【ヒミツの時間】第9話 課長のヒミツ③ クールイベント
課長のヒミツ・クールイベント
7月最後の週末、新堂からメールが届いた。
From:新堂
To: 第3企画課長 氷の榊さま
Subject:Re:依頼〈雛形作成〉
Body:どうだっ!
どうだ、の一言だけ。
新堂のメールには毎度のことながら呆れるが、あの依頼の返信がこんなに早いわけはない。
送ってから……つまりは、あの“バックの左手”ってやつから、まだ5日だぞ。
おそらく途中経過だろう。
まとめてではなく、できた順に送信か、と添付ファイルを開いてみたら。
10種のテンプレと、もう一つ。
ファイル名は“クールイベント【案】”
「あ~。麻衣ちゃん、それ作ってたんだ」
お前のデスクは営業だろ。
なんでオレの隣にいつもいるんだ、ぁあん? 高橋。
「こないだの朝、早出してたんだよね、麻衣ちゃん」
早出? これの、ために。
「誰もいないと思ったんだろ。
ひとりごと、すっげ~言ってた」
立花麻衣……。
誰もいない(と思った)フロアで仕事って。
あいつ、危機感皆無だ。
狙われてるって誰か教えてやれよ。
無防備さに不安を感じ、ため息をつきながら開いたファイル。
思わず、息をのんだ。
彼女が企画立案したクールイベントなるものは。
AIDMAシートをベースにし、最近主流になりつつある、WEBマーケティングに必要な3Sもプラスされた企画書で。
テーマを〈夕涼み〉とし、風流な川床風茶屋がメイン。
シートいっぱいに、素人らしく書き連ねたもの。
きらきらした瞳で、わくわくしながら、作りました! という感じがダイレクトに伝わってきて。
……眩しかった。
企画を練りながら、オレがこんな気持ちになったことはあるだろうか、と。
生活意識・購買行動・景況判断・個人消費・市場データ。
これらの膨大なリサーチデータを分析し、統計グラフを企画書に落とし込む。
イベント場所の立地条件・交通量。
これらに行動心理学の知識を絡めて、信憑性を高め。
過去イベントを資料として添付。
突っ込みどころのない企画書に、自信満々のプレゼンテーション。
求めるのは勝算だけ。
そこに、こんな熱意はあっただろうか。
そこからのオレは、熱病に浮かされたように、がむしゃらに動いた。
――受け容れがたい状況を――
――上手くいかない現状を――
ただ、嘆くのではなく。
できること、やるべきことに真っ直ぐぶつかろう、と。
立花麻衣の作った企画書をプリントアウトし、部長を小会議室へ。
「今、やらなくちゃ意味がないんです」と粘りに粘った。
時間を忘れて説き伏せて、ようやく稟議を起こしてもらう目処がついたのは、夕刻。
決裁をもらうために、企画を練り直し、データを補足。
前例があるものじゃないから、人の心に訴えることにポイントを置いて。
同じ方向を。
真っ直ぐに未来を。
共に見て、乗り越えたいと。
何かしたい。
けれど、何ができるか。
その迷いを形にすべく。
翌日。
決裁を待つ間に、チーム編成を考案し、GOが出たらすぐ動けるよう、準備を整えた。
もう一度、企画書を見直して。
訴えかける要素がもっとたくさん欲しい、と思った。
効果的で洗練された企画戦術を知らない、立花麻衣。
彼女が描いたクールイベント。
ここまで絞り込む前の情報が欲しい。
そう思ったら、もうじっとしていられなくて。
「あづーい」と廊下をぺたぺた歩く新堂を狙い、捕獲する。
「なんなのよ、いきなりッ!!!」
怒鳴り散らす新堂。
「メール、見た。あー、あ、り。
ありが、とう」
オレの棒読みチックな言葉に、暴れていた新堂がぴたりと止まる。
あ? 電池切れか。
「……新堂?」
開いた口、見開いた目。
なんて不細工な驚き方。
「や、やめてよ。榊が“ありがと”なんて。
へたな怪談よりぞっとする」
そう言いながら、次の瞬間には、にたり、と笑って。
「クールイベントでしょ?
あれ、うちの秘蔵っこが考えたんだからね。
さすがでしょ、誰かは教えないけど」
……知ってるけど。
っていうか、高橋と新堂ってホントに付き合ってんのか?
意思の疎通って図ってるわけ?
