のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【もとかれ】第13話 赤い糸

 

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【もとかれ】第13話 赤い糸



 

【もとかれ】第13話 赤い糸

 

よっちゃんの尋問

 

「恋に恋する乙女だった明日香がさ。

“彼氏ができた”なんていうもんだから、由香里は狂喜乱舞して。

はしゃぎムードに乗っかって、猛アタックしたわけ。

由香里の心が、8割方ぐらついて。

“よっしゃイケるぜ”ってガッツポーズしたところに……」

勇人と私を、恨めしそうにじとっと見つめるよっちゃん。

「……別れた、って。

由香里に縋りついた明日香が、わんわん泣くから」

テーブルにあごを乗せて、ひとこと。

「振り出しに、戻った」

そのままテーブルに突っ伏したよっちゃんは、ピクリとも動かない。

 

「でも。由香里ちゃんは、私を突き放したよ。

“甘やかしすぎた”って」

そうだよ、あの時。

“明日香可愛さに、つい手を掛け過ぎちゃったみたいね。

助けを待ってるだけじゃ、だめなの。

自分が動かないと、世界は変わらないわよ”

まっすぐ私の目を見つめた由香里ちゃんは、瞳に強い光を宿らせて。

自分に言い聞かせるみたいに、きっぱり言い切った。

のろのろと顔を上げたよっちゃんは、拗ねた瞳で私を見上げて。

「それは、俺が諭したからだよ。

後がなくなって、決死の覚悟で臨んだんだもん。

由香里に響かないなら、縁を切ろうって」

その決意に、血の気が引いた。

 

「と、いうわけで……」

よっちゃんの目が、きらーん。

「この場で、俺にぜんぶ白状しろ。

なんで別れて、今こうなってんのか。

今日再会した割には、きっちりもとさやに納まってるし。

別れなきゃなんなかった理由は何なのか。

頭脳明晰な俺にも、さっぱり理解不能だからな」

いちいち入れ込む自慢がウザーい。

「職場参観は、俺の独断だけど。

よりが戻った件は、由香里に報告する」

腕を組むよっちゃんに、慌てて取り縋る。

「待って!

あのね、私が報告するから、よっちゃんは……」

「手を引け、ってか?」

あー。うん、と。

薄ら笑いを浮かべて頷いたら、ぶんむくれ。

 

「やだね。俺がどんだけ振り回されたと思ってんだ。

俺には聞く権利がある!」

それにな、と。

囁き声で、辺りを窺うようにきょろきょろ視線を動かして。

「明日香、このまま帰ったら。

どえらい……つか、ドエロい目に遭うぞ」

ばっ、なに言ってんのよ。

「どうせ、俺のこと警戒してんだろ? 

由香里の耳に要らないこと入れるだろう、って」

熱い頬を押さえて、大きく頷く。

だって前科がありすぎだもん。

「んなこと、しないってば。

明日香と久我がうまく行けば、俺にとっても都合がいいんだよ。

俺らは、一蓮托生。運命共同体だよ」

どうする? と。勇人に訊くと。

 

「オレは別にかまわない。

勝手に都合のいい話をでっち上げられても迷惑だし」

それに、と。

甘く見つめる勇人。心なしか頬が紅いけど……。

「こいつの言う通り。

このまま明日香を連れて帰ったら、話なんかできない。

喋んのも、眠るのだって、もったいないからな。

反省も、謝罪も、約束も、なし崩しで。

別れたことなんか、なかったことにする気満々だし。

でも、そういうのいやだろ?」

え。あ。……ん?

なんか、いっぱい引っかかるところがあるけど。

このまま勇人のおうちに泊まったら、とんでもないことになるのは決定事項のようで。

さっきの約束、早まっちゃった気がする。

 

「じゃ。洗いざらい白状しろ。

まず! なんで別れた?」

もう、やだ。取調室の刑事キャラだ。

「もうちょっと、柔らかめに訊いてよ。

デリカシーのカケラもないっ」

睨みつけたら、気圧されたようにキャラ変更。

「しょうがないじゃん。

俺にとっての明日香って。

大事な将をオトすための“馬”にしかすぎないんだもん」

「馬? うまこ……」

思わず、呟いてしまった。

隣にいる勇人が聞き逃すはずもなくて。

 

「あ? 

