のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】第1話 噂のイケメン

 

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【ヒミツの時間】第1話 噂のイケメン


立花麻衣20歳。

社会人1年生。

覚えることがいっぱいで、

話題に取り残され気味。

 



 

【ヒミツの時間】第1話 噂のイケメン

 

 

 

プロローグ

 

 

「……充電完了」

 

―― 今日も、また ――

 

彼は、耳元で囁く。

私は何も言えない。ただ、俯くだけ。

とくとくとすごい速さで打つ鼓動を宥めるため、大きく息を吐いた。

彼はくすりと笑ったみたい。

そしていつものように私の背中をつぅっと撫でて、そっと離れる。

極度の緊張から解放された安堵感と、すっと冷える身体を覆う寂寥感。

頬は熱く、背中は冷えて。

 

 

 

毎週水曜日。17時50分。

6階の休憩室に併設された給湯室で。

もう半年間も。毎週欠かさず。

彼は、私をハグする。

後ろから、私の後頭部に頬を寄せて。

覆うように私を包んで、両手を私の前で組む。

触れているのは頭と背中と肩だけ。

 

 

 

 

シンジョ

 

中学校から短大まで女子校育ちの私、立花麻衣(たちばな まい)。

厳しい就職戦線をくぐり抜け、大手イベント企画会社【Felice(フェリーチェ)】から内定をいただいた。

たくさんの男の人。少しだけどきどきしながら迎えた入社式。

社長の言葉に、感動した。

「景気の悪化の中、厳しい状況なのは否めません。

しかし、当社では収益不足を人員削減で賄うことはいたしません。

よい仕事はギスギスした環境ではできないからです。

収益不足はみんなで補填しあう、と臨時役員会で決定しました」

つまり、補填する対象は社長以下全社員の報酬、給与のこと。

役付に応じて、痛みを分け合うとのことだった。

背筋がぴんと伸びた気がした。

社長は口にはしなかったけれど。

だからこそ立派な社会人となり、よい仕事で貢献しなさい、と背中を押されたようで。

 

 

 

カフェ経営、野外フェス、ホテルイベント、デパートのフェア、地方イベント、学園祭の、ハード事業。

ネット広告、音楽配信を手掛ける、ソフト事業。

【Felice(フェリーチェ)】の事業はかなり多岐にわたり、手広く展開されている。

この東京本社以外に、北海道、名古屋、大阪、福岡に支店があった。

私の所属は、東京本社 人事部 新人女性社員研修課。

―― 略して「シンジョ」――

 

 

 

男性社員は、いろんな部署を経験し、おのずと得意分野へと進む方法をとっている。

いわゆる、体で覚えるってことらしい。

一方の女性社員は……

男女雇用均等なんて言われて久しいけれど、やはり結婚・出産の壁があり。

女性社員は、どうしても勤務期間にブランクが生じてしまう。

効率的な配属のため、適性を見極める。

急な退職により業務が滞ることのないよう、補充人材を育成。

この2点から、本社の女性社員は入社後、必ずシンジョ所属となる。

 

 

 

最短6か月、最長2年の研修期間に、各部署のアシスタント業務をこなす。

シンジョ課長の新堂香里(しんどう かおり)さんのもとへは、営業・企画・広報・総務・人事・経理から依頼メールが毎日届く。

資料まとめ、文書作成、データ入力という補助的業務。

それらの仕事を新入女性社員に割り振り、配属先を見極めるのが香里さん。

例年半年で配属が決まるのは、受付と秘書課。

デスクでは得られない【現場】を、肌で感じなければならない部署。

 

 

 

【シンジョの鬼】と呼ばれる香里さん。

彼女のどこが鬼なのか、私にはわからないけれど。

的確な指示と、明確な指摘。

美人なのに、庶民的。

サバサバしているけれど、ガサツじゃない。

色っぽいけれど、誰にも媚びない。

「新堂課長」と呼んだら「香里さんって呼んで」と微笑まれた。

香里さんの適性評価は、かなり的を射ているらしい。

 

 

 

噂のイケメン

 

〈本社にすごい人気のイケメンがいるんでしょ? 

高橋課長と、榊(さかき)課長〉

入社して2か月、名古屋支店に配属された同期の女の子から社内メールが届いた。

(高橋課長と榊課長。……って、どの人?)

