【ヒミツの時間】 KISSの法則 第26話 月曜日の修羅場
KISSの法則・決戦の朝
待ちに待った、月曜日。
そして。
不安に慄く(おののく)、月曜日。
榊課長のメールは短くて。
〈おはよ、麻衣。
なんだよ。いきなり名前で呼ぶなんて……
メールじゃなくて直接呼ばせるから。
覚悟して待ってろ〉
ひゃ、怒ってる?
でも、全然怖くない。
だって、そのつもりだもん。
“おかえりなさい。拓真さん”って言うんだから。
榊課長に会える嬉しさと、アケミさんと対峙する恐怖。
入り混じった二つの感情を抱えたまま、家のゲートをくぐる。
今夜、このゲートを逆方向からくぐる時。
私、どうなってるんだろう。
いつもと変わらない月曜日。
出社時はがらんとしていて。
香里さんは目配せして、ちょいちょいとデスクに呼ぶ。
先週、新体制を発表したシンジョは席替えをした。
私のデスクは、香里さんから一番遠い向かい合わせで。
香里さんと私の間に、シンジョメンバーのデスク。
みんなを90度横から見渡せるように挟む、“Ⅱ”みたいな形。
「休日出勤おつかれさま。
メール見たわ。
シンジョの長所と短所の表、よくできてる。
あのまま進めて、毎週金曜日にメールでちょうだい」
嬉しくて、はいっ、と。笑顔で返事。
「香里さんは、週末のご挨拶、どうでした?」
私の質問に、両手で小さくマルを作る香里さん。
よかったぁ。
思わず、涙ぐんじゃった。
「ありがとね。
でも、完全なマルじゃないの。
結婚は大丈夫なんだけど、しこりがあって。
“司vs司のお父さん”の、ね」
そうなんですか、と。眉をひそめる。
「ま、それは。置いといて」
香里さんは明るく笑って。
「今日は、事前に荷物を更衣室に置いて、
小会議室からそのまま着替えて帰るのよ。
……ちゃんと、二人でね」
笑顔が固まる。
企みの中身がやっぱり怖い。
無言で頷いた。
KISSの法則・決戦5時間前
お昼休みに向かう6階への階段で、香里さんがそっと囁く。
「司情報。飛行機は11時に無事着陸。
もうすぐ本社に着くらしいって」
ぱっ、と。顔を上げて……
くぅっ、と。への字になる唇を噛みしめる。
「なに、なに。どうしたの、麻衣」
「会うの、怖いです……」
我ながら情けない声。
は? と。目を見開く香里さん。
「淋しすぎて。会いたすぎて。
……好きすぎて。
顔見たら、飛びついちゃいそう……
怖い、です」
「んもう、なんなの?」
香里さんは呆れ顔。
「じゃ、榊が小会議室に向かったら呼んであげるから。
指導室にノートPC持ちこんで、1年生の掃除当番表でも作ってなさい」
しゅびばしぇん、と。涙声。
「もう、ほら。泣かないの。
オフィス内で抱き合ったりされたら、さすがのあたしでもフォローできないもの。
ほんとに世話が焼けるわね」
「ありがと、ございます」
たどたどしくお礼を言って、午後はノートPCを抱えると指導室に籠った。
ホッとしてるくせに、オフィスのざわめきが気になって。
KISSの法則・決戦3時間前
「麻衣~?」
香里さんが指導室に顔を見せたのは、14時すぎ。
そのまま、指導室のチェアに座る。
「榊のスマホにメール、送っといた。
“やたら可愛いこと言って、指導室に籠ってる”って。
榊も麻衣と同じなんじゃない?
シンジョ側じゃない扉から出入りしたみたいで、姿を見せなかったわよ」
そう、ですか、と気の抜けた声。
なーんだ、ひとりでテンパっちゃった。
あれ? でも、それって……
「あの。榊課長、ほんとに帰ってるんですよね」
へ? と眉を上げる香里さん。
「……帰ってるはずよ。
こういう時、一匹狼だと困るのよね。
あいつ、スマホのメール苦手だとか言って、返信もしないし。
あたしも、情報は司に頼り切ってるからな~」
のんきな声で天井を見上げた香里さんは、次の瞬間。
あっ! と。大きな声を出す。
「まさか、司……
これが、計画?」
香里さんの言葉に、慌てて首を振る。
「そんなことないですよね……
榊課長、メールで“今日帰る”って言ってましたし」
“ほんとに帰ってるか”だなんて、ヘンなこと言っちゃった。
KISSの法則・決戦5分前
16時55分。
例の小会議室。扉の前。
小さく息を吐いて、ノックする。
……。
あれ? 返事がない。
ここで、いいんだよね。
ほんとに、帰ってるよね。
扉の前であたりを見回すけれど、香里さんの姿もなくて。
ざわざわする胸を押さえて、扉を開けて中を窺う。
デスクには書類とノートパソコン、そしてココアの缶。
ココア……
“脳が糖分を欲してるんだ”って。言ってたっけ。
もう、ずいぶん昔みたい。
「……おじゃま、しまーす」
小さな声で、室内に滑り込んだ。
資料を覗くと、“クール・イベント”、“福岡”、“名古屋”なんて文字が並んでる。
確かに、榊課長がいた形跡。
……よかった。
あれ? 手書きでなにか……書いてある。
これって。
私宛のメッセージ?
