【ヒミツの時間】 KISSの法則 第28話 月曜日の甘い時間
KISSの法則・オトナモード
麻衣、と。掠れる声。
私の瞳を覗きこんだまま。
背中に回した腕に力をこめて、きゅうっとすると。
そろそろと私の背中を撫で上げる感触。
くすぐったいのとは違う、じんとカラダに響く刺激に、ぴくんとなる。
だめ。もうちょっとだけ保って、私の理性。
ちゃんと伝えたいから。
ぼうっと流されちゃいそうな気持を立て直して、言葉にする。
「もし、私が榊課長の依頼に指名されなかったら。
少し、変わっていたかもしれません。
その場合は……今よりお付き合いを始めるのが遅かったかも。
でも、やっぱり、こうやって。
くっついて。
幸せに浸ってるはず、です」
背中を撫で上げた両手は肩甲骨でいったん止まって。
また、きゅって力をこめられる。
目だけで、何か訊かれてる……気がする。
小さく口が動いて。
「イヤじゃないか?」
甘く囁く声。
「イヤなわけない」
見つめ返したまま、小さく首を振る。
「今は?
ずっと抱き合ってるけど、どう思ってる?
ちゃんと、聞かせて」
ちゃんと聞かせて、って言ってるクセに。
左手で支える後頭部。
右手で頬を覆って。
右手の親指で唇をなぞる。
さっきも体験したん、だけど……さっきと違うのは雰囲気で。
尖った唇をつついたついでのコドモモードじゃなくて。
完全なオトナモード。
きっと、わたわたしたら、すっと離れちゃう。
だから、目を逸らさずに小さく口を開いた。
「すごく嬉しい、です。
できれば、ずぅっとこうしていたいくらい。
でも。
もっと深い、本音を言えば……
もっとぴったりひっつきたい、溶けちゃってもいいって……」
待て、と。
結構強めにストップを掛けられる。
もう、せっかく頑張ったのに。
「訊きたいことと、言いたいことは?」
いきなり、すぎて。
えっと、と。考える。
「あるなら5秒以内に言って。
思いつかないなら5分……
いや、10分後にしてくれ」
う、あ? はい、と。
答えるしかない。
KISSの法則・ウブ子の反撃
「オレのこと、どう思ってる?」
そう訊きながら、私の頭をひきよせて頭頂部に、ふにっとした感触。
遅れて、ちゅっと響く甘い音。
「す……。大好き、です」
顔をそっと戻されて、また至近距離で見つめ合う。
「じゃ、覚悟は……できたか?」
覚悟って。
“KISSの法則”の依頼メール、の。
まとめたら、説明はいらない、“実地”で頼むって……
期限は“覚悟”が出来次第って……
思い出している私を現実に引き戻すように。
右の頬に、ちゅっ、てされて。
くらくらしながら、頷く。
「覚悟は……できて、ます」
「へぇ」
ちょっとばかにしたように笑う、榊課長。
絶対。私が怖気づくと思ってる、はず。
コドモ扱いして……もう、悔しい。
榊課長は頬にあてた右手をずらして左の頬にも、ちゅっ。
「でも」
小さく言葉にしたら。
榊課長はびくっと揺れて、不安げに私を覗きこんだ。
「限界は……大丈夫ですか?」
一応、確認しただけなのに。
「言うじゃねーか」と、舌なめずり。
「オレを誰だと思ってる。企画の榊だぞ。
オレ独自のタスク管理表で、ちゃんと限界を見極めてるに決まってるだろ」
オレ独自って。
あのタスク管理表とは別物?