「ま、“誰か”なんて興味ないよね。
でも、すごいわ~。
氷の榊に礼を言わせるなんて」
……興味、あるけど。
んなことは、いいんだよ。
「まとめた企画以外に、案があったろ。
……それ、全部吐け」
「が~ッ!!!
あんたってどうしていつも“上から”なのっ?!」
がなり立てる新堂に、言い方を間違えたと反省しつつ。
単純な新堂を巧みに誘導しながら、しつこく聞きだした。
「これ、全部入れ込むのか」
渋い顔の高橋。低い声音は、真剣な証拠。
「これじゃ、ポイント絞り込めねぇだろ」と乱暴に言い放つ。
「お前、誰にアピールしてんの?
仕事だぞ、これ」
睨むなよ。
「あのな、高橋。勘違いすんなよ」
高橋は、立案者である立花麻衣へのアピールだと思い込んでいる。
「なるべく多くの人に喰い付いてもらわなきゃ、意味ねーの。
イベントに足を運んでくれた人に、どれでもいいから関心持ってもらうんだよ」
無駄を削ぎ落としてお洒落に、なんてかっこつけてる場合じゃない。
形振り構ってなどいられるか。泥臭くても懸命に。
テーマを絞って特定の層に訴えるイベントじゃない。
老若男女、すべてがターゲットだ。
「賛同してくれれば、会場はどこでもいい」
立地条件なんて二の次だ。
趣旨を理解してもらい、同じ目線、同じ方向での協力を仰ぎたいだけ。
「……本気、なんだな」
はあ、とため息をつく高橋。その目はやはり半信半疑で。
「原価計算と採算基準は?」
「形式上つけてある。
だが、それも度外視で」
稟議にもその点は含めてもらった。
初めての試みだ。
採算なんて言っていられない。
「……わかった」
そう言って立ち上がる高橋。
挑むようにオレを見下ろす。
「言っとくけど、俺は営業だ。
採算も考えてギリギリまで粘る、いいな」
僕、じゃなく、俺。
眼光鋭くオレを射抜く高橋。
こんな眼、久しぶりだ。
「任せる。オレは高橋を信じてるから」
一瞬、空気を呑み込んで、目を瞠る高橋。
「でもな、とにかく急いでくれ。時間がねーんだよ。
最悪、残暑まで引っ張るつもりだが、スピード重視だ」
オレの無理難題に「ラジャ」と小さく呟いて、高橋はフロアを出て行った。
チーム結成に必要な部署長に、内線を入れる。
稟議はすでに各部署を回っていて。
直々に説明を申し出るオレに、戸惑いを隠せない様子の各部長。
今までに、こんな根回しなどしたことがない。
勝てる企画書しか作らないオレの、勝つことが目的ではない企画。
その内容に賛同する所属長が、快く協力を約束してくれて。
各部署からのリーダーとスタッフは、充分すぎるほど確保できた。
広報には、官公庁、電力会社から節電の啓発配布物の調達を依頼。
そして、宣伝媒体を指示。
この際、サイトやブログはご法度とした。無責任な批判に対処している暇はない。
人海戦術でリーフレット配布だ。
リーフレットは輪郭のみ作り、白黒コピー。
総務に手作業での色塗りを依頼する。
資材管理には、川床風茶屋のセッティングと設置経費の見積りを。
とにかく、あるものは在庫で賄うようにと、念を押した。
冷やしシャンプーは、あの時のなぞなぞの答えだったらしい。
会場が決まらない今は、情報と商品をかき集めることに終始した。
デパートが決まり次第、その中のヘアサロンにプレゼンをかける予定だ。
庶務には、無理を承知で西洋朝顔ヘブンリーブルーの手配を依頼した。
8月に手に入れるのは難しいと思われたが、ネットで調べたところ、売れ残りが処分されずに間一髪のタイミングで手に入った。
今年はグリーンカーテンに程遠くとも、保温すれば冬まで花を咲かせるため、種をとり、来年5月に蒔けば来年のカーテンになる、と懇切丁寧な説明までいただいて。
教えていただいた育て方と、来年のグリーンカーテンに向けた説明書きを庶務で作りますよ、と。
笑顔の庶務課長は、自ら申し出てくれた。
――そう、今年だけじゃない――
――来年もその先も見据えた企画――
どこも、ふたつ返事でひきうけてくれた。
諸事情の煽りで手を拱(こまね)いている状態だったため、ではない。
現状打破のためよりも、未来につなげるため、積極的に手を貸してくれた。
入社6年。
実績を認められ、やりやすい環境で、課長という役職まで貰い。
