のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【もとかれ】第8話 真実のカケラ

 

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もとかれ 第8話

 

 

【もとかれ】第8話 真実のカケラ

 

真実のカケラ

 

京香さんに聞いてもらって、話していくうちに。

見えてきたもの。

わかってきたこと。

だけど今更、もう何もかも手遅れで、はらはらと涙が伝う。

「明日香ちゃん。つらかったでしょ」

優しく手を握る京香さん。

「でもね」と、厳しい声音で。

「明日香ちゃんは、間違っていたの」

ぽろぽろ涙をこぼしながら、京香さんを見上げた。

 

「ひとりで抱えて、ひとりだけ我慢すれば、って。

そんなの、綺麗ごとよ。

明日香ちゃんは、自分が去った“後”のことを何も考えなかった。

それで、うまく行くはずないのに」

そう。

自分だけが犠牲になれば、っていう悲壮感に酔って。

ただ自分可愛さに、逃げただけ。

仲間も、信頼も、責任も……

初めての恋も、自分から手放した。

わかってた。

でも、認めたくなくて。

間違いを認めたら、残るのは後悔だけで。

押し潰されてしまいそうだったから。

 

 

「ただね」と。

京香さんは困ったような笑顔で。

「共感できるところもあるのよ。

何度も同じミスをするのに、メモを取らない。

仕事を覚えようとしないコには、凹むわよね」

突然、仕事の話。

一葉ちゃんの話から派生したんだから無関係ではないけれど……

「今日もね」

京香さんはウインク。

「特殊なクーポンをお持ちになったお客様がいらしたの。

クーポンって金券でしょ?

“領収証をきちんとお渡ししなさい”って言ってるのに、ただの紙切れみたいに思っているコがいてね」

はぁ、と。曖昧な返事の私。

 

「その特殊なクーポンってね、ある会社が社員に対して発行してるの。

ちょっとした厚紙に、カラー印刷。

社長の直筆サインと社印で偽造防止してるのよ。

確かに、金券には見えないかもしれないけど……

何度も説明してるのに響かないのは、困りものよね」

くすっ、と。

目をぱちぱちさせる私に笑みをもらして。

「ああ、そうそう。それね。

勤続年数に応じた“リフレッシュ旅行クーポン”っていうの」

意味ありげに、再びウインク。

リフレッシュ……旅行、クーポン。

あ。その文字の羅列。

なんとなく……記憶にある。

 

「その会社って、社員旅行がないのね。

それで福利厚生の一環として、勤続年数に応じた旅行券を発行してるってわけ。

うちとあちらの社長同士が、異業種交流会で意気投合したらしくて。

リフレッシュ旅行券に関しては【プロムナード】が専属契約させてもらってるのよ」

記憶を辿る私に、京香さんはひとこと。

「明日香ちゃんも持ってるんじゃない?」

やっぱり……【M・Dカンパニー】のことだ。

勤続1年を迎えた時、1万円の旅行クーポンをいただいた。

 

クーポンを手にしたあのとき、未来の私の隣には勇人がいるって確信してた。

2年前に見た、笑顔の勇人が蘇る。

“オレもそのクーポン貯まってんだよ。

旅行行こーぜ、一緒に”って。

一緒に行くのは私じゃなくなったけれど……

また、ぽろんとこぼれる涙。

「専属契約しているから、離れた場所なのに会ってしまったんですね」

もう諦めなさい、という“天啓”のようなもの。

涙声の私の手を、優しくくるむ京香さん。

「個人情報だから、内緒よ。

クーポンを利用した旅行のお申込は、女性のお客様だけ。

男性のお客様は、貯まっている旅行クーポンについて問い合わせたかったみたい」

ゆっくり、顔を上げた。

 

「先週、電話で問い合わせがあったの。

“期限を延ばせないか”って。

確証はないけど、多分それが“彼”ね」

あのクーポン、端っこに有効期限が書いてあった。

確か……5年。

「1年目の1万円クーポンの期限が切れるらしくて……」

勇人は私より5歳上だから、今28歳。

大卒入社で、勤続1年経って手にしたクーポンは今年期限を迎える。

「できれば、お使いいただきたいでしょ? 旅行代理店としては。

だから、ご来店いただけますか? って。お願いしたの」

頭が、うまく働かない。

旅行に行くのは、一葉ちゃんだけ。

勇人は期限の延長を直談判しにやってきた。

でも、二人で並んで座ってたのは事実で。

 

……あのぉ、と。

のどに貼りついて、声が掠れた。

緊張、する。

知りたい。知りたくない。

もしかしたら? 