明日香。あいつらに会ったのか」

ごめんなさい、LQ+一葉ちゃん。

ばれちゃいました……。

「なんだよ、お前らバカだな。故事成語だぞ、今の。

杜甫の前出塞九首、其六だよ。

“将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ”っていう……」

「もう、そんなの……わかってるってば!」

杜甫のなんちゃらは知らないけど。

的外れなところで威張るよっちゃんに、八つ当たり。

 

LQと一葉ちゃんは、勇人に何も伝えていない。

私の誤解を解いたことも。

勇人への想いも。

“余計なことするな”って勇人が釘を刺したから、言えるはずがないんだけど。

だからこそ。

ちゃんと私から伝えなくちゃ。

あの時、なにを想って離れたのか。

どれだけ後悔して、苦しんで、反省したのか。

そして。

勇人の想いも知りたい。

勇人の口から。勇人の言葉で。

 

「オレさ」と。

私を……私だけを見つめたまま囁く勇人。

“新入女子社員をアシスタントにする”って。部長に言われた時。

すっげ―反発した。

教育なんて、自分の仕事に支障をきたすだけだし。

しかもオンナだ。

“言い方がキツい”だの、“意味わかんない”だの、文句言うに決まってる」

それって。

私の入社前……の、話?

“将来、上に立つ人間として研鑽が必要だ”って、部長は譲んなくてさ。

まーな。

いつまでも、自分の仕事だけやってればいいってもんじゃねーし。

組織の中でやってくなら、そういうことも必要か、って。

渋々受けたんだよ」

うん、と。頷く私。

 

「そんで。

オレんとこ来たのが、お前。

どっちも苗字で、どっちも名前みたいな……

三和、明日香。

初めて会ったときには、もう……やられてたんだと思う」

う、そ。

颯爽とクールに現れて。

黒い前髪から覗く切れ長の瞳にときめいたのは、私なのに。

「“明日香って呼んでもいいか?”ってのが、その証拠。

オレはLQのヤツらを名前では呼ばない。

明日香以外は、“おい”とか“こら”とか“そこの”って呼んでる」

そう言えば……

美和さんと三和がごちゃまぜになるからだ、って思ってたけど。

名前で呼ぶのは私だけ、だった。

 

「ある程度、知識があって。

説明すれば、目を輝かせる。

質問も的確で。

できません、わかりません、なんて口にしない。

指摘すれば、素直に修正して。次はぜったい間違えない。

仕事してるときも、楽しそうにわくわくしてて。

毎日、目が離せなかった」

胸が、とくん。

「他のヤツの世話を焼いてる姿に、妬いて。

自分のもんだって誇示したくて……ガキみたいに焦った。

怖がらせて、泣かせて」

初めてのキス、の時。

きゅうん、と。甘く疼く胸。

 

「明日香は……

“一生そばにいたい”って、初めて思った……大切なひと」

涙がぽろぽろこぼれる。

困ったように笑って、私の頬に手を伸ばす勇人。

ゆっくり目を瞑って……

瞑っ……て。

あれ? ここって、どこだっけ。

「おいおい、お~いっ!」

耳障りな声に邪魔されて。

はっ、と我に返る。

「どっから話してんだよ。

別れたとこから、でいいんだって。

……ったく。油断ならないな」

あ。よっちゃん。……居たの?