お昼休み、6階の休憩室でお弁当を広げる香里さんに尋ねると、空気が凍った。

「それって、社内メールで訊く内容じゃないと思うけど……」

香里さんの言葉に、シンジョのメンバーがおろおろしだす。

あ、まずい。

気安く香里さんに話しちゃいけなかったのかも。

まさか、鬼降臨?

「ま、そこは新人だし。慣れてきたってことで、大目に見てあげる」

よかった。

1回だけだけどね、と呟いた香里さんの目は笑っていなかった。

 

 

 

「立花さん、ホントに知らないの?」

凍った空気を溶かすように、シンジョの先輩が口を開く。

「2人とも、同じフロアにいるんだよ」

同じ、フロア。つまり5階。

「はい、麻衣。ここで抜き打ち小テスト」

香里さんの声に、ぴくんっと体が振れる。

「それぞれのフロアに所属する部署を答えなさい」

あわわわわ。

 

 

 

「えと、1階が当社経営のカフェ。

2階が資材管理部と、受付。

3階が総務、経理、庶務、人事。

4階が社員食堂。

5階は営業部と、企画部と……人事部シンジョ。

6階がこの休憩室と、社員専用の会議室。

7階が来客用会議室、秘書課。

そして、8階が社長室と役員室、です」

指を折りつつ、ゆっくり答える。

「はい、合格」

香里さんの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。

そんな私を横目で見て、「ま、とーぜんだけどね」と笑う香里さん。

 

 

 

「香里さん、どうして人事部本体は3階なのに、シンジョだけ5階なんですか?」

答えながら、あれ? と思ったことを訊いてみた。

「業務上、5階だと都合がいいの

営業と企画はメールじゃ埒が明かないってすぐ呼びつけるんだもの。

同じフロアならめんどくさくないでしょ。あたし、が」

香里さんが舌を出す。

空気がふわりと和んだ。

 

 

 

和んだ空気がそうさせたのか、は定かじゃないけれど。

シンジョのイケメン談義が、怒涛のごとく始まった。

完全に乗り遅れている、私。

同期のコも結構社内の人を把握しているみたい。

入社2ヵ月、まだ6月なのに。

遅れを取り戻そうと、必死で耳を澄ます。

ああ、メモ帳を持ってくれば良かった。

 

 

 

みんなの口に上るイケメンは、名古屋の同期が噂していた二人が中心で。

茶髪で笑顔の営業部の高橋課長。

黒髪でクールな企画部の榊課長。

聞けば、彼ら以外にも社内にイケメンはいるらしい。

なのに、なぜ二人の人気が突出しているのか。

「出世街道まっしぐら、その上30ちょい前の独身だからでしょ」

首をかしげる私を見かねて、香里さんが呟く。

その言葉に、私以外のシンジョメンバーがうんうんと頷く。

 

 

香里さんが言うには――

「次、付き合ったら『結婚』だって、みんな思ってるからじゃない」

「香里さんって、そのイケメンツートップと同期なんですよね?」

同期のヒトミちゃんが、すかさず聞く。

……てことは。3人は同期で、同じ年? 

びっくりして香里さんをまじまじ見た私に。

「違うわよ、あたしは短大卒だから、アイツらより2つ下」

ま、四捨五入すれば30だけど、と。自嘲気味に薄く笑う。

「あの二人って、彼女いるんですか?」

身を乗り出すヒトミちゃん。今、目がきらーんって光った。

香里さんは肩を竦めて、さあ?と返す。

二人とも、彼女がいるのか、いないのかは判別不可能らしい。

そこがますます人気を煽っている、とのこと。

 

 

 

以下、シンジョメンバーの噂をまとめると。

 

高橋課長は、別名【営業のプリンス】。

甘い顔立ちに、とろけるような笑顔。

物腰がソフトで、語気を強めたこともない。

レアアイテムは、怒り顔。

「心配されて、本気で怒られてみた~い」と、先輩のミカさん。

高橋課長は、皆に平等に優しく、そして、平等に線を引いている。

フランクに距離を詰めるのに、いざ近づけば、さらりとかわす。

そのくせ、想いをよせてくれる女性のプライドが傷つかないようにと、細心の注意を払う。

女心を弄ぶ悪魔。フェミニストの鑑。賛否両論みたい。

 