ううん、期待しちゃだめ。

「どう、して。延長なんて。

ううん、あの……」

なに言ってるんだろ、私。

“一緒に行く、約束を、したから”って」

私の瞳を真っ直ぐ覗いた京香さんは、はっきり区切って言葉にした。

「期限延長はできないこともないのよ。

裏ワザがあるの。

きっと、彼は誰かから聞いたんでしょうね」

 

言葉を失う私に、いたずらっぽく微笑んで。

「裏ワザ、知りたい?」

頬杖をついて、覗き込む京香さん。

頷くのが精いっぱい。

「【プロムナード】にクーポンをお持ちいただいて、延長を申し込むの。

所定の理由書に所属と氏名、理由、希望延長期限を書いてもらってね。

一旦クーポンはお預かりして、それらを直筆サインの主に送付するのよ」

サインの主って、【M・Dカンパニー】の社長だ。

優しい笑顔で頭を下げた姿。

“沈黙”という消極的で卑怯な嘘が苦く蘇って、胸が苦しくなった。

「理由書に目を通した社長さんがOKを出せば、期限延長が可能なの」

そう言って、京香さんはバッグをごそごそ。

新事実と急展開に、私の思考は置き去りのまま。

 

「でね。

その理由書に目を瞠るものがあって……

ついコピー取っちゃったの。

服務規程違反だから、内緒よ」

唇の前に人差し指を立てる京香さん。

見つかったら、ただでは済まされないのに。

バッグから取り出した4つ折りのA4用紙。

そっと私に手渡すと、京香さんは微笑んで。

「読んでみて、明日香ちゃん。

過去はともかく。

今と未来をしっかり見つめて」

京香さんに頷き返して。

ふるえる指で、そっと丁寧に開いた。

 

[所属:メカトロニクス設計部 3D・CADチーム サブリーダー]

[氏名:久我勇人]

懐かしい勇人の自筆文字。

少し右上がりで、癖のない読みやすい字。

チーフからサブリーダーに昇格したんだね、勇人。

視線を恐る恐る下に。

[延長希望理由:まだ見つからない。諦める気はなし]

[延長希望期間:連れ戻すまで]

涙で歪む、文字。

さっきまでの涙とは違う温かさ。

 

「フロントの女性社員も困ったみたいでね。

狼狽える女性社員に舌打ちして、思いっきり不機嫌そうな態度で」

泣きながら笑みがこぼれる。

勇人は変わっていない。

変わって、いなかった。

「それが……

明日香ちゃんが来社する、ちょっと前の出来事」

 

 

 

懐かしき面々

 

京香さんからいただいた理由書のコピーを、穴が開くほど見つめて。

放心状態のまま一夜を過ごした。

理由書には主語がない。

だけど。

“明日香がまだ見つからない”

“明日香を諦める気はなし”

“明日香を連れ戻すまで”

目を瞑ると、勇人の声が聞こえそう。

 

高揚した気持ちを落ち着けるために。

ゆうべ、別れ際に受けた京香さんの注意事項を反芻する。

“探してた明日香ちゃんを見つけちゃったんだから、彼は“別ルート”で現れるはずよ。

自分の気持ちをはっきりさせて、ちゃんと待ってなさいね。

いい?

くれぐれも、自分から動かないで。

明日香ちゃんって、いいコなだけに危なっかしくて。

すれ違う可能性が大だから“

ね、勇人。

私、待っててもいいの? 

