見ている。

ヒートアップしすぎて気づかなかった。

こういう場合、どうやって宥めるんだ?

「すみませ~ん」

新堂が店のスタッフを呼ぶ。

「あ、このコに抹茶アイスね」

涙ぐんでいた麻衣は、ぱぁっと笑顔に。

腕を組みふんぞり返った新堂は、オレにどや顔。

くそ、新堂め。

麻衣を手懐けてやがる。

 

 

 

「ところで、さ。

 麻衣ちゃんをシンジョ課長補佐にするってことは、僕はもうお払い箱なの?」

新堂にお伺いを立てる高橋。

「何の話だ?」

麻衣の行く末に絡むことだ、口を挟む権利はある。

「女子社員のリサーチ」

悪びれずにさらっと言う高橋に、麻衣も顔を上げた。

「新堂にそんなこと頼まれてたのか?」

だから、チャラい仮面を被って女子社員に話しかけて。

「あ、言っとくけど、僕が勝手にやったんだよ。

 ま、愛の力ってヤツ?」

新堂は口をへの字に結んだまま、ほんのり紅くなっている。

きもちわるっ!

 

 

 

「シンジョに行ったとき、香里すごく落ち込んでて。

 ほら、うちのハニーはサバサバ系だから。

 ねっとり系女子の思考がまるで理解できなくて。

 僕が密偵として情報を上げてたっていうわけ」

そっぽを向く新堂。

感心したように頷く麻衣。

「自分のことは美化しちゃってさ。

 上司、お局、先輩、同僚、後輩。

 周りの愚痴を言い放題。

 人間関係、モロばれなのにね。

 僕は単なる通りすがりのイケメンだから、ウラの話が言いやすいんだろ」

通りすがりはともかく。

イケメンって自分で言うコイツの神経が理解できない。

うんうん頷いていた麻衣が一瞬フリーズしたから、ウケた。

 

 

 

「そのおかげで、仕事の上では救われたのよ。

 でも、司が女子社員になんて呼ばれてるかっていうの聞いたら、凹んだ」

重い口を開く新堂。

「え? 僕?

 営業のプリンスでしょ?」

きもッ。自分でさらっと言うか?

「そっちじゃなくて、サブタイトルの方。

 “女心を弄ぶ悪魔”

 “フェミニストの鑑”ってね」

なんつーサブタイトルだ。

 

 

 

「聞いてて、イラっときた。

 ……それ以上に。

 他の女子と絡んでる司を見ると……

 わかってても、もやもやして」

わぁぁぁ……生々しい! 

嫉妬してんのか、いっちょまえに。

「か~お~り~。

 やだ、もお、可愛いっ」

あーやだ。バカップル降臨。

麻衣は二人を見つめて涙ぐんでいる。

こんなんで感動すんな。

もったいない。

そこへ抹茶アイス到着。

涙ぐんでいたはずの麻衣が「わぁい♪」と小さく声を上げる。

 

 

 

「麻衣ちゃんって、天然なコなの?」

囁く高橋。

「天然っていうか、男女の機微に関してはまるで疎いのよ」

小さく返す新堂。

当の本人は、目の前の抹茶アイスに気を取られ、何も聞いていない。

子供みてー。

 

 

 

器に添えた左の肘を優しく引っ張ると、顔を上げて首をかしげる。

「……手」

囁いたオレに、自分の左手を見せ「これ?」と訊ねる麻衣。

頷いて、手繰り寄せる。

テーブルの下でそっと握ったら、麻衣の肩がぴくんっと跳ねた。

「榊っ!

 麻衣にちょっかい出さないっ!」

すかさず新堂に怒鳴られる。

バカップルらしく、“ごにょごにょ”話し込んでいたはず。

気づかれないと踏んだのに、そういうところは目敏い。

目の端に映る高橋が、なぜか黒い笑みを浮かべる。

やな、予感。

 

 

 

「よ~し、わかった!

 営業も総力結集して、麻衣ちゃん獲得に動くぞ!」

雄叫びを上げる高橋。

抹茶アイスに顔を綻ばせていた麻衣も、驚いて固まってる。

「はあ? 何ほざいてんだ」

1/2の確立が、1/3。競争率上げてどうすんだよ。

今の話の流れだと、高橋はシンジョ派だろ。

んん? 正面にいるバカップルのにんまり度……

これは。

ははーん、さっきの“ごにょごにょ”で何か謀る魂胆だな。

ばかどもめ。お前らなんかより、謀には長けている。

百戦錬磨、企画の榊なめんなよ。

 

 

 

だが……

まぁ、確かにな。

新堂の意見にも一理ある。

麻衣にとって安全なのはシンジョなんだろう。

オレの心の平安も、おそらく守られる。

シンジョでOK出すか。

でも、このままじゃ勝ちを譲ったようで正直面白くない。

そうだな。ただで渡す手はない。

ごねて渋って、有利な条件を吊り上げてやる。

 

 

 

課長のヒミツ・エピローグ

 

目の前で繰り広げられる稚拙な共謀に、苦いため息。

隣の幸せそうな笑顔に、甘いため息。

とにかく、麻衣攻略のポイントは。

男女の機微に疎い。

言葉にしないと、間違った方向に突っ走る。

オンナの嫉妬は、えげつない。

……それと。

お助けアイテムは、抹茶アイス。

 

 

 

取り敢えず、麻衣に出す次の仕事の依頼を考えよう。

そうだな。

“KISSの法則”についてまとめろ。ってとこか。

たぶん、麻衣はどきりとして。

検索して意味を知ったら、更に頬を染めて。

涙目でオレを睨むはず。

初心で、疎い……大切なカノジョ。

ゆっくり歩調を合わせてやる。

でも。

たまには煽らないと、手に入らない。

 

 

 

二人の世界に浸っているバカどもを置き去りに。

一度握らされた伝票は……仕方ないから持って。

「帰るぞ、麻衣」

彼女の耳にふれそうな距離で甘く囁く。

ぴくんっと揺れて、見上げる瞳。

もう少しだけ、我慢してやる。

――オレと麻衣のために――

――そのあとに続く、“永遠”のために――

 

 

「課長のヒミツ」完結