榊課長は、【企画のエース】。

切れ長の瞳に、シャープなフェイスライン。

眼光鋭く、仕事も完璧。

レアアイテムは、笑顔。

「自分だけにニコって笑ってもらえたら。きゅん死!」と、同期のヒトミちゃん。

榊課長は、高橋課長とは対極らしい。

女嫌いの噂が立つほど、女性と接するのを避けている。

幼少のころから(?)騒がれすぎて、女性に辟易しているのだそうだ。

そんなところが、かえって女性の関心を引いてしまい、榊ファンは急増中。

今のところ、秘書課のアケミさんが猛アプローチの甲斐あって一歩リードなんだとか。

 

 

 

「麻衣は男嫌いなの?」

嬉々として語るシンジョメンバーに唖然としていたら、香里さんが耳元で囁いた。

ふるふる、とかぶりを振る。

嫌っては、いない……と思う。

お兄ちゃんがいるから、男の人ってどんなのか大体わかってるもん。

「じゃ、女子校育ちだから、かな。

びっくりしてるみたいだけど、これがフツー、だよ」

これが、フツー、なんだ。

 

 

 

「女子校でも『他校の誰々クンが~』とか、言わなかった?」

どうだったかな? 首をかしげる私に、香里さんが困った顔をする。

「じゃ、あんまり興味ないんだ。オトコのコに」

はい、まあ、と頷いた。

興味がない、というか……。

嫌いとまではいかないけど、やっぱり苦手、かも。

理由はわかってる。

キーワードは、合気道、暗い夜道、加害者はどっち、みたいな。

 

 

 

学生時代はホントに楽しく、女の子と過ごした。

カレシのいるコはいたけれど、ホントに数えるほどで。

すごいね、なんて噂はしつつも、焦るわけでも憧れるわけでもなかった。

社会人になってからは仕事に翻弄されて、周りを見る余裕なんて、ない。

「まあ、ね。業務に支障が出るほど、きゃいきゃいするのはまずいけど。

とりあえず『人間』として、興味は持とうね」

おっしゃる通り、デス。

頷くよりほかない。

「みんな。お昼休みは、麻衣を絡めて女子トークしてやって」

免疫つけないと心配だから、と。

香里さんはシンジョメンバーにウインクした。

もしかして。

打ち解けられない私への配慮、かもしれない。

 

 

 

「それとさ、前から気になってたんだけど。

みんなさ、立花さんなんてかしこまらないで、麻衣って呼んだら?」

さりげなく、話の流れって感じで切り出す香里さん。

「馴れ合いすぎはダメだけど、今後はみんなファーストネームで呼び合うこと」

私もちょっと気になっていた。

名前で呼ばれるコと、苗字で呼ばれるコの違い。

 

 

 

シンジョに同期のコは7人。

入社間もなく先輩と仲良くなれるコもいれば、緊張してしまうコもいて。

私は明らかに後者。

気取ってるつもりも、ましてや悪気もないけれど。

気さくに話しかけていただいても、第一声は「はい」から始まってしまう。

タメ口なんて滅相もない。

壁を作っているのはわかっていたけれど、もはや壊すタイミングがわからない。

だって、ずっと女子校で。

先輩は遠巻きに憧れ、尊敬する存在だったし。

 

 

 

「毎日一緒にお弁当を食べてる仲なんだしさ」

シンジョメンバーとは、毎日この休憩室でお弁当を食べる。

シンジョのうちは社食ではなく休憩室で。

そして、同じテーブルを囲むというのが暗黙のルールのようだった。

「それに……シンジョでいられるのは短いんだから」

香里さんの言葉に、空気がしんみりする。

もう、すぐだ。

先輩方は配属先が次々と決まっている。

そして入社半年を迎える10月には、同期の中にもシンジョから旅立つコがいる。

 

 

 