……待ってるだけで、いいのかな。

 

翌日。

浅い眠りのまま、出社。

京香さんから注意を受けたものの……

疑問点もいっぱいで。

たまたま【プロムナード】で再会しただけ。

勇人は私のことを何も知らない。

私の勤務先も住所も知らない、はず。

「……別ルートって、なんのことだろう?」

ひとりごとを言いながら、一日の業務をこなして退社する。

考えても仕方がないもん。

今夜はぐっすり眠ろう。

 

もう一度会える日まで、時間が経っても。

このまま、勇人が目の前に現れなくても。

私は勇人が好き。

勇人は元気そうだった。

それだけで充分。

相変わらず不機嫌そうだったけれど……。

「そう、だね。うーん、3カ月」

敢えて言葉にして、決意する。

3か月、音沙汰がなかったら私が会いに行こう。

会って、私の言葉で謝る……

あの頃の自分を。

それだけはしなくちゃ。

 

「なにが、3か月?」

【キュリオ】の社員通用口から出たとたん、背後から声が。

人の動く気配がして、あっという間に取り囲まれる。

寝不足でぼんやりしていて

あ。こういう状況、なんていうんだっけ。

熟語的ないい方で……って呑気に考えてた。

「一網打尽? 

……ちょっと違う、か」

は? と。

取り囲む人たちから呆れたような声。

「一網打尽は、大勢を捕まえる時ですよ。

これは、包囲網を張って完全に捕らえた状態です」

そっか、と。

冷ややかにも聞こえる声の主を振り返って……絶句。

 

「一葉ちゃんっ!」

大声を出した私に、びくっと肩をふるわせる一葉ちゃん。

逃がさないっ、と。

慌てて両手を掴んだ。

とにかく伝えなきゃ。

「ごめんねっ、一葉ちゃん」

目を見開いて、動きを止める一葉ちゃん。

周囲のどよめきなんて気にせずに、伝えたかったことを言葉にする。

「私。全然いい先輩じゃなくて。

新入社員って、不安なはずなのに。

一葉ちゃんの噂に怖気づいて、距離を置いてたの。

私が入社した時は、先輩方に包み込んでもらって。

温かく迎え入れてくれたのに……」

 

「それはね」と。

後方から優しい声。

一葉ちゃんの両手をがしっと掴んだまま、振り返る。

「“うまこ”と“バンビちゃん”の素養の違いよ」

腕を組んで頷く姿。

「美和さんっ!」

だけじゃなくて。

「……チカさん、ユリさん、ノリコさん」

L、Q。

ラヴリー・カルテット揃い踏み。

「“性悪うまこ”と“温厚バンビちゃん”じゃ、大違いだもの」

「仕事もできないのに、言い訳ばっかりで」

「親の庇護の下で、甘やかされて育っちゃったもんだから」

ちょ。ちょっと。

批判のオンパレードに閉口。

それ以上に、謎の言葉に頭がぐるぐる。

 

「“うまこ”って……誰ですか?」

話の流れから察するに、一葉ちゃんのことだと思うけど。

なぜに、“うまこ”?

「……あたしのこと、です。

大体。明日香先輩は“バンビちゃん”なのに。

どうしてあたしが馬に子と書いて“うまこ”なんですか?」

つまり、漢字で書くと、馬子?

それって……

「蘇我馬子(そがのうまこ)? 

えっと。入鹿(いるか)パパ?」

うろ覚えの人名を口にしてみたら。

「ちがいますっ!!! 

馬子は入鹿のじいちゃんです。

蘇我馬子は、蝦夷(えみし)パパっ」

間髪入れず、一葉ちゃんに怒られた。

あは。ごめん……

 

「さすが文系。日本史、超得意じゃーん。

なのに、なんで設計志望なんて無謀なことしたのか、きっちり説明するんでしょ。

う・ま・こ・さ・ん?」

美和さんの言葉にムッとした表情を見せた一葉ちゃんは、私をちらりと見て。

ふぅ、と。肩を落としてため息。

「……どうして、明日香先輩が謝るんですか。

あたし、たくさんひどいことしたのに」

それは、まぁ。そう、だけど。

もごもご口を動かして。

「でもね。私が距離を置かなければ、こじれなかったはずだから」

お人好しすぎ、と。

私の答えに眉を下げる一葉ちゃん。

 

昨日だって、と。

一葉ちゃんは俯いて。

「わざと、久我さんの腕にしがみついたんです。

反省してたはずなのに、目にしたらムカついて」

ムカついて、って。

嫌われてるんだ、私。

「転職した先でも、明日香先輩は生き生きとしていて。

スーツを着こなして颯爽と入ってきたから」

そんな風に映ったの? 