 

「あのオンナが、明日香の下に付いてから」

勇人は、よっちゃんを無視して話す。

あのオンナ、って……一葉ちゃんのこと。

「塞いでいく明日香を見るのが、苦しくて。

痩せて、笑わなくなってくのが、悔しくて。

何度もアイツを怒鳴りつけようとした。

でもそれじゃ、その場しのぎの解決にしかなんないだろ?」

うん、と。小さく頷く。

私が強くならなくちゃ、本当の解決にならないから。

「一生そばにいたいと願ってるのに、心を開いてもらえない。

……身に染みてわかった」

「そんな、こと! ないよっ」

思わず声を上げる。

 

心を閉ざしていたわけじゃない。

だけど。

どうしていいか、途方に暮れていて。

由香里ちゃんの言う通り。

いつも先回りしてもらって、甘やかされて。

それに慣れてしまった私は、動けなくなっていた。

助けをただ待つばかりで。

自分が動かなきゃ、なにも変わらない。

なにも変えられないのに。

 

「明日香の口から聞かなきゃ意味がない。

耐えてる姿なんか見たくないのに。

言わせようとしても、ヘンな笑い方でごまかすし。

なんでオレにぶちまけねーんだよ、って。いらいらしてた」

「ごめん……なさい」

俯く私のあごをくいっと持ち上げて、視線をかっちり合わせる勇人。

「謝るなって。

明日香のせいじゃないことに、気づいたんだよ。

オレがその器じゃないんだ、ってな」

そんなこと、ないよ。

首を振りたいのに、両頬を包む手に阻まれる。

 

「だから。

ムリヤリ聞き出すのは、やめた。

包み込んで待つ、って決めたんだよ」

なにか言いかけて肩を落とす、あの頃の勇人。

目に映っていたのに見ていなかった、あの頃の私。

「ごめんね、勇人。

私。自分のことしか見えてなくて。

自分だけ苦しんでる、って。嘆いて。

可哀想な私、って。僻んで。

そんな風に思ってくれてるなんて、知らなかった。

ううん、知ろうとしなかったの。

ほんとに、ごめんなさい」

まったく~、と。呆れた声音。

「お前ら、ちゃんと言葉にしろよな」

あ。ごめん、よっちゃん。……まだ、居たの?

 

びっくりしてよっちゃんを見遣る私に、勇人は小さな笑いをこぼして。

「あん時な。

明日香が泣きついてくんの、毎日待ってた。

そしたら思いっきり抱きしめて、全部吐きださせて。

大げさなくらい、明日香の味方して。

アイツを完膚なきまでに叩きのめして、追い出そうって計画してさ」

ちょっと、待って。

完膚なきまでに叩きのめす、って。

その上、追い出す、って。

……なにする気だったの?

 

こわばる私の頬をそっと撫でる勇人。

「それまで、ぜってぇ動かないって決めた。

アイツを怒鳴りつけたいの我慢して、完無視こいて。

それなのに。

明日香は一人で抱え込んで。

自分だけで毒を濾過しようとして。

結局、毒にやられて」

撫でてた頬を、軽くつままれて。

言っとくけどな、と。

勇人は怒ったような口調に。

「あのオンナの執着は、オレに、じゃねーぞ。

ずっと、明日香だけに向けられてた。

オレに纏わりつくんなら、びしっと拒否したんだからな」

あまりの剣幕に、こくこく頷く。

「うん。わかってる。勇人を疑ったことはないよ」

 

なら、いいけど……、と。

心底、ほっとした表情。

「でもさ。

浅はかだったんだよ、オレ。

進展しない状況に、焦ってて。

明日香を追い込むなんて、気づいてなかった」

はぁ、と。大きく息を吐いて。

天井を見上げる、勇人。

「アイツがオレに触ったときだけ。明日香の表情が歪む。

いつも耐えてるだけなのに、そん時だけ感情がぐらぐら動く。

だから。

それを鬱積させて、爆発させるしかない、と思って」

それで、一葉ちゃんを振り払わなかったの?