今日までそれを、実力で勝ち得た当然の対価だと驕(おご)っていた。
初めて味わう、もどかしい思い。
動けない苦しみに悶え。
立花麻衣の真っ直ぐな気持ちに感化され。
――初めて、“ありがたい”と思った――
決済が下りたときには、いつでも始動できる状態が整っていた。
あとは、毎日へろへろな状態で帰ってくる高橋の、結果待ち。
「多少、動きがあるなら、オレも同行させろ」
改めてプレゼンなんて、時間がもったいない。
営業とプレゼンを同時に掛けながら契約に持ち込みたい。
「バカにすんな」
高橋はにやりと笑う。
「俺を誰だと思ってんだよ。
営業課長、高橋だぞ。もう最終段階だ。
一番いい立地条件のトコと、交渉が進んでる」
ヒくほどのどや顔からの……
「悪いな、時間掛かって」と眉を下げる高橋。
「こんないい企画、そうそう手の内は明かせないんだよ。
ぼかしながら進めんのに手こずったけど……
明日、プレゼンだ」と爆弾発言。
「あっちは役員が雁首揃えて待ってる。
苦労したんだから、しくじるなよ」
オレの肩をぽんと叩いて、笑う高橋。
仮契約の書類にざっと目を通す。
場所は、銀座の有名デパート。7階催事場。
これ以上ない会場だ。
期間は、盆明け。8月下旬の2週間。
会場費は破格ともいえる低額で。
企画の趣旨と、デパートの節電グッズコーナーを併設することで低コストが実現できた。
「高橋、ありがとな」
目を見て礼を言ったら、ぷいと逸らされた。
「バ~カ。お前のためじゃないよ。
しいて言うなら……俺のため?」
本当に楽しそうな笑顔で。
「久しぶりにアツくなれて、気持ちよかった」
そう言って思いっきり伸びをした。
プレゼンテーションは3つのPから成り立っている。
Personality(人柄)
Program(内容)
Presentation skill(伝え方)
人柄は、高橋で既に85%確保。
残りの15%をオレが担当。
誠実に、真摯に、そして時折笑顔を見せて。
内容は言わずもがな。
否定される要素は0だった。
ネックは心無い中傷。
それも匿名性の高いネットを極力避けることで、先方にご納得いただけた。
伝え方は、経験を活かし流暢に。
イベント準備の進捗状況の表には、感嘆の声が上がった。
企画部長にフォロー役をお願いし、若造の戯言じゃないことも、しっかりアピールして。
たくさんの協力と好意のおかげで、めでたく契約が成立した。
盆休み返上で準備にあたる。
各部署が、自発的に水を得た魚のように泳ぎ回り、クールイベントを形作った。
安全策を取ったため、いささかPR不足だったこと。
イベントとしては、盆明けというやや弱めな開催時期だったこと。
それらを差し引いても、成功と言える結果を出せた。
もともと、採算は度外視だったから、経費を引いた純利益のほとんどを寄付。
会場での募金額と合わせたら、新聞社が取材にくるくらいの額になった。
課長のヒミツ・猛獣
「クールイベント成功って。
どういうことよっ、榊っ!!!」
オレのデスク傍で、喚く新堂。
そしてオレの隣の席には、いつものように高橋。
おまえらは、ほんと、毎回毎回……
絶交中なのか。話をしろよ。
「あれ~、香里、知らなかったの?
知ってると思って、言わなかった」
何事もなかったかのようにチャラいキャラに戻った高橋が、小首をかしげて新堂を宥める。
「シンジョ発の企画でしょ!
なんでシンジョだけ蚊帳の外なのよ」
ま、そりゃ。確かにな。
「オレは、朝顔はシンジョに、って言ったんだぜ。
でも、高橋が……」
もごもご言いながら高橋を見る。
どーにかしろよ。
「だってほら、香里。
去年のトップのコに気ぃ遣ってたじゃない。
知られたら、どうとかってさ」
「うぅ? うん、まあ、そうね」
トーンダウンする新堂。
「でも、シンジョのパクリじゃないっ!!!」
なんでオレに言う時だけ、鬼婆みてーなんだよ。
「パクリじゃねーよ。見ろ」
そう言って企画書を差し出す。
「ここ、企画立案者。
ちゃんと名前が入ってる」
企画責任者に部長名。
企画担当者にはオレ。
その下の企画立案者には、“立花麻衣(人事部 新人女性社員研修課)”と。
「すッご~い!!!