ちょっと、意味不明な内容で。
いわば、ヒミツのメッセージ的な?
でも、読んだ限りでは待ってていいみたい。
入口に近いチェアを陣取って。
扉が開いたら、すぐに抱きつけるようにスタンバイ。
メッセージの意味を考えながら、にへぇ、と顔が緩む。
KISSの法則・決戦1分前
その時。
廊下に微かな足音。
うわ、どうしよ。緊張、する。
え? でも。
カツカツって遠くから響く、この音は。
そう、まるで……
ハイヒールの最強版。イメージ的にピンヒール。
息をひそめる。
大丈夫、だよ。
“ピンヒールさん”が向かっているのは、ここじゃない、はず。
だって。
小会議室は【使用中】になってるし。
でも、もしも。
“ピンヒールさん”が……アケミさんだとしたら?
手がじっとり。
怖い。
ひとりで会うの?
話が、違う。……違い、すぎる。
香里さんは言ったよね。
“麻衣のそばには、榊がいる。
あたしは、廊下で待機してる“って。
でも、現に私はひとりぼっち。
どうしよう。
どこかに隠れちゃう?
迷っちゃって、って。笑ってごまかす?
それとも……
毅然と対応して、みる?
資料に書かれた榊課長のメッセージが、脳裏にちかちか灯る。
【すぐ戻るから、思った通りに動け。……麻衣を信じてる】
メッセージを読む限り。
榊課長は、こうなることを予想してたみたい。
でも。席を離れざるをえなくて。
ただ。私を試しているんじゃないことだけはわかる。
そう、きっと。
高橋課長の企みに、敢えて乗っているんだ。
今回の企みを阻止すれば、高橋課長は新たな手を考えるだけから。
今日、決着をつけたい……ってこと。
でも。
アケミさん登場という企みの内容を、榊課長は知らない。
知ってたら、私を一人にはしないはず。
他の女性の影がちらついたら、経験不足の私が取り乱すのは明らかだもん。
何も……再会の日にこんなことしなくたって、いいのに。
目を瞑って、深呼吸。
ピンヒールの足音は、明らかに怒ってて。
アケミさんが怒っているのなら、私は冷静に対応しなくちゃ。
榊課長に近づきたくて、読み漁った行動心理学の本。
○○効果とか、**の原理とか……そういう名前は覚えていないけど。
実例を読んで、感心しまくったっけ。
そうそう、クレーム対応の章。あれだ。
相手の怒りに触発されちゃダメ。
冷静に、柔らかく、誠実に対応して。
相手の言い分に同調しつつ、流されない。
後は、ええと。
なるべく穏便に済ませる行動を。
焦りすぎて、刺激させる方法が次々浮かぶ。
扉の前に立って、ファイティング・ポーズ。
違う、違うっ、それの逆。
ああ、もう。私のばか。
テンパりすぎだってば。
私、どこにいればいい?
ここじゃ、扉に近すぎる。
至近距離で顔を合わせたら、一触即発かも。
奥に移動して、立つか座るか考えた。
立ってたら、挑発的だし。
戦うつもりなんて、ない。
榊課長がいた席の隣に腰掛ける。
背筋を伸ばして。
でも怖いから、すぐ立てるようにチェアに浅く座った。
そして、自分に言い聞かせる。
“万が一、手を出されたとしても
反射的に技を使わないこと”
たぶん、女性にはそんなことしないと思うけど。
視線は、どうしよう?