「麻衣との“ひめごと”に関する、“裏”のタスク管理表」
なっ! なんですか、それ。
慌てる私を鎮めるように、前髪をそっとあげて唇をよせる榊課長。
ひゃ、と。思いながら目が離せなくて。
「そんな上目遣いされると、限界なんて、軽―く超えるだろ。
目、瞑れって」
限界っていうキーワードに、慌ててまぶたを閉じた。
おでこに柔らかい感触。
つむじとほっぺよりも格段に長い時間ふれていて。
ちゅうっと、長いキスの音。
その余韻に、目を瞑ったまま、ぽぉっと酔いしれていたら。
閉じたまぶたに、ちゅっ、ちゅっとされて。
「安心して。伊織さんとの約束は守る。
オレを信じて、身を任せろ。
……って、ヤらしい意味じゃなくて」
あは、照れてる。
この隙に反撃しちゃお。
背伸びして、榊課長の頬にキスをする。
私ってば、大胆だ。
ほっぺとはいえ、生まれて初めて自分からするキス。
大好きを形にしたらこうなっただけ。
なっ。てめ、麻衣ッ! と。
顔を紅く染めて慌てる榊課長。
やった! って。心の中でガッツポーズする私を睨んで。
「今ので、どうなっても知らないからな」
小学生みたいな脅し文句。
「自分は、いっぱいしたのに。
1回くらい、いいじゃないですか」
ふてくされて、口答えしたら。
おでこ同士をこつん、と。合わせられる。
「そういう悪い口は、塞がないと、な」
吐息まじりで。
こんな至近距離で。
そんな妖艶な瞳で。
え、あ。うぅ。ごめんなさい。
限界なのは、私。
「……お手柔らかに、お願いします」
上擦った、可愛くない声。
「意味わかって、言ってんだよな」
まじめな声音に、心が震える。
意味って。
キスをお手柔らかにお願いします、ってこと。
だけど。……だって。
大好きなんだもん。
榊課長の出張中、淋しかったし。
アケミさんにも、ちゃんと自分の気持ちを正直に伝えられた。
傷害事件が未遂に終わったのも、私の活躍があってこそ。
ご褒美として。
もう一歩近づいてもいいでしょ、って思うのは。
欲ばり、かな?
うん? と。
あの魔法のひとことで、私をとろかす榊課長。
言葉にするのをためらっていた想いが、とろけて。
「大好き。
だから、もっと近づきたいの。
覚悟なんかとっくにできてるし……
意味もわかってます」
私の言葉に、榊課長は息をのんで。
両手で私の頬を優しく包む。
鼻と鼻をすりすり。
KISSの法則・オトナの余裕
覚悟を決めて。
ふくらみすぎて弾けそうな期待を、なだめながら。
ゆっくり目を瞑る。
ほっぺに、まぶたに、こめかみに。
おでこにも、鼻のてっぺんにも、あごさきにも。
ちゅっ、ちゅっと。
ゆっくりと優しい、気が遠くなるほど愛しさがあふれる、キスの嵐。
ぎりぎりまで来るのに、唇だけスルー。
焦らされて、もどかしくて。ヘンになりそう。
「もぉっ! いじわるしないでっ」
痺れを切らして抗議する。
「オレにキスした生意気な態度と、口答えしたバツだ」
にやりと笑う榊課長。
私はいっぱいいっぱいなのに、榊課長は余裕。
いつまでもコドモで。
追いつけなくて。
……悔しい。
涙で榊課長がゆらゆらする。
しずくがこぼれないようにぎゅっと目を瞑った。
麻衣、と。囁く声。
「わるい。いじめすぎた」
苦しそうな声に、慌てて目を開けたら。
その拍子に涙がほろり。
親指でそっと拭いながら、私の耳元に口をよせて。
「愛してる」
そう囁いて。
優しく見つめて。
――キス――
唇に、やっと。
焦らされすぎて。嬉しくて。
愛してる、って言葉に、胸を震わせて。
色んな感情がごちゃまぜで。
ぽろぽろ涙があふれる。
ちょっとだけふれて、すぐ離れる。
だけど、ほんのちょっと離れただけで。
また、ちゅっ、と。大きな音。
びっくりして見上げたら。
泣き止んだか? と。囁かれて。
あ、うん、と。頷いた。
びっくりして涙が止まってる。
ハグされたまま、ごそごそ出したハンカチを手から抜き取られて。
そっと、優しく。涙を押えてくれる。
幼稚園児みたい、私。
優しく、ぽんぽんと。
ハンカチに涙を吸わせながら、榊課長は呟く。
「初めてのキスが涙の味じゃ、納得いかない。
それが嬉し涙でもな」
だから、と。
私の瞳を覗きこんで笑顔。
「仕切り直すぞ」
仕切り……直す、って。キス、を?
