のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【もとかれ】第6話 波乱と喧騒

 

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もとかれ 第6話

 

【もとかれ】第6話 波乱と喧騒

 

波乱の春

 

―― 2年前 ――

4月を迎えて、私に後輩ができた。

設計部には11人。その内、CADチームには3人が配属。

ありがたいことに、忙しい職場で。

だからこそチームリーダーは、即戦力として男性社員を希望したらしい。

だけど。3人のうちの1人は女の子。

その女の子が、土屋一葉ちゃんだった。

驚いたのは……私立短大文系卒。

しかも、かなり有名なお嬢様系の学校で。

その上、一葉ちゃんの指導役は、入社2年目の私。

何もかもが、異例づくめ。

 

「うちの取引会社のね、専務のお嬢さんなんだって」

だからといって……文系卒で設計に配属なんて。

「理系男子と結婚したいって、コネで入ったらしいの」

それって……いわゆる、お婿さん探し?

「明日香ちゃんの下につけるべきじゃないね、あのコは」

はいぃ……大役すぎ。私だって新人なのに、指導なんて難しそう。

「でも、明日香ちゃんみたいな新人に育って欲しいから、って。

部長直々に指示があったんでしょ?」

え? 私みたいに……? 

やだ、そんな。って、照れてる場合じゃなくてっ!!!

噂だから、半分差し引いたとしても、とんでもないプレッシャー。

 

「明日香。

なんでこれ両方とも、ネジを切ってあるんだ?」

勇人からの怒号に、チーム内の視線が注がれる。

慌てて勇人のデスクへ。

……やっぱり。

修正したのに、修正前の部品図データをプリントアウトしてる。

5月。

ぎちぎち、と。チーム内の歯車から響く不快な音。

小さく、ため息をついて。

「すみません。すぐやり直します」

勇人は私を責めない。

チーム内のみんなも、一葉ちゃんを見て肩をすくめる。

不協和音の発生源がどこなのか、わかっているから。

だけど……私は一葉ちゃんの指導係。

彼女の失敗は、私の責任で。

 

 

「一葉ちゃん、ちょっといい?」

はぁ? と。

不満そうな態度に、若干ひるみながらも。

「タップ加工した部品の相手は、バカ穴だからね」

設計の世界では、常識的な言葉。

一葉ちゃんにも何度も説明した。

部品と部品の接合に使用されるネジ。

板と板をつなぐ場合、一方の板にはタップ加工といってネジを切る……

つまり、ギザギザのネジ穴を作る。

けれど、もう一方の板には。

ネジの外形よりも大きくて、つるっとしたタップ加工なしの穴を開けなければいけない。

このネジのギザギザがない穴のことを、通称“バカ穴”って呼んでいて……。

一葉ちゃんへの説明、これで何度目だろう。

だけど、メモを取るわけでもなくて。

不安だから、マニュアルを作って渡したんだけど。

 

「M3のネジ穴なら直径3.2のバカ穴っていうのがウチ基準だから……」

“この間のマニュアルに書いてあったでしょ?”

言いたい言葉を飲み込んで、ひっそり息を吐く。

「バカってなんですか?」

急に声を荒げた一葉ちゃんに、チーム内の空気がざわめく。

「あたし、入ったばっかりなのに。

一度の失敗で“バカ”なんて、ひどすぎますっ」

え。あの。違うよ。

おろおろする、私。

それまで、説明しても聞き流しているみたいに反応がなかったのに……

初めて返ってきた言葉が、的外れな逆ギレで。

 

思考の似た先輩方に囲まれて、阿吽の呼吸でスムーズに回っていたオフィス。

予想外の反撃に、私は言葉を失うばかりで。

だけど、あの時。

諦めともとれるため息を、私がもらさなければ。

そして、私が毅然とした態度で接していれば。

きっと、変わっていたはず。

時間を置いて冷静に思い返すと、自分の未熟さに身が縮まる思いがした。

私も設計に関しては、無知だった。

タップ加工だって……

“両方ネジの方が、きっちりがっちり締まりそうなのに”