扉を見つめていたら、怒りに火を注ぐかも。
落ち着かなきゃ。
榊課長の資料を手に取る。
残されたメッセージ、手書きの綺麗な文字を指でなぞって、ざわめきを鎮める。
【すぐ戻るから、思った通りに動け。……麻衣を信じてる】
私を信じてくれる、榊課長。
それが大きな力になる。
とにかく、凌ぐ(しのぐ)こと。
彼女の怒りを、吐きだしてもらう。
刺激しないように、さらりと躱して(かわして)、時間を稼ぐ。
KISSの法則・決戦の火蓋
カツカツ響く足音と、私の心音がリンクして……
どんどん大きくなってくる。
ぴたり、と。足音が止んだのは……この扉の、前。
極度の緊張。
もう一度、榊課長のメッセージに目を落とし、小さく呟く。
【すぐ戻るから、思った通りに動け。……麻衣を信じてる】
そして。
ばんっ! と。
扉が開いただけとは思えない、衝撃音。
一瞬だけ、間が空く。
ゆっくり、顔をあげて。
“ピンヒールさん”の姿を確認。
やっぱり……アケミさんだ。
「あんたが、榊さんのカノジョッ?」
開口一番、喧嘩腰。
あまりの迫力に、あわあわする。
「なんなの? まだコドモじゃない。
榊さんもどうかしてるわね、
こんなコドモを相手にするなんて。
ねぇ、ほんとに……この子なの?」
振り向いて確認するアケミさん。
そこには……
「ああ」
バツが悪そうに頷く、高橋課長。
KISSの法則・黒幕はやっぱり…
……高橋課長。
こんなことまでして、私のなにが知りたいの?
大切な香里さんを、出し抜いて。
仕事中のアケミさんを、おびき出して。
「ボーっとしてないで、答えなさいよ!
榊さんのカノジョなんてウソなんでしょ?」
怒りのボルテージは、確実に上がってる。
ここは、冷静に、柔らかく、誠実に。
「私は……
榊課長が誰よりも好きです。
ただ、それだけです」
信じてくれる榊課長を思い浮かべたら、自然と気持ちを言葉にできた。
はんっ! と。
アケミさんは鼻で笑って腕組み。
「バカバカしい。
あんた、なにで釣ったの?」
釣る? そんな、失礼な。
「榊課長は、なにかに釣られるような人じゃありません」
低い声で、きっぱり答えた。
「……だって」
呟くアケミさんの声は、一瞬たじろいだように聞こえた。
「アタシは利用されたのよ。
榊さんの、オンナ除けにね」
弱いけど棘だらけの言葉に、つい。
ほんとに、反射的に。
「ごめんなさい」
謝ってしまった。
KISSの法則・ヴィラネスの反撃
「なんなの、このオンナ。
マジで、ムカつくッ!」
激昂したアケミさんを見て、対処を見誤ったことに気づいた。
クレーム対応とは違う。
これは恋愛問題で。
怒りの元は単純な“不満”ではなく、複雑な感情が絡み合う“嫉妬”だから。
“私”が謝るのは、筋違い。
新しいカノジョに謝られたら、はち切れそうな憤りをどこへ持って行ったらいいのか。
どう、立て直そう。
俯いて、ちらりとアケミさんを窺う。
ふぅ~ん、と。
私の頭から足までを舐めるように見て。
にたりと笑う、アケミさん。
「あんた、榊さんと寝たことないでしょ?」
とりあえず、怒りが収まったらしいことにホッとして。
今度こそ、間違えないように答えを慎重に探る。
寝たこと?
えっと、ない……よね。
あ、でもこの間、公園で眠っちゃったっけ。
でも、あれは単独で寝ちゃっただけで。榊課長“と”、じゃない。
「はい」
素直に頷いた。
「ひとつ、いいこと教えて、あ・げ・る」
声をひそめたアケミさんは、一歩近づく。
「榊さんはね……
コドモのあんたとじゃできない“コト”、アタシとしてるの」
コドモの、私とは……できない“コト”?
それ、って。
じゃ、さっきの“寝た”は、“眠った”じゃ……ない?
驚いて見上げる、私。
くくっ、と。笑いをもらす、アケミさん。
「今は……お付き合い、してないんですよね」
声が震える。
だって。
“してたの”じゃなくて、“してるの”って。
現在も進行中ってこと?
嘘、でしょ。
KISSの法則・素直なキモチ
「っ……なによっ!」
心外だというようにあごを上げるアケミさん。
「付き合ってるわよ。
じゃなきゃ、あんな噂が流れるわけないでしょ?