勇人を想って涙を流す日々だったのに。

 

「うまこのターゲットは、久我っちじゃなかったの。

狙いは、はじめから明日香ちゃんよ」

「ふぇぇっ」と。

美和さんの爆弾発言に情けない声が出て。

握っていた一葉ちゃんの手を、そぅっと離した。

「か、一葉ちゃん。

お気持ちは嬉しいのですが。

私、狙われても、その……

お応えすることはできません、です」

丁重にお断りしてるのに、一葉ちゃんは呆れたようなため息。

「美和先輩~。

誤解させるような言い方しないでください。

ただでさえ、明日香先輩って思い込みが激しいのに」

 

「自分と1年しか変わらないのに、みんなに可愛がられて頼りにされて。

そういう明日香ちゃんに憧れてたんでしょ、最初はね。

でもだんだん意識して、無謀にも敵対心なんか燃やして。

ずぶずぶ自滅してったのよ、うまこは」

チカさんが補足説明。

憧れてくれてた、んだ。

ほんのり頬を染めてそっぽを向く一葉ちゃんに、胸が温かくなる。

 

「久我っち目的でちょっかい出してんなら、こっちも打つ手はあったのよ。

久我っちだって。

あの性格だから、がつんって拒否できただろうし。

だけど、あくまでもうまこの標的は明日香ちゃんで。

うまこにとって、久我っちはおまけ。

標的を揺るがす、単なる駒でしかなかったの」

冷静に分析する、ユリさん。

勇人は、一葉ちゃんの思惑を見抜いていたの?

だから、拒絶しなかったの?

 

「うまこにとっては単なる駒でも、明日香ちゃんには効果絶大で。

そこに付け込んだのよ。

うまこも、……それから久我っちもね」

……え? と。

ノリコさんの衝撃的な言葉に、思わず声がもれる。

「明らかに様子がおかしいのに、何も相談しなかったらしいじゃない。

頼らない明日香ちゃんに、久我っちも手をこまねいていて。

うまこの嫌がらせに耐えかねた明日香ちゃんが爆発するのを、待ってたの」

う、そ……。そんな。

半信半疑のまま、LQと一葉ちゃんの顔を見渡した。

 

「ほんとよ。

久我っちは、うまこを当て馬として利用したの。

うまこの由来は当て馬。

フルネームは、“当田馬子”だもん」

あてだ、うまこ。

なんてシュールなニックネーム。

「おバカな久我っちは、うまこを当て馬に仕立てたの。

そんなことしたら、明日香ちゃんが余計追いつめられるって気づかなかっただけ。

久我っちはさ、妬くと大胆に押しまくるでしょ。独占欲が強いから。

明日香ちゃんは、身を引いちゃうタイプなのに」

身を引く、なんて。

そんな綺麗なことじゃなくて。

ただ、終わりを見るのが怖かった、だけ。

 

「久我っちが描いた魂胆の、ナナメ遥か上を行っちゃって。

バンビちゃんは、行方をくらませたんだけどね」

怒り顔のLQに、しゅん。

「ほんとに……すみません」

ぽろりと、涙がこぼれた。

「あたし達もさ。

まさか、久我っちが一切フォローしてないなんて思ってなかったの。

ほら。風邪で久我っちがダウンした時、明日香ちゃんがつきっきりで看病したって聞いてたし。

だから……ごめんね」

どうして?

ごめんね、なんて。謝られる理由はないのに。

 

「ほんとに、ごめんね。

あたし達、うまこが性悪なのは知ってたけど……

なんせ探究心旺盛で。

うまこの生態があんまり珍しくて、観察に没頭しちゃってたの」

懐かしい語彙の選択に、涙が引っ込む。

「それぞれがうまこの生態観察日誌を記録してて。

明日香ちゃんがいなくなった後、一斉に見せ合ったのよ。

断片的だった嫌がらせが、つながったの。

もう少し早く報告書にまとめて、部長に提出すれば……って。

研究熱心すぎる有能な自分たちを呪った」

“有能な”なんて。自分で言っちゃう?

