【ヒミツの時間】 KISSの法則 第46話 謎の美少年
KISSの法則・……誰?
そして、日曜日。
お兄ちゃんは、一日お父さんとお母さんに付き合わされて、観光地巡り。
ユウさんからは土曜日の夜、時間指定のメールが届いた。
11時に家に迎えに来てくれるそう。
拓真さんとは10時50分に待ち合わせ。
迎えに来てくれた車は、前回と同じハイブリッドカー。
運転手さんも、多分同じ女性の方。
「おはよ、麻衣ちゃん、榊さん。乗って?」
え、と。
助手席の窓から顔を出すあの人は……誰?
拓真さんの背中に隠れて、窺い見る。
目深にかぶった黒いキャップ、白いTシャツ。
「あら? 私よ。ユ・ウ!」
……ユウさん?
「今日は本来の格好なんじゃないか?
完全なプライベートだからさ」
拓真さんの言葉に、ほっとして。
「ごめんなさい」と、ユウさんに謝りながら、後部座席に乗り込む。
「いいのよ」とユウさんは笑って。
「男性に見えたなら本望だもの。
美桜に会うために特訓中だから」
拓真さんは後部座席でそっと指を絡めて。
「そんなに苦手なのか、オトコ」
くっくっ、と笑う拓真さん。
「知らない男の人だと思ったから……」
なんだか嬉しそうに見えるけど。
KISSの法則・事前打合せ
「あのね、今日の目的地ってすごく近いの。
歩いて行けるくらいなんだけど、ちょっと事前打合せが必要で。
万が一、相手に聞かれるとまずいから、車の中で話すわね」
車は、図書館の駐車場に入る。
「じゃ、手短に伝えるわね。
相手のオンナの素性はすぐにわかったの。
あの時の事情もほぼ掴めたのよ」
ほんとに?
すごい。
さすがジンさん!
顔がほころぶ。
「でも、『それだけじゃ半分の解決にしかならない』って。
ジンさんは言うのよ。
確かにね。
イオの罪悪感はなくなる。
けど、イオの未来は闇に閉ざされたままだから」
なにを指すのか、詳しいことはわからない。
でも。
半分の解決じゃだめ。
未来が闇に閉ざされたままじゃだめ。
それだけは、わかる。
「今から向かう場所にはね。
ジンさんと、“ある人物”がいるの。
あ。イオを罠にはめたオンナじゃないから、身構えないで」
思わず入った肩の力を緩めて。
ふぅ、と大きく息を吐く。
「その“ある人物”っていうのがね……
イオの『未来を照らすはずだ』って、ジンさんが。
……私は、ちょっと信じられないんだけど」
私はジンさんを信じます。
だって。
弟さんのことも、勇気を出したら解決したし。
KISSの法則・重大任務
「それでひとつ、注意点があるの。
今日の目的はね、麻衣ちゃんと会わせた時の“ある人物”の反応を見ること。
だから、榊さんには、少しだけ我慢してもらいたくて。
その人物の反応を、きっちり確かめたいから」
我慢って……
どういう、意味?
「もちろん、麻衣ちゃんに危険が及ぶことはないわよ。
だけど、思わず口を出したくなるかもしれない。
それを我慢して堪えてほしいの。
……できそう?」
拓真さんは、心配そうに私を見る。
ちょっと、待って。
それって、かなり危険人物の香りが。
「男の人、ですか? その人」
あ~、うん……そうね、と私の質問に答えづらそうなユウさん。
「男の人よ。
ジンさんの予想が当たってれば、麻衣ちゃんに確実に絡んでくる」
知らない男の人に絡まれる……
怖いっ、耐えられない、かも。
でも。
絡まれるってことは、その人がお兄ちゃんの未来を照らす人で。
悪い人なのかいい人なのか、わからない。
「私。頑張ります。
……でも。つい、投げちゃったらどうしよう」
「絡んでくるのさえ、確認できればいいの。
後は、投げるなり……煮るなり焼くなり好きにして。
榊さんは、大丈夫?」
拓真さんを見あげる。
「私、頑張るから。お願い」って、囁いて。
「麻衣が絡まれても、ぐっと我慢すればいいんですよね。
……ベストを尽くします」
安堵の息がもれる。
「その男性が絡んで、ジンさんからOKの合図が出たら。
思う存分、怒鳴り上げて構わないから」
怖い。
何者だろう、その人。
「じゃ、行きましょう」
ユウさんの言葉で、車がゆっくり発進する。
KISSの法則・攪乱作戦とあのおやじの正体
住宅街だから徐行して、角をあちこち曲がる。
……だけど、ここって。
「ユウさん」
拓真さんが、助手席のユウさんに身を乗り出して話しかける。
「わざと、ぐるぐる回ってますか?」
「うぇえ?」
拓真さんの鋭い指摘に、ユウさんは奇妙な声で狼狽えて。
「【Jolly】なら、さっきの角を曲がらずに真っ直ぐですよ」
拓真さんの冷静な言葉に、がばっと振り向くユウさん。
「足立匠は、オレの古くからの知り合いで。
休みになると入り浸ってます」
「あ? え? ああ。そう、なの……」
消化しきれていない表情。
ワケアリのヒミツめいた珈琲館【Jolly】は……
ユウさんと、関係のある場所?