「幸せのキスじゃなきゃ。
麻衣の覚悟を待ってたオレが、けなげすぎて憐れになる。
付き合ってから、じゃない。
麻衣を初めて見つけた時から、ずっと。
……待ってたんだから」
切なげな声に、甘く疼くカラダ。
KISSの法則・ウブ子の妄想
ぎゅうっと、強く抱きしめられて。
すっと、ゆるめられたと思ったら……
はぁ、と。
大きな息をもらして、切なげに見つめる。
目に映って、体にふれて、耳に入る……すべての感覚が研ぎ澄まされて。
きゅうん、と。
切なさともどかしさに、もがくココロ。
そんな、私の気持ちを急かすように。
するっと、腰に手を回されて。
もう一方の手で、あごを持ち上げられた。
黒髪から覗く榊課長の瞳が、ぎらぎらしていて。
榊課長は、オオカミ。
私は、食べられる寸前の仔鹿。
怖いけど、食べられたい。
夢中で、食べつくされたい。
美味い、もっと食べたい、って。言われたい。
食べられている仔鹿が浮かべるのは、恍惚の表情で……
仔鹿の妄想は、果てしなくひろがる。
「麻衣、愛してる……」
「……愛して、ます、拓真さん」
彼の囁きと、私の吐息が交じり合う。
絡み合った言葉に重なるように、唇を合わせて。
すごく、幸せ。
だけど、足りない。
もっと、もっと、って。胸が苦しくなる。
長くて幸せなキスは、甘い余韻を残して。
ん……、と。
もれた言葉を恥じらう気持ちも、麻痺させる。
「誘ってる顔。……やばい、それ」
唇がふれそうな距離で、もらすため息。
ちょっと唇を尖らせたら、またくっつきそう。
幼稚な企みを見透かすように、すっと距離を取る榊課長。
「これ以上はムリ。限界ぎりぎり」
困った顔で、笑って見せた。
KISSの法則・事情聴取と謝罪大会
それに、と。
ハグをほどくことなく、じりじりと資料を広げたデスクに近よって。
「さっきから、こいつがウザい」
スマホを手に取った。
ゆっくりと、名残惜しそうにハグを解いて。
「すげーメールの量。
げ……全部、新堂だ」
そういえば。今、何時?
榊課長の肩越しに、小会議室の掛け時計の針を読む。
19時すぎ。
えっ……19時っ?
ここに来たのは、17時ちょっと前。
アケミさんとか、高橋課長とか、ひねり技とか……いろいろあったけど。
それを差し引いても。
二人っきりで1時間近く占拠してる。
しかも、ほぼハグしっぱなし。
で、キスもいっぱい。
仕事、サボって……。
課長補佐、解任かも。
「サイレントにしといたから、邪魔されなかったな」
さっすがぁ、って。
和んでる場合じゃなくて。
「香里さん、怒ってます?」
あ? と。
めんどくさそうにスマホの画面をスクロール。
「《いいかげん麻衣を解放しろ》って……
それから、《この後、4人で事情聴取と謝罪大会》だってさ。
麻衣、どうする?」
4人……。
高橋課長も一緒。
「行きます」
今日のこと。これからのこと。
すぐにはムリでも、ある程度は解決したいから。
ん、と。
片手で優しく頭を撫でて。
「伊織さんにメールしといて。
“送ってもらうから安心して”って」
はい、と。頷くと。
「そうだ、もうひとこと。
“送りがてら、榊課長が不埒(ふらち)な報告に伺います”ってのも、入れといて」
え。えぇっ?