「だから、同時期にシンジョに在籍したことは忘れちゃいけないと思うの」

うんうんと頷く、メンバー。

「同じ釜の飯、じゃないけど。きっと離れてもどこかで繋がれるはずでしょ」

休憩室でお弁当、はそのため。

「困ったときに、部署の垣根を越えて助け合える“仲間”であってほしいのよ」

うるうる、きてしまった。

「やだ、麻衣。なに泣いてんの?」

香里さんがからかう。そういう香里さんだって、瞳がうるんでますよ。

「立花さん、じゃなかった、麻衣ちゃん。今度噂の二人を教えてあげるね」

話しかけるだけでも緊張してしまっていたシンジョの先輩と、ちょっと距離が近づいた気分。

 

 

 

「ほら、麻衣。あれが榊課長だよ」

「あそこで笑ってる人。営業のプリンス、高橋課長」

集中して入力している時に、教えてもらっても。

一度に二つのことができない私は、どうしてもワンテンポ遅れてしまって。

いつも、通り過ぎた彼らの横顔と背中をちらっと見るくらい。

そんなトロい私をかわいそうだと思ったのか、先輩も同期もなにかと気にかけてくれるようになって。

シンジョメンバーから、「麻衣はウブ子」とか「純粋培養ちゃん」とか呼ばれ、すっかり可愛がられキャラになった。

喜ぶべきか、恥ずべきなのか。

 

 

 

 

氷の榊

 

「うわ、今年も来た」

梅雨の中頃、入社3か月が過ぎた6月、香里さんが声を上げた。

心なしか、げんなり気味に聞こえるけれど。

「はい、みなさ~ん。エースから依頼です」

「エース?」と言いながら顔を上げるセンパイ方。

そしてすぐさま「なんだ、依頼か~↓」とぼそりと呟き、香里さんから目を逸らす。

「我こそは、という方。立候補を募りま~す」

香里さんの言葉に、硬い空気が漂った。

「香里さん、依頼の場合は『エース』じゃなくて『氷の榊』でしょ」

隣の席にいる先輩のミカさんが香里さんにつっこむと、センパイ方が深く頷く。

 

 

 

挙動不審なセンパイ方と、意味不明な会話。

一生懸命考えた結果、閃いた私。

話に加わろうと開いた口が、災いをもたらすなんて。

「あ、そっか。

エースって榊課長のことですもんね」

エース=氷の榊。

つまり、依頼主は企画部の榊課長。

「え、でも、どうして『氷』なんですか? 

それに、なんだか空気がどんより……」

「はい、立花麻衣。立候補、ね」

シーンとしている中、ひとり喋ってしまった私。

すかさず香里さんから指名が入る。

 

 

 

「麻衣、がんば」

視線を合わせてくれないミカさん。

そして、まるっきり心がこもっていない「がんば」

頬が引き攣る。

「私、なにか、とんでもないことになってます?」

焦ってミカさんに囁く。

トロい私でもさすがに気づいた。

「今年の生贄は麻衣ってこと。

年に一回の定例行事だから、潔く諦めて」

生贄? 諦める? 

うそ、目眩が……。

「麻衣~。メール転送したからよろしく。

読んだら説明するから、指導室へカモン」

見上げると、指導室へ向かう香里さんの背中。

拒否権、なし。

 

 

 

恐る恐る開いた転送メール。

「え? ふつう、ですよ」

添付ファイルは手書きの企画書らしきPDF。

伏せ字が多いのは重要機密の企画だから。

書き殴ってはあるけれど、読めるし。

これをPCでデータ化するだけ、だよね。

「うん、ふつうだよ。全然大丈夫。

……だと思うでしょ?」

ミカさんが私のPC画面を覗き込んで、小さく呟く。

 

 

 

「去年の生贄は、私」

眉間に皺を寄せ、自分を指差しているミカさん。

「毎年この時期にシンジョの中に使い物になるコがいるか、テストなの」

テスト。

呟く私を、ミカさんはちらりと見遣って。

「自慢みたいだけど、毎年デキの良い子が選出されるのよ」

新人の私から見ても、確かにミカさんは、一期上のセンパイ方の中でも群を抜いて処理能力が高い。

「ミカさんはそうでしょうけれど、私はたまたま口が災いして……」

 

 

 

「麻衣は今年のトップよ」

言い切るミカさん。

冗談ですよね、とミカさんを覗き込んだ私に、ミカさんは真顔でホントだよ、と頷いた。

そう、かな? 