 

「嫉妬すると、こっち向かせようって躍起になる。

明日香も含めて、世の中のやつはそうなんだと思ってた。

それ以外の選択肢はなくて」

なん、て……横暴な。

口をあんぐり開けた私をちらりと見て。

「本気で欲しかったんだよ。

オレは、どうしても手に入れたかった。

まわりも、明日香の気持ちも見えないくらいな」

自嘲とも取れる苦笑い。

ふう、と。大きく息を吐いた勇人は天を仰いで。

「だから、まさか。

あんなふうにいなくなるなんて……

想像も、できなくて」

苦しそうに顔を歪め、言葉を詰まらせた。

 

「私だって……勇人の、そばにいたかったっ」

しゃくり上げながら、気持ちを吐露する。

「わかってる。いや、時が経ってわかったんだ。

明日香がどうして何も告げずに消えたのか。

結果的に、それが最善だったこともな」

最善? 

呟く私の髪をくしゃっと撫でて。

「チーム内だけじゃなく部内も、フラストレーションが溜まって……

いつ暴発するかわからないほどの飽和状態だった。

言いたいけど言えないジレンマと。

上は何やってんだ、っていう不満。

元凶に向けられる憎悪の視線」

遠い瞳と痛々しい微笑み。

胸が衝かれる。

 

「限界かも、ってとこで明日香が姿を消した。

最初は、呆然として……徐々に怒りがこみあげてきた。

だけど結局、自責の念に駆られた。

オレだけじゃない。あのフロアの大半が」

自責の念、だなんて。

私が弱かっただけ、なのに。

「オレなんて、部長と社長に食ってかかったんだぜ。

“なんで、明日香を止めなかった? 

その前にオレに確認取れよ”って」

……ごめんなさい、部長。

そして社長、本当に申し訳ありません。

心の中で真摯に謝罪。

二人とも、私の退職は勇人との結婚を機にってことだと思っていたし。

その誤解を逆手にとって、敢えて否定しなかったんだもん。

 

「実際のとこ。

明日香があそこで泣きついてたら……

社内はぐちゃぐちゃになってたはずだ」

叩きのめして追い出す、って言ってたしね。

「1週間経って。

明日香が消えたって状況が呑み込めた頃、な。

フロアの全体朝礼で、部長が伝えたんだよ。明日香の言葉をさ。

“非は全部自分にある。

みなさんは優しいから、引き留めようとするでしょう。

だから、誰にも口外しないでくれ“って」

カッコつけやがって、と。

私の髪をわしゃわしゃまぜる勇人。

 

「怒りに任せて行動しても、明日香が戻ってくるわけじゃない。

そんで、頭を冷やしたんだよ。

感情に任せるんじゃなく、冷静に対応しようって」

優しいまなざしで、ぐちゃぐちゃの髪をそっと梳く勇人。

「明日香の退社っていう犠牲と……

認めんのは癪だけど、LQの綿密な報告書があったから。

社長も毅然と立ち向かったし、アイツの親父も引き下がった。

なによりもアイツ本人が、憑き物が落ちたみたいになってたし。

明日香の言葉が効いたのと。

その、まぁ。お節介ともいえるLQのフォローでな」

勇人ってば、素直じゃない。

LQの功績を、誰よりも認めているくせに。

 

平たく言うと、と。

よっちゃんが割って入ってくる。

「久我の浮気に耐えかねて、明日香が失踪したってこと?」

「なっ、に……言ってんの?」

違うでしょ? もうほんと、やだっ。

よっちゃんなんか、帰ればいいのに。

「殴るぞ、ヨシミネ」

勇人の低い声。

……ん? 

「ヨシミネ? え。吉宗?」

勇人を見上げる私の視界を遮る黒い影……

「だ~れが、暴れん坊将軍だ」

邪魔だよ……よっちゃん。

よっちゃん越しに、驚いた顔の勇人。

「こいつの苗字。吉峰っていうんだろ? 

名簿に書いてあったけど」

あ、っそ。

だから、名簿を見ても気づかなかったんだ……

ふーん。納得。

 

 

 

2本の赤い糸

 

「そ。俺、吉峰 亨(よしみね とおる)。

よろしくね。

……って。おい、明日香っ!