慌てる私に知らんぷり。
素知らぬ顔で榊課長は、スマホを耳に当てて喋りだす。
相手は、高橋課長みたい。
〈あぁ、わかった。
首洗って待ってろ〉
物騒な言葉。
「ほら。
早くメール送れって。置いてくぞ」
真面目な顔で、“不埒な報告”なんて言って。
どうすればいいか、わかんないよ。
「冗談だって。ボーっとしてると……」
すっとそばに来て、ちゅっと唇をかすめる。
「キスするぞ」
……って、もうしてるのに。
「1回したら、もう解禁だからな。
隙を見せたらキスしまくるぞ、いいな」
バクバクする心臓。
熱い頬を押さえながら、強がってみせる。
「どうぞ。望むところですっ」
ぽかん、と口を開いて。
榊課長は、そのまま静止。
みるみるうちに、その頬が紅く染まって。
ひたいを押さえて、天を仰ぐ。
「やべ。麻衣って、そういうヤツだった。
素直すぎて、嘘がつけない……
からかってんだから、本気で答えるなよ。
くっそ。
自爆だ、墓穴だ、オウンゴールだ」
ぷりぷり怒りながら、ぶつくさ文句。
へんなの。
呆れる私をよそに。
そっと扉を開けると、周囲を確認して。
「新堂と先に行ってろ。
いつものダイニングバーだろ。
後で合流する」
私を気遣って、見つからないように外に出してくれた。
KISSの法則・課長のお小言
ロッカールームで、バッグの携帯を確認すると。
メール着信&不在着信の嵐。
冷や汗をかきながら、コールバック。
《麻衣っ? 無事なの? 今どこ?》
ロッカールームです、と。
びくびくしながら答える。
《わかった。すぐ行くから。着替えてなさい》
はいぃ、と。
慄きながら通話終了。
そんなに怒っていなかったことにホッとしながら、着替える。
今日はね、ちょっとおしゃれしてきちゃった。
久しぶりに会えるから。
とはいっても、やっぱりワンピなんだけど。
正面から見ると普通のグレーのワンピース。
でもバックが凝っていて。
ウエストから上が編み上げになっていて、裾だけティアードタイプでレースがふんわり。
ピンクと迷って。
結局、オトナに少しでも近づきたくてグレーにした。
「わ、可愛いっ」
ロッカールームに入ってきた香里さんの第一声に、顔がほころぶ。
えへへぇ、と。照れ笑いすると。
「大丈夫?
榊にヘンなコトされなかった?」
近づいてくんくん。顔をしかめる。
「榊の匂いがする。
くうぅ……アイツ」
あのっ、と。
慌てて頭を下げた。
「すみません、今日のこと。
嬉しくて舞い上がっちゃって……
自覚が足りませんでした」
でも、と。
小さな声でつづける。
「ありがとうございました」
ん、まぁね、と。
香里さんは渋い顔になって。
「今日だけ、特別。
付き合い始めのうきゃうきゃした時期に、1週間も急な出張でさ。
司のいじわるにも耐えて。
ま、ハラハラしたけど、我慢してたわけだし。
アケミさんのことも、うまくいったし」
でも、と。
腰に手を当てて、仁王立ち。
「今日だけ、よ。今日だけ!
いくら麻衣でも、今後はなしっ。
いいわね」
はい、と。
神妙な顔で返事をした。
「あたしも麻衣には甘いのよね~。
今日なんて休憩室の掃除当番、ミユキの代わりに入ったのよ」
ぇえっ? と。
素っ頓狂な声が出る。
「万が一、小会議室の異変に気づかれたらアウトでしょ。
なんと言っても、月曜日の掃除当番はさ。
あの、ミユキなわけだし」
……確かに。
噂の仕入れ人、だもん。
「“気難しいやつが、小会議室に仕事持ち込んでカリカリしてるから”って。
脅しまくってさ。
“少しの物音で怒鳴り込むわよ~。すっごく性格悪い奴だから”って。
ムリヤリ代わったの」
あう。
それって……なにげに榊課長をけなしてません?
目が生き生きしてますよ、香里さん。
「小会議室は防音完備だから、そこはOKなんだけど。
鉢合わせたら、まずいでしょ?」
はいぃ、と。身を小さくして。
「なにからなにまで、すみません」
ぺこぺこお辞儀。
KISSの法則・愛の深さゆえ
着替え終わって、通用口から外へ。
目指すは、榊課長の予想通りいつものダイニングバーで。
オフィスから電車で二駅。
「他の社員とバッティングする可能性が低くて、半個室。
プラス、お料理とシャンパンが美味しいから」
そう言いながら笑顔を見せる香里さん。
「あの。高橋課長は?」
香里さんの口から、ひとことも登場しない高橋課長。
ちょっと、不安。
……あれ? えっ、まさか?
「腕に異常とか?
骨までは影響ないと思うんです、けど。
緊急事態だったから、力いれすぎちゃった……かも」
ぎこちなく言いわけする私に、ぷっと吹き出して。
「司とは、口きいてないの」
さらっと言う、香里さん。
返す言葉が、ない。
「ああ、違うのよ。
そんな深刻な顔しないで」
香里さんは、ぶんぶん手を振って。
「先に話聞くと、丸め込まれそうだったし。
今回は、きっちり話をつけるつもりだから。
4人で話さないと、意味ないのよ」
そう、なんですか、と。
あやふやにしか、返せない。
「麻衣は怒ってないの? 司のこと」
うーん。
怒っては……ない。
「許すの?」
あー。うーん。
「許すも何も……。
高橋課長の行動って、香里さんへの愛の深さゆえ……ですし」
はぁ? と。呆れた声。
あれ? とんちんかんなこと、言っちゃった?