ま……LQなら言っちゃうよね。

 

「あたし達って理系集団でしょ。

だから、その。

“なんとなくイヤ”とか、“なんかムカつく”とか、“態度が悪い”みたいな……

曖昧な感覚がピンと来ないのよ。

不快だと思ったら、原因を突き止めるのが先決でしょ。

それから対処を考えて、確実に改善を目指したいの」

わかる、わかる、って。頷いて。

「その上。

あたし達って、超優秀じゃない?

やるなら徹底的にぶっ潰すつもりで、データ収集しちゃってた。

うまこは実験材料で。マウスとして観察してたの。

デキの悪いマウスの分際で、明日香研究員の指に噛みついて。

でも、所詮マウスだし……

っていう程度にしか思ってなかったところもあって」

“超優秀”、“ぶっ潰す”、“マウス”、で。もれる苦笑い。

 

 

うまことバンビ

 

―― あの頃 ――

私、卑屈になってた。

“どうして、私だけこんなつらいんだろう”って。

“どうして、誰も手を差し伸べてくれないんだろう”って。

相談する勇気もないくせに、人を当てにして。

何かしてもらおうって考えて。

ぼろぼろの状態で転職と別離を告げた時。

由香里ちゃんに突き放されたっけ。

“明日香可愛さに、つい手を掛け過ぎちゃったみたいね。

助けを待ってるだけじゃ、だめなの。

自分が動かないと、世界は変わらないわよ”って。

 

「うまこが設計志望だったのはね。

“理系の一途なオトコ、但しイケメンに限る”って身の程知らずの願望からで。

文系のチャラい男にさんざん騙されて弄ばれたから、らしいけどさ。

そんなの、自業自得じゃない?

問題は、相手のオトコじゃない。自分自身なのに」

蔑んだような口調の美和さんが、肩をすくめて。

そうそう、と。3人が大きく頷いた。

「あのっ!」と。

一葉ちゃんが大きな声でLQを制する。

「大体合ってますけど。

大げさにけなすの、やめていただけます?」

 

「じゃあ。

聞いててあげるから、自分の言葉で説明しなさいよ」

にやりと笑みを浮かべたLQに、一葉ちゃんは悔しそうな顔を見せて。

ゆっくり私に向き直った。

「……最初は憧れだったんです。明日香先輩のこと。

専門用語もわかってて、

仕事も任されて、

その上雑用も嫌がらずに、にこにここなして。

あたしとは違う。

どうやっても、追いつくことができないって。

どんどん嫌な人間になってくの、自分でも止められなかった」

 

「久我さんのことは……

確かにかっこいいとは思っていたけど、根っこは明日香先輩で。

明日香先輩が、泣きそうな、困った顔するから……

どんどんエスカレートして。

本当に、ごめんなさい」

時折顔をしかめて、言葉を詰まらせるものの。

一葉ちゃんは、泣かなかった。

私とは違って、芯が強い。

頭をきっちり下げて、潔く謝る姿。

自分が弱くて情けなかった。

 

「明日香先輩がいなくなって、あたし居場所ができたって喜んだんです。

でも、全然違ってた。

書類整理すら滞って、仕事がスムーズに回らない。

みんな、あからさまに舌打ちして。

どす黒い雰囲気になっていったんです」

俯く一葉ちゃん。

チカさんが、一葉ちゃんの肩を慰めるようにぽんぽん。

「実はね。

明日香ちゃんが入社する前よりも、もっとひどくなったの。

あの頃は、ただ忙しくて殺伐としてただけだったけど……

チームどころか、設計部のフロア全体がうまこを敵視して。

明日香ちゃんが抜けた穴って、想像した以上に深くて大きくて真っ暗だったのよ」

 

「久我さんはあたしのこと、“アシスタントして不適格だ”って。

“自分が前に出たい奴なんて、使えるか”って。

一切、口も聞いてくれませんでした」

勇人……

一葉ちゃんの顔も見ずに言い捨てる姿が目に浮かんで、思わず身震い。

「毎日会社に行っても、居ないものとして扱われて。

ただ、デスクでぼうっと過ごして、退社時間を待って。

それでも、意地っ張りだから。

辞めるなんて言いたくなかった」

そう、だったんだ。

 