「ごめんね、直接向かって」
ドライバーさんに声を掛けるユウさん。
「『昔馴染みが土日に来る』ってマスターが言ってたのは、榊さんのことだったのね。
じゃあ、先週の日曜は?」
「ええ、お邪魔してました」と、答える拓真さん。
あれ? 先週って。
プロポーズされて……静香さん達が謝罪に来てくれた日。
あの時、確か。
足立さんは「上に許可を取る」って電話して。
「足立さんが電話かけた相手って……
もしかして、ユウさん…ですか?」
「あ。うん。そうらしいわね」と曖昧な返事。
「眠ってたとこ起こされて、記憶にないの……
なに喋ったか、ぜんぜん覚えてなくて。
スマホの着信記録だと、けっこう長く喋ってたことになってるんだけど」
え、嘘。
あー、だめだめ、笑っちゃ。
わかってるのに、ぷっと吹き出して。
拓真さんと二人、大爆笑。
「え~、やだやだ。なに?
なんか知ってるの?」
笑いをこらえて深呼吸。
「大丈夫、何でもないんです。
《今週はいいけど、来週はだめ》って、何度もおっしゃってたそうで。
《来週はだめ》って、今日のことでしょう?
全然覚えてないのに、すごいなぁって思って」
足立さんが言った“あのおやじ、寝ぼけてやがる”が、こだまする。
“あのおやじ”がユウさんだったなんて!
“昼間から酔っぱらって、うい~、っていう中年男性”を想像してたのに。
KISSの法則・決戦の舞台
すんなりと【Jolly】の前に到着。
「設定として、ですけど。
マスターと面識があると、おかしいんですよね?」
ユウさんに訊く拓真さん。
「そうね。初めて来たお店って感じで、入ってほしいの。
それから気になるでしょうけど。
ジンさんと、“ある人物”は、完無視対応で」
「了解です」と、拓真さんは真面目な顔で返す。
「足立さん、驚くぞ」
さっきの真面目な顔はどこへ行ったのか、いたずらな瞳で楽しそうに囁く、拓真さん。
車の中での大爆笑。
拓真さんのいたずらっ子みたいな笑顔。
不安を、少しだけ忘れられたような気がする。
【Jolly】の看板は、扉の横にひっそりと佇んでいた。
ふぅ、と息を大きく吐いて。
ユウさんに続く。
私の後ろは拓真さん。
「いらっしゃい」
そう言った足立さんは、私たちを確認して。
みるみる目を丸くする。
「マスター。こんにちは。
今日は友人も一緒なの、3人よ」
慌てて、ユウさんが取り繕う。
「あら、ジンさん。奇遇ね」
足立さんに案内される私たちと離れて、ユウさんはジンさんのテーブルへ。
「あの人の客って……お前らかよ。
ったく、驚いたな」
ユウさんの嬌声に紛れた、足立さんの低いぼやき。
「こちらの席へどうぞ」
そう指し示すと、小さく「拓真はそっち、立花さんは通路側」と椅子を引かれた。
ジンさん達のテーブルが真正面に見える席の奥に拓真さん、通路側に私。
ユウさんはジンさん達に背を向けて、私たちの正面に座る予定。
つまり。
“ある人物”から一番私の顔が見える位置。
そして、絡まれる絶好の席。
私が通路側に座ることで、拓真さん封じも完璧で。
さぁ絡んでください、という、お膳立てができている。
KISSの法則・プレッシャーとデジャブ
初めて来たお店、の設定だから……いつもの、なんて言ったらアウト。
メニューをじっくり見る。
しばらくして、ユウさんが戻ってきた。
意外とジンさんのテーブルとは近くて。
しかも、既に。
ジンさんと一緒の男性は、こっちを“ガン見”していらっしゃる感じ。
椅子を引きながら、ユウさんは背後の席をちらりと確認。
「すっごい見てる。これは喰い付きそうね。
覚悟はいい?