(でもね、香里さん)
心の中で呟く。
(自分のことは見えないものです。
私には、よく見えてるんですよ。
そういうの“岡目八目(おかめはちもく)”っていうんですって)
その言葉を使った、足立さんをちょっと思い浮かべながら。
でも。
今はまだ、心の中で思うだけ。
「4人揃って、話せばわかりますよ」
うふふ、と。含み笑い。
きょとんとしていた香里さんは、すぐに横目で私をじろり。
「オトナな態度でムカつくぅ~。
ウブ子のくせに、生意気」
きゃっきゃしながら、二人で夜道を歩いた。
KISSの法則・底にあるモノ
お店には、既に男性陣が到着していて。
「遅いぞー。
着替えに、いつまでかかってん……」
榊課長が途中で言葉を止めるから。
なに? と。
首をかしげてみる。
「……可愛いな、それ」
あ、ワンピ!
やったぁ。褒められた♪
でしょ、でしょ? と香里さん。
華やぐ3人とは反対に。
どんよりオーラを漂わせている、高橋課長。
あ……の、と。
思わず言葉が出ちゃった。
「腕、ごめんなさい」
ちらりとこちらを見て、無言の高橋課長。
そっぽ向いて、ため息。
なによう、その態度。
ほんとに、素直じゃないっ。
でも、もう、全然怖くないもん。
得体の知れない悪意じゃない。
高橋課長の底にあるものは、見切っているから。
息を吸って、溜めていた気持ちを一気に吐きだした。
「いっつも、感じ悪いので。
つい日頃の恨みも込めて、力を入れすぎました!」
ふんっ、と。
私もそっぽを向く。
一瞬、シーンと静まり返って。
……大、爆笑。
びっくりして視線を戻すと。
豪快に笑う、榊課長。
ひぃひぃ笑いながら涙をぬぐう、香里さん。
そして……唖然とした顔をしている、高橋課長。
開けっ放しの口をようやく閉めて、もごもご動かして。
「……止めてくれて、ありがと」
そう、小さく呟いた。
いいえ、どういたしまして、と。
にっこり笑う。
オトナでしょ? 私。
なんて、余裕を見せて。
KISSの法則・高橋課長の懺悔と謝罪
「とりあえず座れ」
榊課長が私の手を取る。
「麻衣はここな」
隣に座らせようとしたら。
「だめよ」
すかさず間に入る香里さん。
「今日はもうだめ。
榊の匂いがついてて、麻衣をこのまま帰らせらんないのよ。
まったく! マーキングじゃないんだから。
加減を知りなさいよね」
ばーか、と。
コドモみたいな憎まれ口を叩く榊課長。
「オレの大事なもんにマーキングして、何が悪い」
“大事なもん”と、“マーキング”……。
顔が熱い。
いつものように、わたわた、あわあわしてしまう。
せっかく、オトナ風に決めたのに。
「麻衣のお兄さんの心証、悪くするわよ?
いいから、麻衣はこっち。
今から冷静に話し合うんだから、いちゃいちゃしなーいっ!」
私を掴んだままの榊課長の手を、ぴしゃりと叩く香里さん。
ちぇっ、と。
舌打ちしながら、渋々手を離す榊課長。
後でゆっくりな、麻衣、なんて。
懲りずにウインクする榊課長に、心臓がバクバク。
「……羨ましいよな」
いきなり。
ぼそりと、ひとこと。
ずっと黙りこくっていた、高橋課長。
ぁあ? と。凄む榊課長。
「ごめんね、香里」
今度は香里さんに謝る。
今にも泣きそうな顔で。
……脈絡がなさすぎて、戸惑う。
「香里にはさ。
こういう初々しい恋愛のどきどきを、味あわせてあげられなかった。
僕がさ、ずっと刃物みたいに尖ってて。
すぐ喧嘩吹っかける、ヤなヤツだったから」
そうね、と。
香里さんは真顔で、にべもなく言い放つ。
「でも、あたしは。
真っ向からぶつかったからこそ、司に近づけたって思ってる。
アレがなかったら、ただの同期……ううん、すごく感じ悪い同期でしかなかった。
お互いに敬遠して、すれ違ってたでしょうね」
それに、と。頬を紅らめて。
「最初がどうでも、今はラブラブだしっ」
香里さんの笑顔が、すごく綺麗で。
高橋課長は、真っ赤になって香里さんを見つめる。
榊課長は……頬杖をついて、なぜか私を嬉しそうにガン見。
その視線に、ぴくんっと揺れて、そろそろと視線を逸らそうとしたら、口パク。
“か・わ・い・い”……って。
この状況で、そういうこと、します?