「部長から、明日香先輩の言葉を聞きました。

“指導係の自分が彼女に嫌がらせをされているように見えたのなら、その非は自分にある”って。

“自分がいるとチーム内の空気が悪くなって、悪影響を及ぼす”って。

それを聞いて、やっと目が覚めたんです。

敵わない、って。

最初から敵うわけなかった、って」

あの時の私の言葉は本心で、嘘じゃない。

だけど。

そんな、立派じゃない。

そんなんじゃないのに。

 

実を言うと、と。

一葉ちゃんは申し訳なさそうに肩をすくめて。

「明日香先輩からいただいたマニュアルノート。

ずっと、もらったままでほっといたんですけど……

その時、初めて開いたんです」

うぇ? 思わずヘンな声が出る。

読んで、なかったんだ。

驚愕の事実にショック。

「丁寧な図入りで。

わかりやすい言葉で。

“ここ重要!”っていうイラストも可愛くて。

素直な気持ちでノートを開いていれば、って。後悔しました。

本当にすみませんっ!」

いえ、あの。ショックなのは否めないけど……

あれを読んでないなら、業務上の会話が噛みあわないのも納得できるし。

 

「今、あたし。

設計部の資料室係なんです」

「え?」

声を上げて、一葉ちゃんを見たら。

肩をすくめながらも、穏やかな笑顔で。

「“超優秀”なLQの報告書は、部長から社長へ上げられました。

穏やかな社長も、さすがに激昂して。

コネ入社に応じたことを詫びつつ、父にあたしの解雇を強く迫ったんです。

正確な日時と、詳細な経緯、証人の実名も揃った報告書に、あの父も頭を下げるしかなくて」

さらっと言葉にするけれど。

きっと、修羅場だったはず。

「解雇されずにここにいるのは……

LQの皆さんのおかげです。

左遷ともいうべき資料室係を提示して。

“文句は言わせません。がんがん仕事させます”って。

社長に直談判してくれたんです」

 

「心を入れ替えようって、黙々と書類と奮闘して。

でも、孤独に耐えられなくて、挫けそうになった時……

“お昼一緒に食べるわよ”ってLQに誘われて」

うん、うん、って。

泣きじゃくりながら、一葉ちゃんに頷く。

また、泣いちゃったけど。

LQの面々は居心地悪そうにもじもじして、頬を染めている。

あは。あの時と同じだ。

勇人の暴走に、私がトイレに立てこもってわんわん泣いたあの日。

こじれないように気遣って、キューピット役を買って出てくれたっけ。

その翌日。お礼を言う私に、照れてもじもじして……

ぽ・ぽ・ぽ・ぽ~っ、と。

輪唱みたいに4人の頬が紅く染まったんだよね。

 

「昨日、一緒に旅行代理店に行ったのは……」

一葉ちゃんがいきなり核心にふれるから、ぴきんと緊張が走った。

「ジュエリーショップに行くついで、だったんです」

「……ジュエリー、ショップ?」

びっくりして訊きかえす私に、一葉ちゃんは悪びれもせず笑いをもらすけど。

旅行代理店からのジュエリーショップ。

その流れって、まさに……。

「先月、かな。

明日香先輩、オトコの人とジュエリーショップに行ったでしょ?」

「は?」

「なに」

「どゆこと?」

「バンビちゃん、まさか……」

一葉ちゃんの言葉に、色めき立つLQ。

 

「確かに……行きました。

けどっ」

ぇええ~っ! と。

フォルテでハモるLQ。

どうしよう。こうなると収拾がつかない。

「カレなの?」

「新恋人ってこと?」

「婚約者じゃない?」

「まさか……既婚、とか?」

わたわたするLQを呆れた顔で見遣る、一葉ちゃん。

すうっと息を吸って。

「お静かにっ」

一喝したら、ぴたっと鎮まった。

恐るべし……一葉ちゃん。

 

「“すごく奇抜なファッションの男性でした”って。

久我さんに報告したら……

“ああ”って妙に納得してました。

久我さんもご存知の方ですよね?」

はいぃ。

慌ててこくこく頷く。

だって、それ。よっちゃんだもん。

“プロポーズするからリングの下見に行く”って、連れ出されて。

“そんなのカノジョと行きなよ”って、ごねてるのに、聞く耳持たずで。

周りは幸せいっぱいのカップルなのに。

ピンクの豹柄のTシャツに、ドピンクのカラージーンズのよっちゃん。

傷口に塩を塗られて、半べそ状態の私。

すごく、悪目立ちしてたもん。

 