私、トロいのに。

「でも、どんなに優秀でもムリ。

氷の榊は注文が多いし気難しいんだもん」

麻衣、蒼褪めてるよ、と笑いながら、ミカさんは私の手を優しく包んだ。

「だから、ダメでもともとなんだよ。

落ち込む必要はまったくなし。

気楽に受けな、ね」

はいぃ、と力なく頷く私の頭を、ミカさんはそっと撫でてくれた。

「大丈夫。ちゃんと慰めてあげるから」

 

 

 

指導室の扉の前で、深呼吸。

「麻衣? どうぞ」

ノックしようとした瞬間、指導室の中から聞こえた香里さんの声。

行き場を失ったグーをひらひらほどいて、ノブを回す。

「ノックに勝る盛大なため息ね。ミカから訊いたの?」

はい、と言いかけて、急いでかぶりをふる。

「ため息ではなくて、深呼吸です。

覚悟はできました」

頼もしいわね、と香里さんはくつくつ笑う。

「まぁ、ね。榊は細かいよ。

どっちでも同じじゃんってキレるコが毎年いるの

シンジョ・パニックって言って5階じゃ有名よ」

涼しく笑う香里さん。

「シンジョ……パニック」

塗り固めた覚悟が、からからと乾いた音を立てて崩れそう。

 

 

 

「ミカなんてさ。

榊がオンナ嫌いだから、ワザと難癖つけてるんじゃないかって。

超キレてた」

確かにシンジョ・パニックで、榊ファンは減るだろうけど。

ワザと、ではないよね。

「でも、その緻密な企画書で、榊は企画のエース張ってるからね」

その通りだ。

頷く私を満足そうに見た香里さんは、何事も経験よ、と概要を説明し始める。

慌ててメモを取る私。

 

 

 

「まず添付に沿って、パワーポイントで資料作成。

一旦あたしがチェックして榊に渡す」

「はい、パワポですね」

素直に返事をしながら、パワポ、ちょっと苦手、なんて思う。

「すぐに赤で修正が入るから、やり直し」

1度目のやり直しは決定事項だから凹まないで、と、さらりと言う香里さん。

「榊は紙で返却してくるから、それ見て2度目のチャレンジ」

はい、と返事をして、香里さんの次の言葉を待つ。

……しばし、顔を見合わせたまま、沈黙。

「以上よ」

あ。以上、でしたか。

意外と単純明快。

「では、そのやり取りが何回も続くんですね」

重箱の隅をつつくように、「ここが違う」「あそこはやり直し」って細かいダメ出しがあるのだろう。

そして、例年のシンジョ・パニック。

 

 

 

「続かないわよ。そこでおしまい」

おしまいってことは、ジ・エンド。

毎年2度目の提出後、簡素なお断りメールが香里さんに届くらしい。

「一言だけ。〈却下〉ってくるの。

説明する時間も勿体ないんでしょうね。

歩みよる気も、育てる気もないから、バッサリ切って自分でやっちゃう。

こっちもムカつくから、受けたくないけど。

選り好みはよくないし、いつか鼻を明かしてやりたいし」

そう逡巡する香里さんの気持ちが、痛いほどわかる。

「榊も意地悪してるわけじゃないと思うの。

忙しいんだもの。アシスタントは喉から手が出るほど欲しいはず」

女嫌いとか、ワザと、なんかじゃない。

 

 

 

「アイツの企画は、データの結晶だから。

榊が納得できるアシスタントがいればって、あたしも思うもの」

榊課長とツーカー、とまではいかなくても。

ある程度のレベルの感性を持ったアシスタントでなければ、意味がないのだろう。

エースが心置きなく任せられるアシスタントがいれば、もっといい仕事ができる。

入社式の社長の言葉が蘇る。

私、会社に貢献したい。

「妥協しては、いけないんですもんね。私、精一杯やってみます」

私の言葉に、一瞬だけ驚いた顔をした香里さん。

そして、期待してるわよ、と唇の端を上げた。

 

 

 

攻略法

 

