のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】第2話 きゅんとくるしぐさ

 

第2話 きゅんとくるしぐさ



憧れと尊敬は、榊課長の"企画書"に
 だって、ウブ子×女性嫌いだもん

 

【ヒミツの時間】第2話 きゅんとくるしぐさ

 

憧れと尊敬

 

私の中で【氷の榊】は覆された。

緊張しつつ、初めて榊さんの企画書作成を手掛けて1週間。

当然のごとく、朱入りの企画書を返却された。

綺麗な右上がりの字で書き加えられた朱の多さに、凹みながらも。

数ミリ単位の配置、図形の細かな相違点のみならず、フォントやフォントサイズまで。

朱入りの指定どおりに修正した企画書は、もはや「見やすい」なんていうレベルではなく。

「芸術品だ……」

修正した企画書を手に、ため息をもらす私。

香里さんが、おなかを抱えて笑った。

 

 

 

「笑わないでくださいよぉ」

私はバカみたいに感動していた。

「だってほら、香里さん。

心にこう、なんていうか、迫るというか……」

その感動がうまく言葉にならなくて、もどかしくて。

「伏せ字のくせに。

目がどんどん追っちゃう感じ。

魅入られちゃう感じ、しませんか」

押し付けがましくなく、すっと入ってきて企画に取り込まれる。

そんな気がした。

「榊の企画書って、行動心理学ってやつ取り入れてるらしいの。

なんか難しいこと言ってたけど、よくわかんない」

行動、心理学。

初めて聞く名前に、どきどきした。

伏せ字部分に文字を入れた、企画書の完成品を見てみたい。

 

 

 

「榊課長って、データ化してるのが誰かっていうのは知ってるんですか?」

浮かれて、ついヘンなことを口走った。

訊きながら、答えは自ずとわかっていたのに。

「知らない、っていうか。

興味、ないでしょ」

そうだ。

榊課長は、氷の榊。

作った人間に興味なんてない。

企画書を無碍に却下して。

却下された人の心を慮ることは、ない。

「今まで訊かれたことないし。窓口は私だし。

どうして?」

「出来上がった企画書をちらっとでもいいから見たいな、と……。

すみません、調子に乗りました」

 

 

 

給湯室の受難

 

入社から3か月経った7月1日。

私たちシンジョ1年生は試用期間が満了し、晴れて本採用となった。

「は~い。本採用おめでとう」

軽いノリで、本採用通知を渡していく香里さん。

採用式での社長の言葉にピリリと張りつめていた空気が、ふにゃりと緩む。

「さて。

本採用となったあなた方に、新しいお仕事です。

詳しくは採用通知の背後に隠されているプリント参照」

新しい、お仕事。

香里さんのトラップにドキドキしながら、採用通知の下のA4用紙に目を移す。

「〈夕方のお掃除当番表〉?」

「はい、そうで~す。

曜日や場所の変更は一切受け付けません。

その表の通り、粛々と行うこと。

なお、初回限定で前任者から引き継ぎあり」

先輩たちの、肩の荷が下りたような顔。

ちょっとだけ不安が募る。

 

 

 

基本、お客様の目に入る場所のお掃除は、プロにお願いしている。

2階の受付、エレベータ。

7階と8階はフロア全部。

でも機密事項が点在するオフィスや、社員用の場所は当番が決まっていて。

オフィス、廊下、各階の水回りは、朝のお掃除時間にそれぞれ全社員が担当する。

それに加えて、入社3か月過ぎた7月1日からシンジョ1年生には、毎夕のお掃除が課せられるということらしい。

各階の給湯室と、6階の休憩室プラス給湯室。

分担は香里さんの一存で決められる。

 

 

 

私は水曜日、6階の休憩室と給湯室の当番。

毎日お弁当を食べている場所。

前任者は、ミカさん。

5階のオフィスからワンフロア上の6階へは、階段を上った方が早い。

ミカさんと一緒に6階へ上がった。

椅子の数でいうと、50脚の休憩室。

6階には、ほかに1グループ用10脚の小会議室が3ルーム、

30脚の中会議室が2ルーム。

そして、150脚の大会議室がある。

大、中、小の会議室と廊下は、朝の清掃のみ。

 

 

 

前は社食が大混雑だったらしいけれど。

最近は、男女問わずお弁当を持参する社員が増えたらしい。

ランチタイムには4階にある社員食堂と同じくらい賑わう、休憩室。

終業時間間際の6階は、昼の喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返っている。

「水曜日なら、比較的、業務も立て込まないし。

よかったね、麻衣」

引き継ぎをしながら、ミカさんが笑顔を向ける。

「みんなホッとした顔してたでしょ? 

シンジョの夕方掃除って、結構気を遣うんだよ」

ちょっとでも掃除残りがあると、シンジョにクレームが来るらしい。

「特に6階は利用する社員が多いから、頑張って」

小さくガッツポーズをするミカさんが嬉しくて、はい、と元気に返事をした。

 

 

 

お掃除手順や、ポイントを教えてもらっていると、休憩室の外に人影が。

「あ。あの人たち、ここを使うんですかね」

私の言葉に、ミカさんは渋い顔を見せた。

「シンジョのチェックよ。気にしないで」

チェック。

ああ、掃除残りのクレームの。

あんなにたくさんの人が、点検するんだ。

これは。気合を入れなくちゃ。

ちゃんとキレイにしないと、香里さんの顔に泥を塗ることになっちゃう。

 

 

 

次の水曜は、一人で6階に上がった。

メモを見て思い出しながら、お掃除していると、また外に人がいた。

あれ……先週よりも多いような。

掃除担当が一人だからチェックも厳しく、といったところかも。

最初が肝心だしな、ガツンと言ってやろう、みたいな意気込みが感じられて、すごく緊張する。

遠くから見ていた彼らは、次第に距離を詰めてきて。

唐突に話しかけられ、肩がビクンとなる。

聞かれたことに、一生懸命答えて。

それでも手は疎かにならないよう神経を使って。

サボってた、なんて言われたら、悔しいし。

そのうち、波が引けるように全員いなくなって、ほっと息をついた。

緊張した~。

 

 

 

「麻衣。お掃除中、休憩室に誰か来たりしてない?」

翌日、香里さんに訊かれた私。

どぎまぎしながら、はい、と答える。

やはり、チェックに引っかかりましたか。

指摘されたところは素直に受け取って、今後に活かせばいいのだ、と顔を上げる。

「それって、オトコよね? 