「ひと目で“恋人じゃない”ってわかる関係でした。

だから、久我さんにお伝えしたんです」

ほっ、と。安堵の息をつくLQに。

「従兄ですっ」と。すかさず釈明した。

「あのジュエリーショップは母が経営している系列店で。

あそこの店長は、あたしの兄なんです。

だから、事情を説明してクライアントファイルを見せてもらえれば……

きっと明日香先輩につながるはずだから。

そんなことしか、罪滅ぼしが思い浮かばなくて」

一葉ちゃんが見つけてくれなかったら、再会はもっと先だったかも。

「ありえないほどのイタい格好だったんで、目に止まったんですよ。

隣にいたのがあの従兄の方じゃなかったら、見逃してたはずです」

な……ナイス、よっちゃん。

 

「それまで、一言も喋らなかったのに。

久我さんたら、鬼のように話に喰いついてきたんです。

街の名前を言ったら、しばらく考え込んで。

リフレッシュ旅行クーポンを取り出したんです」

私が旅行クーポンを手にしたとき、勇人が言ってたっけ。

“そこ、あんまり行かない街なんだよな”って。

それを踏まえて、この街に引っ越したわけじゃなかったんだけど。

「それで。この街の旅行代理店で鉢合わせしたんだね」

ふぅん、と。チカさんが頷いた。

 

「昨日、明日香先輩と出くわした後。

あたしがどうなったか、知りたくないですか?」

どうなったか、って?

血の気が引く。

なんか、いやなことがあった?

勇人がキレた、とか。

「明日香先輩が逃げるように立ち去ってすぐ、久我さんに振り払われて。

 “すみません、つい”って、謝ったら。

ぎろって睨んで……力なく“いや、いい”って。

“また、やっちまった”って。

舌打ちして、頭を抱えてました」

そうだよ。2回目だもん。

一葉ちゃんが、勇人の腕に絡ませる現場を見たの。

 

「しばらく久我さんは、明日香先輩が消えた店の奥を睨み続けてたんです。

そしたら、お店の方が顔を覗かせて……

久我さんを確認しているようでした」

京香さんだ。

“不機嫌なイケメン?”って、訊かれたとき。

「久我さんは黙ったまま、じっと待ってたんです。

だけど、待っても明日香先輩が出てこないって悟ったんでしょうね……

“帰る”って。

お店を出てしまいました」

一葉ちゃんは? 

そう、訊いたら。

「あたしは置き去りです。

明日香先輩に遭遇したから、ジュエリーショップに行く理由はなくなって」

 

頭に渦巻く疑問。

そうだ。

どうしてここに勤めてるって知ってるんだろう?

待ち伏せしてたってことは、一葉ちゃんが知ってるってことで。

じゃ。勇人も知ってる、のかな?

「どうして会社がわかったの?」

瞬きをして、呆れたように肩をすくめる一葉ちゃん。

「だって昨日、旅行会社に入ってきたとき自分で名乗ったでしょ?

“お世話になります。【キュリオ】の三和です”って。

しかも。

胸に抱えてた封筒に思いっきり社名が」

あ。そっか。

 

「久我さんは、書類を渡して自分の用事が済んだんでしょうけど。

あたしは旅行の申込でしたから、まだ時間がかかって」

苦笑いを浮かべる一葉ちゃん。

「じゃあ、ひとりで電車に乗って帰ったの?」

【プロムナード】は駅前にあるから、電車でも不都合はないけど。

「来るときも電車で。

旅行会社に集合でしたから」

当然でしょ? 

そう言いたげな一葉ちゃんの声音に顔を上げて。

そのとたん、甘いフラッシュバックにくらくらした。

 

目に映るものすべてが、ゆらゆら歪む。

初めてのデート。

不機嫌なメール。

〈朝、アパートまで迎えに行く〉

〈現地集合で、結構ですよ〉

〈車で迎えに行くから。……返信不要〉

「久我っちね。

“助手席は明日香専用”って、ずっと公言してるの。

車通勤じゃないから、久我っちの車って社内の誰も見たことないし。

“乗せて”なんて誰も言ってないのに」

ノリコさんの言葉に、ぽろりと涙がこぼれて。

勇人……

会いたいっ。

憚ることなく、嗚咽をもらした。

 