麻衣の名前が。
わっ、シンジョの名前も入ってる!!!」
単純だな、新堂。
「……てか、何で立案者が麻衣だって知ってんの?」
新堂と高橋の淡白な間柄よりも、オレと高橋のほうが密な関係だからだろ。
要点は合っていても、言葉にすれば完璧に誤解される。
「麻衣ちゃんが今年のシンジョトップだって。
香里が僕に言ったんでしょ。
榊の依頼は、例年シンジョトップが請け負うんだし。
……っていうことはさ」
高橋のわかりやすい三段論法。
さすが営業課長。
「あ、そっか」と、すんなり納得する新堂。
「稟議の時から、麻衣ちゃんの名前は入れてたんだって。
それで、今後全社員からイベント企画のアンケートを募るって通達が出たくらいだし」
高橋の言葉に、「ほんとにっ?」と新堂が声を弾ませる。
「それが、もっとすごいことにさ。
クールイベント、来年の予約がじゃんじゃん入りそうなんだ。
そのデパートだけじゃないんだよ、もうほんとすごい数の問い合わせで」
高橋は嬉しそうに語る。
「だから、これからちょっと忙しくなる。
ごめんね、香里」
「な~に、言ってんのよ。ファイト!!!」
高橋の背中をぱしんと叩く新堂。
「男は仕事に生きてなんぼ、よ」
いいコンビ。
もとい、いいカップル。
「新堂も考えたんだろ?
クールイベント。
悪いな。お前の名前入れらんなくて」
きょとん、とした顔でオレを見る新堂。
「あ~、それ。
ほとんど……っていうか、全部麻衣。
あたしは、ぶっ込みすぎだから削れって言って……」
そこまで言った瞬間、はっとした顔をする。
ヤな、予感。
「そうそう、聞いてよ。
榊、あたしのこと誘拐して全部吐かせたの」
眉を上げる高橋。
いや、違うぞ。
誘拐じゃない、捕獲だ。
誤解を招くような言い方すんなよ、新堂。
「削る前の案を聞いただけだろ」
高橋の目がキラーンと光った、気がした。
絶対、面白がってる。
どーせ、立花麻衣がどーのこーのって言うんだろ。
「榊、慰謝料がっつり貰うわよ。
ん~と、そうね……」
めんどくせーな。
「カフェメニューをシンジョで考える権利、で手をうつわ。
いいわねっ!!」
そう言い捨てて、去って行く新堂。
別に、勝手に考えてりゃいいだろ。
大体それは第1の管轄だ。バカじゃねーの、新堂。
「ごめんね、榊。
最近カフェメニュー考案にハマってるらしいんだよ、香里。
なんでもワンプレートにのせちゃって。
“なにこれ”って感じのごはんが出てくるんだよね……」
肩を竦める高橋。
高橋の「なにこれ」に対しても、どーせ威張って「香里スペシャル♪」とか、言うんだろーな。
……哀れなやつら。
「ところで、さあ。榊く~ん」
妖怪じみた不気味な笑顔。
「香里を誘拐するなんて、危険な真似までして。
キミって人は、ホント隅に置けないよねえ」
しつこいようだがな! 誘拐じゃない、捕獲だ。
力にモノを言わせて、かよわい者を攫うのが“誘拐”だろ。
オレは、手ごわい相手に果敢に立ち向かって“捕獲”したんだよ。
……でも。まあ、ほんとに。
命の保障ができかねる向こう見ずな行為だな。
「あの時、頭に血が上ったけど。
今思えば、色々入れてよかったんだなって」
間口を広くして、たくさんの人に足を運んでいただいたこと。
見事、結果に繋がった。
「いい前例もできたし。
来年は地の利とか客層とかも含めて、的を絞るだろ?」
「そうだな」と頷くオレににやりと笑って。
「データの申し子。
行動心理学の使い魔。
その氷の榊をここまで変えるなんて、ね」
言いたいことがわかるから、敢えて聞こえないふりをする。
「麻衣ちゃんに、お礼言いなよね。
それで食事にでも誘いな」
食事、だと?
そんなもの、いままで誘ったことがない。