入社したばかりの頃呟いた私に、勇人がくすくす笑ったっけ。

“頭で考えんな。そういうもんだって覚えとけ”って。

どうして、勇人のように笑顔で冗談めかして教えてあげられなかったんだろう。

噂に惑わされて、プレッシャーを感じすぎて、ガチガチだった。

 

その日のお昼休み。

LQに頭を撫でられて。

「明日香ちゃん、災難だったね」

居心地のいい先輩に、固まってた心がほろほろほどけた。

「でもすごいね、あのコ。

計算しつくしたタイミングと、注目を集める声のトーンでさ」

わかってくれていることに、安堵して。

「“バカってなんですか?“って、ね。

そこだけ聞くと、明日香ちゃんが“バカ”って叱ったみたいだもん」

蒼褪めた。

きっと、一葉ちゃんの声は設計部のフロア中に届いたはず。

チーム内の人には状況が掴めても……部長の耳にはどう響いただろう。

「“一度の失敗”って……

一度じゃないだろ、って。みんなツッコんでたよ」

笑い声の中。

私は自分のことばかり考えていた。

どう思われただろう、誤解されちゃう、って。

 

その頃。

一葉ちゃんはきっとひとりぼっちのお昼休みを過ごしていた、はず。

自分のことで精いっぱいで、気にも留めていなかった。

私、指導係だったのに。

自分は先輩方にあんなに可愛がられたのに。

私が心を開かなかった。

歩みよる気持ちがなかった。

もっとわかり合う努力をすれば、彼女を追いつめなかったのに。

……そして、それが。

自分をも追いつめて、私自身の首も絞めることにつながった。

噂に怯えるだけで真実を知ろうとしない、臆病な心が。

居心地のいい関係に甘える、怠惰な気持ちが。

慰めてもらうことで、無意識とはいえ被害者は自分だと触れ回るような、狡い態度が。

その日を境に、腫れ物に触るように彼女に接してしまった。

 

 

 

喧噪の夏

 

「明日香。図面データがめちゃくちゃだぞ」

勇人の声は、よく響く。

その度に集まった視線は、一葉ちゃんへ流れて。

当の本人、一葉ちゃんは我関せずといった態度。

慌ててデータを確認すると……

レイヤーの分け方、中心線の色、二点鎖線を使う部分が規定通りではなくて。

部品図を重ねて、組立図を完成させる。

同じ図面に重なっているけれど、法則に従ってレイヤーごとに分けていくのが基本で。

改良や修正がある場合、該当のレイヤーの部品だけ表示して作業できる優れもの。

全てに意味があって、統一しているものだから。

図面としては、失格。

言い訳にならないけど……忙しさのあまり、確認を怠ってしまった。

 

アシスタントって、チームで行う一連の作業のスタート地点で。

部品や購入品をCAD化して、ネジの位置を確認。

それぞれが干渉しないように3Dの感覚で見極めて。

必要なら、荷重強度を解析する。

そんな比較的簡単そうに見えて、基礎の部分だから。

アシスタント業務が滞ると、全体に影響が出て……納期が遅れかねない。

「いいか、明日香。

使えねーヤツに手を出させんな。

板挟みで明日香が潰れちまう」

デスクの下で手を握って囁く勇人に、ドキドキしながら頷いて。

公認とはいえ、オフィスではあるまじき行為。

それを……見られていたなんて。

 

結局。

勇人と私が揃って部長に相談の上、一葉ちゃんには雑務をお願いすることにした。

データの整理、各メーカーの購入品のダウンロード作業。

だけど。

失敗する可能性が高いため、そのデータは使用しない。

信用できないデータ使用でこうむる損害は、最悪、億という単位になるから。

一葉ちゃんに回す業務は、使わない仕事。

ただ、時間をつぶしてもらうだけの。

LQは、“給料泥棒”なんてこっそり揶揄して。

私もどこかで一葉ちゃんを軽んじて、そうやって溜飲を下げていた。

隠しているつもりでも、そんな態度が伝わらないわけないのに。

 