どんなヤツ? 

名前、わかる?」

「……ん、まあ。

男の人です。

どんな人かは、覚えていません。

というわけで名前も知りません」

そう答えると、鬼の形相で舌打ちした香里さん。

「すみ、ません」

相変わらず、人に興味がなくて。

小さく、小さく縮こまる。

だって、少し怖かったんですもん。

5、6人来て、それぞれ話しかけてくるから。

なにが地雷かわからない。

男の人って急に大きな声出すし。

 

 

 

「そいつら、なんか喋ってた?」

香里さんは、たたみかける。

う~、と唸り、思い出しながら答える。

「端末とスマホを掲げて、充電させて、とか。

ちょっと気晴らしに来ちゃった、とか。

名前はなにちゃんっていうの? とか」

言い方は悪いけど、正直、緊張しすぎてお掃除の邪魔だったりする。

「端末? くっそ、営業かッ!」

香里さんは、くわっと叫んで営業のブースに向かった。

なんて、お下品な言葉遣い。

憧れの香里さんが……。

シンジョの鬼を目の当たりにしてしまった。

あれだ、あれ。

般若。

あれに似てた。

すごく、怖かった。

 

 

 

翌週からは誰も来なかった。

きっと、香里さんの一喝で一掃されたんだろう。

それからというもの、毎週水曜日の夕方、掃除のために6階の休憩室プラス給湯室に向かう。

テーブルを拭いて、ポットを片付け、椅子を整え、カーペットにコロコロ。

給湯室の生ごみをコンポストへ投入。シンクと蛇口を磨いて……。

最初は、ええっと、次は……、なんて、わたわたしていたけれど。

そのうち、毎週のルーティンだからか、考えなくても動線に沿ってささっと動けるようになった。

「水曜日当番なんて、麻衣は損だね」

同期ミユキちゃんの言葉に「?」が浮かぶ。

「月曜はさ、ハッピーマンデーが多いから、結構楽だよ」

なるほど。

当番の回数に差があるから、損ってこと、ね。

「でも、気分転換になるし。

蛇口をピカピカにするの好きだし」

そう答えたら、笑われた気が、した。

 

 

 

きゅんとくるしぐさ

 

再提出後、榊課長から〈却下〉のメールが来たという連絡はなかった。

もともと、急ぎの仕事をシンジョには頼まないだろうし。

「どうでしたか?」なんて訊くほど自惚れてはいない。

そして、香里さんを困らせるほど、おこちゃまじゃない、つもり。

ダメなのは、わかっているから。

当事者がぼぉっとしているのを見かねてか、ミカさんがお弁当を食べながら香里さんに訊いてくれた。

「香里さん。麻衣が送った例の企画書データ、どうだったんですか?」

ん? と香里さんは卵焼きを頬張った。私をちらりと見て、口をもぐもぐ動かす。

「ああ、あれね。まだ返事来ない。榊、ちょっと忙しいみたい。

いろいろが影響してて、企画が通りづらいのよ」

ため息をつく香里さん。

 

 

「夏こそイベントの時期だけど、

節電を考えれば、早朝、野外あたりしかないですかね」

同期のサキちゃん。

あ、そうだ。

冷房に頼らずに涼しくなるイベントを考えてみたら……。

「クールイベントなんてどうですか? 

テレビで観たんですけど、冷やしシャンプーが人気なんですって」

私の言葉に、冷やしシャンプー? とみんなが口々に訊く。

「メンソール配合ですぅっとするんですよ。

シャンプーも冷蔵庫で冷やしてあって、ドライヤーも冷風なんですって」

「麻衣ってば。

冷やしシャンプーって、おっさんぽい」

話を断ち切る、香里さん。

あ、あれ? 

私、浮いてる?

 

 

 

「麻衣はさ、女子トークに励みなさいって言ったでしょ。

はい、お題出すから、みんな巻き込んでやって」

そうね、と顎に手を置き、考える香里さん。

「好きな男性のしぐさを、おのおの麻衣に熱く語ってやって」

私、そんなに変なこと言ったかな。

「麻衣は、ぼ~っと聞いてちゃだめよ。

後でレポート提出だから」

なにかイベントを、って考えて……。

涼しそうでいいなぁって思って……。

鼻がつうん、と痛む。

 

 

 

「あたしはね、ネクタイを緩めるとこ、かな」

香里さんが口火を切る。

「ああ、わかります。

あと、ワイシャツの袖のボタンを留めてるときも、きゅんとくる!」

「わたしは、メガネ男子に弱いんで、メガネをくいって上げるとこ」

「わかる~。

あとさ、いきなりメガネ外されると、目が離せないよね」

最初は、黙り込んだ私に気を遣っているように見えたシンジョメンバーも、ノッてきたのか、次第に声が大きくなる。

「定番ですけど、車をバックさせるときの左手!」

……?

なんでしょうか、それは。

「私は声。

低くてハスキーだと、もう、きゅんきゅんッ」

それはしぐさじゃないでしょ、という声が遠くで聞こえた。