お前、どんだけ俺に興味ないんだよ」

怒ってるっぽいけど、謝らないもん。

「よっちゃんこそ。

由香里ちゃんに取り入るために、私を利用してただけじゃん。

このことは、きっちり報告するからねーだ」

ベーっと舌を出して、憎まれ口を叩いたら。

「別にいいもんね~だ」

真似しないでよ。

ムカつくくらいのすっごいヘン顔で対抗してるし。

 

「由香里には正直にぜ~んぶ話したし。

もう後がないと思ったから、洗いざらい全部。

由香里が好きだから、鬼畜な命令に従いながら見返りを求めてた下心も。

由香里が好きだからこそ、明日香に揺れたらどうしようっていう苦悩も。

由香里が好きすぎて、明日香にかこつけて結婚に持ち込もうとした企みも」

よっちゃんって……ほんとに由香里ちゃんが好きなんだ。

私が勇人と別れたことで、振り出しに戻ったって言ってたっけ。

悪いこと、しちゃったな。

でも、由香里ちゃんって……確か、好きな人がいて。

勇人と付き合った話をしたとき、名前を教えてもらったような……。

 

「あっ! え? 嘘っ」

思い、出したっ!

そうだよ。

由香里ちゃんの好きな人って“トオル”だ。

よっちゃん、さっき名乗ってたよね。ヨシミネ、トオルって。

えー。なんで? なんで、よっちゃんなんだろう。

年下で、わんこみたいで、チャラいのに。

だけど。一途に由香里ちゃんを愛している人。

そばにいて、ずっと想いを伝えてて。

きっと。それが由香里ちゃんに響いた。

恋に恋していた頃の私には、理解不能だった想い。

勇人に恋をして、愛を知って、傷ついて……

再会を経て、また募る想いに身を焦がしている、今の私になら理解できるみたい。

 

でも、教えてあげない。

よっちゃん、ウザいし。

それに。

きっと、由香里ちゃんから伝えなくちゃ意味がないこと。

振り出しに戻っても、きっと……大丈夫。

安堵の息をもらす私に、突き刺さる視線。

大声を出した私を怪訝そうに見る、勇人とよっちゃん。

なんとか、ごまかさなきゃ。

「よ。よよ、よっちゃんって。

苗字に“よ”がつくから、よっちゃんなんだね。

ヨシオとか、ヨウスケとか、そういう名前なんだと思ってた」

「はぁ?」と。

眉毛を上げて、バカにしきった顔。

よっちゃん、やっぱり嫌い。

 

「俺を“よっちゃん”って呼んでんのは、明日香だけ……。

お前の呼び名で行くと、俺の母ちゃんも“よっちゃん”だし。

由香里だって、もうすぐ“よっちゃん”になるんだけど」

ため息まじりの言葉に、心がぴくんと反応する。

「由香里ちゃんが?

だって、振り出しに戻ったんでしょ?」

申し訳ないから、私も応援しようと思ってたのに。

「ん? ああ。一旦は、な。

さっき言ったみたいにさ。

包み隠さずに全部ぶっちゃけて……

それこそ背水の陣で、由香里に真摯に向き合ったら。

ぎっちり、がっちり確約をもらえたの。

雨降って地固まるってやつだよ」

 

「そっか……よかったぁ。

私、由香里ちゃんに悪いことしちゃったって、思って」

ぽろぽろこぼれる涙。

ん? 由香里に?

そう言いながら、よっちゃんは黒い笑み。

あ、はは。ばれちゃった。

「っていうか。

確約を取り付けたから、指輪を見に行ったんだろうが。

バカじゃね~の、明日香」

「バカじゃねーよ」と。すかさず反論してくれる勇人。

「大体な。なんで明日香と見に行くんだよ。

明日香のねーちゃんと行けよ、紛らわしい」

 

「そうよ。

どうして、私と一緒にリングを見に行ったの?