「明日香。現場から依頼。

このザグリ、円形から小判型にしろって。

今までのヤツ全部、な。

とりあえず急ぎの工番から頼む。

力が掛ると廻るっていう可能性が指摘された」

勇人からの緊急業務。

はい、了解ですっ、と。

返事をする私に注がれる、一葉ちゃんの冷ややかな視線。

夏も盛りの頃。

窓の外は灼熱の太陽にじりじり焦がされる季節。

オフィス内の冷房は控えめなのに、背筋が一瞬で凍った。

無言でガタリと立ち上がる一葉ちゃん。

そのまま勇人のデスクへ近づいてきた。

「ちーふぅ、そのお仕事、あたしがやりますよ。

今のお仕事、な~んか退屈で」

ざわめくチーム内。

不穏な空気は設計全体に伝染して。

 

「……明日香。じゃ、頼んだぞ」

勇人は、一葉ちゃんを完無視。

見えないもの、聞こえないものとして、扱った。

唇を噛みしめた一葉ちゃん。

ぐっと私を睨んで、そのまま足音も荒く部長の元へ。

「部長、どうしてあたしの指導係が“あの人”なんですか?

すっごく、やりづらいんですけど」

しんとしたオフィス内に響く、高い声。

「あたし、久我チーフの下につきたいです」

ちぃっ、と。勇人は大きな舌打ちして。

「ふざけんな」

聞こえるように低く呻きながら、乱暴な音を立てチェアにどっかり座った。

 

結局。

一葉ちゃんの願いは、却下された。

だけど。

私と一葉ちゃんの関係が最悪だと、部内に知らしめてしまったわけで。

私は以前にも増して、おどおどと一葉ちゃんの顔色を窺うようになり……

一葉ちゃんは開き直ったように、私に強く当たるようになった。

「明日香先輩って、ちーふが“初めてのオトコ”なんでしょ?」

突然、給湯室に現れた一葉ちゃん。

チームの先輩方のコーヒーを用意していた私は、マグカップを落としそうになって。

どう、して……そんなこと。

「カレシのデスクで手なんかつないじゃって。

指導係なんて笑わせる」

可愛い顔が、悪魔のように歪んでる。

声だって、いつもより低くて。

 

かたかたふるえる指。

ゆっくりと形をなす、抱えていた恐れの正体。

“理系男子と結婚したい”っていう一葉ちゃんの志望動機。

噂を耳にしてからずっと、漠然とした不安が胸の中に立ち込めていて。

心のどこかで、そのターゲットが勇人になるんじゃないかって。

「ふ~ん。

やっぱり初めてのオトコなんだ……」

給湯室はオフィスから少し外れた場所にあるけれど、誰もいないわけじゃなくて。

誰にも知られたくなかった。

一葉ちゃんの興味が、勇人にあること。

勇人の耳に入った時、何かが変わる。

そんな、気がして。

 

「だから。

ちーふは明日香先輩のこと、“重い”って言うんだぁ。

チーム内公認だし、よけい別れられないんですね」

怯えていた心に、涼やかな風がそよいだ。

勇人は、そんなこと絶対言わない。

私に嘘を吹き込んで、内側から壊そうとしている魂胆が透けて見えた。

「ちーふ、一葉のこと“可愛い”って言ってくれたの。

すごく、気になってるみたいだけど……

明日香先輩との仲がそれじゃあ、動けないですよね」

一度吹いた風の前では、一葉ちゃんの嘘はくるくる舞い散るばかり。

怯えの正体を見極めて、彼女の嘘に気づいた私は揺るがなかった。

最後まで……

別れる朝まで、勇人の気持ちを疑ったこともなかった。

 

だけど……

公認の仲と知りつつ、一葉ちゃんはあからさまに水を差す。

まるで、隠れて勇人と会っているかのように、逐一、私に報告。

嬉しさを隠しきれないように、囁いて。

嘘とは思えないほど、具体的に。

一葉ちゃんの狂気じみた言葉に慄きつつも、勇人を想う気持ちは微動だにしなかった。

私が耐えれば、広まらなかったから。

私の前でだけ、ひっそりと続けられていた嫌がらせ。

……そう、あの日までは。

 