麻衣ちゃん、と。
高橋課長の声。
ぱっと顔を上げて、高橋課長を見つめる。
「試すようなことして……悪かった」
試したかったのは、私の本性を暴くため?
そう榊課長も香里さんも言っていた。
「あまりにも世間ずれしてなくて、真っ直ぐで、無邪気で。
そういうの、胡散臭すぎるって思ってて。
なにか隠して、仮面を被ってるはずだって」
そういうことができるくらい器用だったら。
もっと、あれこれ悩まずに、楽に生きられたのかも。
だけど、その時は切り抜けられても。
きっと、蓄積されて……疲れちゃう。
どれが本音なのか、わからなくなって。
自分を偽ることが、苦しくなる。
KISSの法則・謀略の真意
「香里と榊に嘘情報を流したのはさ……
麻衣ちゃんが一人になった時、どうするのか知りたかったから。
ずっと、香里や榊に守られて、にこにこ笑ってるけど。
あのオンナが乗り込んできたって時。
そういう緊急事態に、誰にも頼れない状況を作ったら、何か見えると思った」
そう、私。……確かに、守られてる。
守られてばっかり。
今日だって。
香里さんに守られて。
守られてることすら知らずに、好き勝手なことをした。
だけどさ、と。
顔を上げ、真っ直ぐに香里さんを見つめる高橋課長。
「少しだけわかった。
どうして麻衣ちゃんが守られるのか。
きっと。
真っ直ぐで、ウラがないから……守りたくなる。
困ってたら、手を差し伸べたくなる。
それ以上に、麻衣ちゃんも力になってくれるってこと」
私が、力に?
「今日さ、もう少しで。
あのオンナ殺すところだったんだよ」
息をのむ、香里さん。
動じない、榊課長。
「香里のこと、“無能で生意気”って……言いやがって。
たぶん、逆上したんだとは、思うんだけど。
はっきり覚えてない。
わけがわからなくなって……気づいたら胸ぐら掴んで締め上げてて。
相手の顔から、血の気がなくなってて」
思い出すと、またどきどきしてくる。
怖、かった。
「麻衣ちゃんが渾身の力で捻り上げてくれたから。
……我に返った」
渾身って。
そんなに力は入れてない、ですよ。
さっきの“日頃の恨み”と“力いっぱい”は、冗談なんですけど。
「“命の恩人”だなんて、アケミさんが言うから。
ま~た、大げさなこと言ってる、って。呆れてたの……
でも。
それって、あながちウソじゃなかったってこと?」
私に問う、香里さん。
はい、まぁ。そうです……、と。
答えるしかない。
僕はさ、と。
落ち着いた声で高橋課長は続ける。
「あのオンナを目の前にした麻衣ちゃんが……
たとえば、そうだな。
口汚く罵るとか。掴み合いになるとか。
『諦めて』って高飛車に言うとか……期待してたんだよね」
期待、してたんですか?
ちょっと引く。
それがさ、と。
私の顔を見て、榊課長に視線を移す高橋課長。
「激昂して、『別れろ』って怒鳴り散らすあのオンナに。
麻衣ちゃんは、一生懸命穏やかに応対してた。
時々悔しそうに唇かんだり、泣きそうになったりしてたけど……
あのオンナの嘘にも、バカ正直に耳を傾けて。
考えて、素直な気持ちを言葉にして」
間違ってはいないけど。
ちょこちょこ、けなす言葉が入る。
“嘘”っていうのは、アケミさんの大胆発言。
“素直な気持ち”っていうのは……“榊課長が好き”って言葉。
頬が熱く、なる。