「今までの榊課長の企画書ってありますか?」

シンジョブースに戻りPDFをプリントアウトしてざっと目を通した後、香里さんに尋ねた。

「極秘文書だから、廃棄処分ね。本人のパソコンにはあるでしょうけど」

そっか、と肩を落とす。

参考のために、ちょっとだけ見たかったんだけど。

「怖気づくんじゃないかと思って見縊ってたけど、麻衣、本気ね」

茶化すミカさん。

ミカさんは、去年〈却下〉で一蹴された。

こんなに能力がある先輩なのに。

「ミカさんの力を以てしてもダメだったんなら、私じゃ到底無理ですもん。

だから、敵を知ろうかと策を練ったんですが、玉砕です」

離れた席で、香里さんがくすりと笑った。

 

 

 

「……データができたら1度見せてくれる?」

呻くように絞り出すミカさん。

あ、はい、と頷く。

「私、どこがダメって榊課長から指摘されたわけじゃないから、的確なアドバイスなんてできないけどさ。

もしかしたら、役に立つこともあるかもしれないし」

「ホントですか? あの、ありがとうございますっ!」

プライドを傷つけられたんだから、ミカさんだって本心では思い出したくもないはず。

それなのに、関わってくれるだなんて。

いつの間にか、香里さんが私とミカさんの間に立っていた。

呆れたように興奮する私を見下ろしている。

「ミカ、お願いね。

あたしもバックアップするから。氷の榊に一矢報いましょ」

 

 

 

1度目のデータを作成し、香里さんにおそるおそる送信する。

そして、指導室にミカさんと私が呼び出された。

依頼されたPDFと、作成データのプリントアウトを見ていただく。

「え……これ。

麻衣が作ったの?」

ミカさんが絶句する。

「<企画書 テンプレート パワーポイント>で検索して似たものを使わせていただいちゃいました。

自分で一からだと時間が掛かると思って」

ズルじゃん、って言われるかも。

首を竦める。

「なるほどね。パワポのプロかと思ったよ」

意外に頭いいじゃん、と若干失礼な発言をする香里さんに、ミカさんが笑った。

「……怒られませんか?」

オレの企画にテンプレート使うなんて、いい度胸してるじゃないか、なんて。

烈火のごとく怒ったりして。

笑わない人が怒ると、すごく怖そう。

「いいんじゃない?

テンプレートって実際使ってよかったから公開してるんだろうし。

このほうがしっくりくると思う」

 

 

 

「そうか、テンプレね」

香里さんが感心したように、もう一度呟く。

「他のは、ワードもエクセルもベースができてるもんね」

確かに。

依頼される仕事のほとんどは「この資料の日付と名前を全て変えて」とか「これに数字を打ち込んで」とか、ベースファイルが一緒に送信されてくる。

「ミカは、どう思う?」

じっくりと2枚を見比べるミカさん。

ごくり、と私の喉が鳴る。

「いいと思います。

強調したい部分も、バンと目に入るように作成してあるし」

頷きながら、敢えて言うなら……、とミカさんが続ける。

「後はカラーですかね。

企画内容が伏せ字ですから、夏か冬かもわからない。

寒色系と暖色系の両方作ってみたら印象が違うと思います」

お、いいわね。と香里さんが笑顔を見せる。

ミカさんもにっこり笑った。

 

 

 

「じゃ、麻衣。カラー2種類で再送信してくれる?」

はい! と香里さんに返事をして、ミカさんに顔を向ける。

「ミカさん。

ありがとうございます、色々と」

色々と? 訝しがる香里さんに説明した。

「ミカさんがダメもとだよ、って勇気づけてくれたから、吹っ切れました」

それに、と澄ました顔を作って続ける。

「 “豪勢に” 慰めてくださるそうなので、すごく楽しみで」

豪勢に、なんて言ってないでしょ~、と苦笑いを浮かべるミカさん。

 

 

 

その後、ミカさんは業務に戻り、私だけ指導室に残された。

「麻衣、上出来よ。

OKが出るかどうかはわからないけど、例年に比べたら格段にいいわ」

顔がにやける。

テンプレートのおかげ、なんて麻衣は言ってたけど、

ホントはパワポ結構勉強したんでしょ」

ばれましたか、と笑う。

ワードやエクセルと違って、パワポは馴染みが薄いから市販のマニュアル本を買って参考にした。

作ってみると面白くて、テンプレをとっかえひっかえしては、にまにまして。

あ、これは勉強って言わないけど。

 

 

 

「ミカに対してもフォローできたし、ありがとね」

お礼を言われて、ぽかんとする私。

ミカを立ててくれたんでしょ? 訝しげに訊く香里さん。

そんなつもりはなかった、私。

「もしかして、無意識? 