イオのためだから、平常心を忘れずに、ね」
そう、お兄ちゃんのため。
お兄ちゃんの未来を照らす人なのか、見極めるため。
ふっ、と緊張がほどけた。
その時。
がたん、と椅子の音。
気にしちゃだめ。
だって、あの人は知らない人で。
ちょっと立ち上がっただけだから。
木の床に靴音が響く。
歩いてる、だけ。
トイレかもしれないし、帰るのかもしれない。
こつこつ、と。
大きくなるリズムに鼓動が連動する。
落ち着いて、私。
絡まれるのを待つだけでしょ?
大丈夫、難しくない。
私の斜め前で、靴音がぴたりと止まる。
この場合は、見上げない方が不自然で。
ゆっくり靴を見て、そろそろと視線を上げた。
腕を組んで見下ろす若い男性。
人目を引く、華やかな容姿。
彼はまじまじと私の顔を見つめて。
ゆっくり口を開く。
「俺、レイ。
……お前、名前は?」
か。絡まれてる。
初対面のオトコの人に。
OKサインは、まだ出ない。
これは、このまま審査続行ってこと。
「立花です。……立花、麻衣」
声がふるえる。
「タチ、バナ……。
立花麻衣って、立花伊織の……なに?」
「レイ、失礼だよ。戻りなさい」
レイと呼ばれた男性の背後には、ジンさんがいて。
これは、審査完了のOKサイン。
だけど……言葉が止まらない。
「立花伊織をご存じなんですか?
私は、立花伊織の……妹です」
立ち上がって、彼を見上げる。
背がすごく高い。
ゴールドブラウンの髪。
小さくて彫の深い顔。
瞳は、深いグリーン。
外人、さん?
違うっ……この人。
……私の知ってる人に似てる。
KISSの法則・彼の素性
ふんと、踵(きびす)を返す彼。
待って、という叫びが心の中に虚しく響く。
ぽすん、と。
力なく椅子に腰を落とした。
「大丈夫、麻衣ちゃん?
よく頑張ったわ。100点満点よ」
囁くユウさん。
言葉は聞こえないように。
でも、頭を撫でるジェスチャーは、彼らに見えるように。
絡まれた私を慰めないのは、逆にヘンだから。
「あ……店を出ていくわ。
レイを送って行ったら、ジンさんもここに戻ってくるはず」
ふるえる指を握ってくれる、拓真さん。
扉の音。
「ありがとうございました」と足立さんの声。
「もう行った、大丈夫だ」と拓真さんが呟いて。
緊張がほろっとほどける。
「怖かった? ごめんね、麻衣ちゃん」
拓真さんに肩を抱かれてふるえる私に、ユウさんは問いかける。
水をこくりと飲んで、大きく息をついて。
「……誰、ですか、あの人っ。
ユウさん。あの人、似てますよね?
昔の……お兄ちゃんに」
今は髪も長くて、柔和に微笑むお兄ちゃん。
だけど、ずっと前。
両親が東京を離れた頃。
髪が短くて、お勤めしていた頃だっけ。
疲れた顔で帰ってきたお兄ちゃん……
ううん、違う。
お兄ちゃんの言葉が頭の中でこだまする。
“麻衣が、10歳を過ぎたころ。
ふとした瞬間に見せる女性の片鱗に、背筋が凍るようでした“
そう。あの目だ。
成長した私の中に、芽生え始めた女性を感じて。
忌み嫌い怯えた時の……あの尖った雰囲気、鋭い目つき。
私、あの時のお兄ちゃんを知らなかったんじゃない。
見なかったふり、気づかなかったふりをしていただけ。
レイさんを見て、その頃のお兄ちゃんが蘇る。
あの時のお兄ちゃんと。
今、間近で見たレイさんは……そっくり。
雰囲気も、表情も。
「あのレイさんっていう人が……お兄ちゃんの子供。
そう、でしょっ?」
「落ち着け、麻衣」
拓真さんが私をぎゅっと胸に閉じ込める。
「ユウさん。
あの男の年齢はいくつですか?