「昨日、旅行代理店のカウンターにいる間も。

明日香先輩が出てきたら……

誤解を解かなきゃ、

その前に謝らなきゃ、

それより。

なんて声を掛けようって」

自称、負けず嫌い。

勝ち気で気丈な一葉ちゃんの声が、ふるえている。

「だけど、昨日は結局会えなくて。

今日お昼休みにLQに相談して、ここで待ち伏せたんです」

わなわなふるえる唇。

への字に下げた眉、睫毛をふせて。

「明日香先輩、本当に申し訳ありませんでしたっ」

涙を頬に伝わせて、何度も頭を下げる一葉ちゃん。

 

「もう、いいの。

いいんだよ、一葉ちゃん。

私が弱かっただけ」

一葉ちゃんの両手をぎゅっと握って、顔を覗きこむ。

弾かれたようにびくりとふるわす肩を、そっとハグして。

「ありがとう、一葉ちゃん」

感謝を言葉にした。

会おうと思ってくれたこと。

すべてを話してくれたこと。

謝罪の気持ちを表してくれたこと。

すごく勇気がいることだもん。

 

さてと、と。

からっとした美和さんの声に、湿っぽい空気が変わった。

「再会を祝して、ごはん食べに行こっか」

「立ち話もなんだし、ね」

「うまこの懺悔も聞けたし」

「バンビちゃんも許してくれたし」

ん? と。

眉をよせた一葉ちゃんが、怪訝そうな声をもらした。

「うまことバンビ……

それって。

二人合わせると馬と鹿。

もろ、馬鹿コンビじゃないですか」

顔を見合わせるLQと私。

わっ、ほんとだっ!

はしゃぐ私たちに呆れ顔の一葉ちゃん。

だけど。

バカよばわりされているカタワレの私の喜びように、少しずつ表情が緩んで。

一緒に声を立てて笑った。

 

「社内でも“うまこ”って呼んでるんですか?」

ゆうべ、京香さんと来たダイニングバー。

昨日よりちょっと広めの個室に通されて、気になっていたことを訊いた。

だって。

うら若き乙女に“うまこ”って。

キャラ的にも、ムリがあるし。

「ううん。

お昼休みだけ。

就業時間内は“土屋さん”って呼んでるよ」

「でもね、土屋っていう苗字がどうしても距離を感じさせるの」

「うまこパパの顔とコネ入社がちらつくでしょ?」

 

だからね、と。

美和さんは、にたりと笑って。

「明日香ちゃんと久我っちが、元に戻れたら……」

私と一葉ちゃんの顔を交互に見て。

「“一葉”って、呼んであげる」

そう宣言して、私にウインク。

一葉ちゃんの瞳に宿る切実な期待。

「お願いします、明日香先輩」

芝居がかった雰囲気に、また緩む涙腺。

 

別れ際。

神妙な顔の美和さんに、手をぎゅっと握られた。

「バンビちゃん。

今日のこと、久我っちには絶対内緒よ。

“余計なことすんな”って釘を刺されたの」

「余計なことじゃないのに。ねぇ?」

頷いて、ふと気づく。

勇人が私の勤務先を知っているのなら、この現場を見られる可能性だって充分あるはず。

急に挙動不審になった私に、目配せしてにんまりするLQ。

「久我っち、今日から出張なの」

「だから。

“鬼の居ぬ間”プラス“善は急げ”ってことで、今日待ち伏せしたんだもん」

そう、でしたか。

さすがLQ、抜かりない。

 

「昨日の状況のままじゃ、明日香先輩はきっと誤解します。

だけど久我さんは、そこまで考えが回らないみたいで。

邪魔されないように、こちらを脅すように釘を刺して。

俄然奮起して、もう次の策を練っているようでした」

ひゃあ。

俄然奮起で次の策って……

怖いよ、勇人。

私、すごく怒られそうな気がする。

ちゃんと誠心誠意謝るけれど。

「勇人って、自分の目標を見つけたら……」

ため息まじりに呟いたら、LQの瞳がきらーん。

「「「「猪突猛進、一直線っ!」」」」

一糸乱れぬ、完璧なカルテット。

6人揃って、笑い声をあげた。