ミカが対抗心メラメラなのも気づいてない、とか?」

そんな対抗心なんて。

だって、ミカさんは……。

くちごもる、私。

「そうよね。

麻衣はそういう小細工できるコじゃないんだよね。

なんか、調子狂うな~」

呟きながら天井を仰ぐ香里さんに、私は少なからずショックを受けていた。

私は、ミカさんに救われた。

香里さんにそれが伝わらないこと。

そして、香里さんの調子を狂わせるくらい扱いづらい、私。

 

 

 

「ミカはね、ちょっと難しいの、扱いが」

悪いコじゃないのよ、と慌てて付け加える香里さん。

「優秀、だからこそ打たれ弱い。

自分を追い込むし、褒められても素直に取れない。

配属先を決めるのもちょっと難航してて、ね」

正式な辞令が出るまで、本人にも明かされない配属先。

表面上は変わりなくても、6月の終わりともなれば、もう、ほとんどの先輩の行き先が決まっているらしい。

「そんな……。

ミカさんは、あれだけデキる人ですもん。

引く手数多(ひくてあまた)でしょう?」

私の疑問に、香里さんは歪んだ笑顔を見せた。

 

 

 

「あのコ、自分のミスも、他人のミスも許せないと思うから。

今回だって。

麻衣が〈却下〉されなかったら妬んじゃうはずよ。

そして、そんな自分にまた苦しんで」

悲しく、なる。

そんなに自分に鞭を打たなくても、

罪悪感に傷つかなくても、いいのに。

「でも、ミカさんは……笑ってくれました」

豪勢に、って言ったとき。

苦笑いだったけど、嘘は、なかった。

「麻衣も、配属先に注意が必要ね」

ミカとは別の意味でね、と香里さんは小さくため息をついた。

注意が必要、という言葉に、うな垂れる。

 

 

 

「どうしてシンジョがあると思う?」

こんな時にも出るんだ。

香里さんの抜き打ちテスト。

「適性を見極めるため。

それから、補充人材の育成。です」

「模範解答なんて要らないの、小テストじゃないんだから」

呆れたように笑われた。

「女性社員はグループもできやすいし、雰囲気が悪くなりやすいの。

無視なんてかわいい方よ。

根も葉もない噂をメールしたり、

ネットに個人情報を晒しちゃう、とか」

言葉に詰まる。

ホントにそんなことがあるんだ。

学生じゃない。

社会人なのに?

 

 

 

「特にオトコ絡みは凄まじいわよ。

ま、オトコ絡みは、基本、麻衣は関係ないでしょうけど」

はい、まあ。そうですね、と俯く。

「それと、さっきからあたしの言葉に凹んでるみたいだけど。

これでも、一応、褒めてんのよ。

麻衣の素直さとか、純真さをね。

注意が必要っていうのは、麻衣が傷つくことを心配してるの」

びっくりして香里さんを見上げた。

視界に映る香里さんの顔が揺れてる。

また泣く~、と笑われた。

「麻衣がそのままでいられるような会社にしなきゃ、シンジョの鬼が廃るわね……」

信じるって難しいね、と香里さんは淋しそうに笑った。

「女子社員に対して、警戒しすぎる自分が、恥ずかしくなる」

 

 

 

「お昼休みを一緒に過ごすのも、そのためなの。

プライベートも筒抜けだし、素がわかるからね。

極力目の届く範囲に置いて、性格を把握するのが私の仕事。

あそこの課には合わなさそうなお局様がいる、とか。

このコはあの部署の社員が好きみたいだからまずいかな、とか」

そう、なんだ……

「“仲間”なんて言って、麻衣をうるうるさせちゃったけど、ごめんね。

でも、あれも嘘じゃないよ」

俯く私の頭をぽんぽんする、“シンジョの鬼”の仮面を被った優しい香里さん。

「麻衣みたいな素直なコは、ココロが喰われちゃう。

でも、逆に。いい風穴になるのかも。

ミカのあんな顔、初めて見たもん」

香里さんは嬉しそうに呟いた。