人目のあるオフィスでは、業務に関してのみ私に反抗的で。

LQをはじめ、みんなに慰められて、甘えさせてもらっていた。

“長くて1年。うまくいけば半年の我慢”

それがチームの合言葉。

もはや彼女の異動は確実で。

その時期さえくれば、穏便に異動が叶うと水面下で約束されていたから。

みんなが私を支えてくれていたのに、どうしても言えなくかった。

彼女が、勇人に執着していること。

業務上ならともかく、恋愛だけは絡めたくなかった。

勇人を信じているのに、やっぱり怖くて。

二人の気持ちが盤石でも、周りが知ればうねりが起きる。

だって……

“理系男子と結婚したい”

彼女の志望動機は周知の事実だったから。

 

もはや、チーム内はおろか部内、社内まで、彼女にさじを投げていて。

言っても無駄。窘める意味がない。

自己中心的で、反省能力にかけている。

悪いのは周り、だと思っているから。

理系特有の処世術で、みんな“相手にしない戦法”を続けていたけれど。

彼女は懲りたようすも、しょげた風もなく。

かといって、バックに控える自分の親に訴えるわけでもない。

実際、勇人にも近づく様子はなくて。

何がしたいのか、本質的な魂胆が掴めないこと……

それが私を徐々に疲弊させていった。

 

秋めいてきたある日のオフィス。

「明日香。あんま抱え込むな。

オレに……

あぁ、いや」

なにか言いかけて、天を仰ぐ勇人。

なに? と。

訊きかえす気力もなくて、ぼんやりしてたっけ。

それでも、不安を悟られたくなくて。

一生懸命、笑顔らしきものを浮かべてた気がする。

「それ以上細っこくなると……抱き心地に影響する」

勇人の優しい笑顔が歪んで。

つうっと涙が頬を伝った。

 

「ばか。おい、泣くなっ」

私の腕を優しくとって、あの応接室へ。

泣き顔に反応したらしいことに気づいて、足を踏ん張って必死の抵抗。

「ん? オレに反抗すんのか?」

笑いを含んだ声に、ぎゅっと目を瞑って首を振る。

ゆっくり開けた瞳の端に映る、冷ややかで恨みがましい視線。

……一葉ちゃんが見ている。

異変に気づいた勇人が、私の視線を追う。

それを避けるように、勇人を見上げて。

「仕事中ですよ、久我チーフ」

あの時、私。

ちゃんと、笑えてたかな?

 

その日を境に、私は勇人に“ギブ”を伝えた。

ハグとキス、以上になると、どうしてもダメで。

一葉ちゃんの言葉がリフレインする。

―― 初めてのオトコだから、ちーふは明日香先輩のこと、“重い”って言うんだぁ。

チーム内公認だし、よけい別れられないんですね ――

でまかせだって、わかってる。

だけど……。

“初めての男性”

“チーム公認”

それは事実で。

勇人を縛っているのかもしれない、という思いは日に日に強くなっていった。

 

私の“ギブ”に、勇人は怒らなかった。

いつも、あんなに不機嫌なのに。

ベッドの中。

「……ギブ、です」

小さな声で伝えると、頭を撫でて。

「あぁ、わかった」

きゅうっとハグして、おでこにちゅ、って。

「ごめんなさい」

俯く私に。

「素直に言ってくれるほうが、嬉しいんだよ。

一人で抱えるな。

オレは……あー。待つから」

あの“待つ”っていう言葉。

ギブがとけるのを待つ、だって。

そう思っていたけれど。

ただ、それだけ?

言葉の合間に勇人の真実があったんじゃないかな。

ぐちゃぐちゃな気持ちを持て余して……

見逃してたもの。

見失ってたもの。

見ないようにしてたもの。

たくさん、あった気がする。

勇人は、なにを待ってくれていたんだろう。