彼が実年齢よりも大人びていたとしても、麻衣よりは年上に見えました。
もし、伊織さんの息子なら、麻衣より1つ年下のはず」
拓真さんの冷静な分析に、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「そう、そこなのよ」
ユウさんはため息をつく。
「ジンさんもそこで引っかかってるの。
麻衣ちゃんに会った時、レイの姿が浮かんだんですって。
『気になるからすぐに伊織さんにも会いたい』って、ジンさんが言い出して。
あの晩、イオを【J】に連れてったの」
あ。それって。
罪の中身を知って。
お兄ちゃんになんて言おうか悩んだ夜。
玄関ホールで一夜を明かして扁桃腺炎に……
そういえば、あの時。
“ユウに呼び出されて、行きつけのバーに連れていかれた”って。
お兄ちゃんは言ってたっけ。
「イオに会ったジンさんは、はっきり言ったのよ。
『レイは伊織さんの息子だ』って」
……ほら、やっぱり。
KISSの法則・期待と不安
「だけど。
榊さんの言う通り、年齢が合わないのよ。
レイは今23歳なの。
イオの息子なら20歳のはず……それに名前も違うの」
落胆する。
絡まれた。希望の光は射したはずなのに。
年齢は、偽れない。
「レイはね、私の店で働いてるの。
ゲイバーだけど、女装する美女グループと、女装しない美少年グループがあって。
レイは女装しないのね」
ゲイバーなのに……女装しない。
「どっちも本当はオトコの人ですか?」
そうよ、とユウさんは私の質問に苦笑い。
「イオと私の共通の友人に、メイクアップアーティストの如月晃(きさらぎあきら)がいるのね。
イオも晃の会社に出資してるはずよ」
如月晃って、テレビや映画でメイクのお仕事をする有名な人。
「晃は綺麗なオトコの子を見るのが好きなのよ。
特別な関係になろうとするんじゃなくて、見るのが好きなの」
目の保養、っていうことかな。
「レイは、晃のお気に入りでいつも指名されるのね。
まぁね、レイはうちの人気ナンバーワンなんだけど。
晃に連れられて、イオもうちの店に来て」
だから、レイさんはお兄ちゃんのことを知っていた。
ただ、それだけ。
「だけどね、不思議なことに……
レイはイオの名前を訊いたのよ。
さっきみたいに。
“俺、レイ。……お前、名前は?”って」
確かに乱暴な訊き方だけど、そこに何かおかしなところがあるとも思えない。
「名前を訊くのが、不思議なんですか?
それとも、自分の名前を律儀に名乗るから?」
ぷっ、と吹き出すユウさん。
「そうね、レイはいちいち自分の名前いうものね。
律儀ね、あ~、確かに。
あれはね、ジンさんに言われたからよ。
『人の名前を訊くならまず自分が名乗りなさい』って。
違う、違う、話が脱線しちゃった」
ユウさんはぺろりと舌を出して。
「レイは他人に興味がないの。
お客様の名前も憶えない。
お客様全員を“俺んとこの客”で一括り。
だから、誰の話なのか、さっぱり分かんないの」
接客業、なのに?
「現に、晃は名前を訊かれたことなんて一度もないのよ。
他のお客様も全員そうなの。
なのに、イオには初対面で名前を訊いた。
晃は笑いながら、呆れてたけどね。
それと……」
腑に落ちないような顔でユウさんは続ける。
「レイはことあるごとにイオに絡むの。
絡むっていっても、悪い意味じゃなくて……
懐いてるのよ」
あの、無愛想で威圧的なレイさんが。
柔和な笑顔を見せながらも他人をよせつけないお兄ちゃんに……懐く。
「この間、【J】に連れて行く前も、うちの店で待っててもらったのね。
2時間くらい、イオをカウンターに一人でぽつんと置いといたのよ。
ジンさんの指示でね」
あ、それも。
病院に向かうタクシーの中で言ってた。
“時間指定されたのに、閉店まで待たされた”って。
お酒を飲まないお兄ちゃんは“居心地が悪かったけれど、男の子が話しかけてくれた”って。
「そしたら、レイが後輩を連れてイオに近づいて。
話をしてるのよ。
指名がばんばん入ってて、お客様が待ってるのに!
イオもね、優しい顔して返事をしちゃって」
その男の子がレイさん。
たしか、“榊さんと同じような喋り方をする男の子”って言ってた。
だったら、やっぱり。でも……
期待と不安がごちゃまぜ。