あの時、店員さんを困惑させまくってたんだよ」

こうなったら勇人に言いつけてやるんだから、よっちゃんの悪行。

「よっちゃんね。

私を指差して、店員さんに頼んだの。

“こいつのイメージにぴったりなリングと、真逆なリング2種類見せて”って。

二股かけられてる可哀想な女の子って、思われてたはず。

店員さんから憐みの視線を向けられて、すごーく居心地が悪かったんだよ」

幸せそうな恋人たちの中で悪目立ちする、どよんと淀んだ空気。

「どういうことだ、吉峰」

よっちゃんを睨む勇人。

 

「明日香は、由香里に憧れてる。

だろ?」

う? うん。

頷きながら、よっちゃんに言いくるめられそうな展開に不安が芽生える。

騙されない、と。気持ちを引き締めた。

「由香里の憧れは、明日香そのものだからだよ。

“小っちゃくて、うるうるしてて、抱きしめたくなるようなオンナのコ”なんだってさ」

そう言って私をまじまじと見ると、おぇぇええ、って呻きながら口を押えるよっちゃん。

今に始まったことじゃないけど……よっちゃん、失礼すぎっ。

 

「俺さ。

何度も何度も、めげずに愛の告白を繰り返したわけ。

でも、由香里が躊躇してたのって、まさにそれで。

“私は素直じゃない。ひとりで生きられる鉄の女だから”って。

“もっと可愛い女の子にしなよ”ってさ。

惚れたオンナに、そんな風に思わせてるなんて……

俺って無力で情けないオトコだなって……マジで、泣けた」

鼻をくすんと鳴らしたよっちゃんは、深いため息。

 

「俺はずっと、由香里の強いとこも弱いとこも見てきた。

凛と胸を張って前を見据える由香里も。

俺の胸で泣きじゃくる由香里も。

尊敬して憧れてる、最愛の女性で。

素直で可愛い、最愛のオンナのコなのに」

ねぇ、由香里ちゃん。

よっちゃんは、由香里ちゃんを見てきたんだよ。

ずっと、今まで。

そして。

きっと、これからも。

……義妹の私には、すっごく失礼だけどね。

 

「だから、2つをプロに見立ててもらったんだよ。

いかにも明日香に似合いそうな指輪と、真逆の指輪」

あの時、困惑しながらも店員さんが見せてくれたリング。

私に似合いそうな方は、繊細なレースモチーフに囲まれたハートシェイプのダイヤのキュートなリング。

私と真逆なイメージで選ばれたのは、ラウンドブリリアントカットの1粒ダイヤを立て爪で留めたソリティアタイプのノーブルなリング。

どっちも7ケタの数字が並んでた。

「で? どっちにしたの?」

よっちゃんのことだから、突拍子もないオーダーして失笑を買いそうなんだけど。

半分ずつ組み合わせてよ、とか。

 

「両方、買ったけど?」

澄ました顔でさらりとのたまうよっちゃんに、目を瞠る。

「すごく、お高かったよね」

まさか。2つとも買っちゃうなんて。

「愛は金額じゃね~けどな。

ま、俺にとったら、どうってことないさ」

あ。そうですか。

さすが人気講師でギャラも破格なだけありますね。ぴぃちゃんセンセってば。

「シンプルな方はいつもつけてて、って。

ハートの方は俺の前だけにしろ、って。

念を押して渡したんだよ」

ふぅん。なるほど。

可愛い由香里ちゃんは、よっちゃんの前だけでってこと。

由香里ちゃんは紅い頬で嬉しそうに頷いたはず。

 

 

 

お義兄ちゃん

 

「久我。

未来の義兄として、お前に言っとくことがある」

にやにやする私に、ピースして。

よっちゃんは、勇人に視線を向けた。

「お前らの色恋沙汰に、口をはさむつもりはない。

勝手にうまくやってくれ。

由香里が安心できれば、俺はそれでいいの。

なによりも、由香里が一番だから」

あごを上げて、よっちゃんを睨み返す勇人。

言われなくても勝手にうまくやるさ、って。

まるで挑発するような態度。

 

「ただな」と。

よっちゃんは、勇人の挑発を躱すようにトーンを下げて。

「今後お前らがどうなっても、俺と由香里は一緒になる。

だから。

だめなら、遠慮しないで別れていい」

ふん、と。鼻を鳴らす勇人。

だけど……ちゃんと伝わってるよ。

よっちゃんの言葉に隠された、優しさ。

義兄として、私たちの交際を認めてくれていること。

私が由香里ちゃんに泣きついたせいで、一度破談になったことも許してくれて。

その上で。

自分たちの心に正直になれ、っていう力強いエール。

 

「だけどさ……

できれば、明日香を末永くよろしく頼む」

そう言って、よっちゃんは頭を下げた。

よっちゃん……。

鼻が、つぅんって痛くなる。

「俺にとって、明日香は可愛い妹で。

由香里と同じように、心配して見守ってきたつもり。

海外出張中の由香里から“明日香の様子を見て”って頼まれたのは、ほんと。

突き放してみたものの、姉が妹を想う気持ちは変わんないからさ。

だけど、職場参観までは頼まれてない。

明日香がいつまでもしょげてるんじゃないか、吹っ切れずに泣いてんじゃないかって、心配で。

いわば、俺の独断なんだ」

由香里ちゃん……よっちゃん……

 

「久我なら、可愛い明日香を任せてもいい」

よっちゃんは、まじめな顔で。

「ケイコちゃん、ジュンコちゃん、レイコちゃん。

それから、本日已む無く欠席のヨウコちゃん。

偶然出会っただけなのに……

“どうにかしなきゃ”って。4人は久我のために動いた。

それってすごいことだよ。

それだけで、久我は信用に足るやつだって確信した」

よっちゃんの言葉に、大きく頷く。

 

「それに」と。

よっちゃんはウインクをして。

「明日香が悩んで、久我に言えなかったこと。

あれを明日香が悪いって責めるんじゃなくて……

“自分の器が小さかったからだ”って、言ってくれたこと。

それが一番、響いた」

よっちゃんの言葉に、涙が頬を伝う。

「……ありがとう、久我。

そんなふうに、思ってくれて」

 

それは、よっちゃんも同じ。

意地っ張りな由香里ちゃんの言葉に、落胆して怒るんじゃなくて。

そう思わせている自分が情けない、って。泣いてくれたんでしょ?

私たち姉妹は、ほんとに幸せ。

じぃんと胸にしみわたる。

愛する人に、芯まで深く愛されて。

一度ほつれかけたのに。

前よりも強く縒り合わさった……2本の赤い糸。

 

お騒がせしました、また来ま~す、と。

店員さんにへらへら笑いながら軽く挨拶したよっちゃん。

だけど。ダイニングバーを出たとたんに、真剣な声音。

「由香里には、ちゃんと報告するよ。

“久我なら、明日香が幸せになれる”ってさ」

いや、違うな、って。

眉間にしわをよせて。

「“久我じゃなきゃ、明日香は幸せになれない”って伝える」

そう言って、にかっと笑顔。

さんきゅ、と。

勇人は照れたように笑って、よっちゃんに握手を求めた。

がっちり結ばれた二人の拳に、涙があふれる。

 

「ありがとう、よっちゃん。

あ。じゃなくて……えーと。

ありがとう、お義兄ちゃん」

おにいちゃん、だなんて。ヘンな感じ

でも、慣れていかなくちゃ。

「今まで迷惑かけてごめんなさい。

ふつつかな姉ですが……

由香里ちゃんを、どうぞよろしくお願いします」

ふつつかなのは由香里じゃなくて、明日香だろ?

そう言われるのを覚悟したのに。

よっちゃんはぎゅっと私の手を握ってくれて。

うんうん、って。涙ながらに頷いた。