バッカじゃないの、あんた。
今だって、時々会ってるわ」
血の気が失せる。
嘘だとは、思えない。
こんなにはっきり言い切るなんて。
「……だからね」
言い含めるような猫なで声。
背筋がぞぞっとした。
「傷が浅いうちに別れた方がいいと思うの。
今なら、アタシも見逃してあげる。
榊さんだって、ちょっと毛色の違うコドモによそ見しただけでさ。
本気なわけないもの」
「ね?」
私の顔を覗きこむアケミさん。
「いいコだから。
あんたから“別れたい”って言いなさい。
“もう、好きじゃない”って。
……ね?」
その、一言で。
好きじゃない、の。たった一言で。
思考がクリアになっていく。
この人は……嘘つきだ。
キィッと睨み上げ、ゆっくり口を開く。
「誰になんて言われようと。
たとえ、それが榊課長でも。
自分の気持ちに嘘はつきません。
……私、榊課長が好きです」
私の言葉は、アケミさんを素通りして高橋課長へ届けたもの。
眉を上げて、私をじっと見つめる高橋課長へ……
「ふざけんなっ!」
アケミさんは、目を吊り上げた。
「シンジョの分際で生意気なんだよッ。
どいつもこいつも、アタシのことバカにしやがって。
大体、あのオンナが……
新堂香里が無能なクセに生意気だからっ!」
がたっと音がして、事態が動く。
扉の前で微動だにしなかった高橋課長が、アケミさんの胸ぐらをつかんでいた。
KISSの法則・最強プリンセス
「……てめぇっ!」
鬼のような形相で、アケミさんを睨みつけて。
聞いたことのない口調で罵る、高橋課長。
「てめぇにだけは、香里のことをあれこれ言わせねぇ。
誰のせいで香里が苦しんできたのか、わかってんのか?」
狂気のまなざし。
胸ぐらを掴んだ両手に、ぐっと力がこもる。
もしかして。
高橋課長の目的って。
私はおまけで。
メインは……アケミさん?
確かに香里さんも、言ってた。
“こてんぱんに伸す”って。
“ぐうの音も出ないくらい”って、セリフも聞いた気が。
そうそう、“いつかぎゃふんと言わせてやる”とも。
でもそれは、こんな暴力的な方法じゃないはず。
力を込めた高橋課長の腕が震えている。
土気色に変わる、アケミさん。
……止め、なきゃ。
立ち上がって走りよる。
高橋課長の腕を掴んで、呼吸を操り、ぐっと捻り上げた。
呆然とした表情を見せた、高橋課長は……
次の瞬間、痛みに顔を歪める。
されるがままの高橋課長に、無言で小さく首を振った。
高橋課長の腕から解き放たれたアケミさんは、その場にへなへなと崩れて。
KISSの法則・騎士(ナイト)参上
その時……
「麻衣っ!!!」
爆破されたかと思うような音を立てて。
血相を変えた榊課長が飛び込んできた。
凄まじい勢いで開けられた小会議室の扉が、へたり込むアケミさんの背中を激しく打ち付ける。
あ……痛そう。ぜったい痣になる。
“嫁入り前の大事なカラダに傷をつけたんだから、責任取って結婚しなさいよ”なんて。
アケミさんなら、絶対言いそう。
もう、パニクりすぎて。
不信感とか、恐怖とか、絶望とか、焦りとか、嬉しさとか。
いろんな感情が混ざりすぎて、麻痺している。
榊課長に会えた喜びよりも、的外れな思いに心を奪われていた。
「おい、麻衣。大丈夫かッ?」
張り詰めていたキモチがゆるゆるほどけて、高橋課長を押さえた手が緩む。
私の肩をつかんで、小さく揺さぶる榊課長。
覗きこむのは、愛しいオニキスの瞳。
じぃっと見つめ返して、今の状況を思い出して……
ハッと我に返る。
「さかき、かちょっ!」
思わず声を上げて、しがみついた。
はぁぁあ、と。
大きく息をついて、きゅうっと抱きしめてくれる。
怖かったよう。
怖すぎて、思わず捻り上げちゃったの。
言葉にすると引かれそうだから、胸の中だけに留めた。
「『麻衣が貧血で倒れた』って。
新堂が、血相変えてここに飛び込んできて」
香里さんが?
ぎゅうぎゅうに閉じ込められた榊課長の胸から、顔をぴょこっと出して、香里さんを探す。
ここよ、と。
香里さんは小さく手を上げて。
「ミユキがあたしに知らせに来たの……。
麻衣がシンジョ出て、5分も経たないうちにね」
ミユキちゃんが?
……うーん、なぜ?
「ミユキだったから、疑いもしなかった。
あのコの情報網には舌を巻くし。
司がミユキに嘘を伝えたなんて、思いもしなくて。
それで。慌てて榊に知らせて、医務室へ」
その頃、私は。
香里さんの言いつけどおり、更衣室にバッグを置きに行っていた。
何も知らずに、うきうき、どきどきしながら。
「先週も、あの店で貧血起こしただろ?」
耳元で囁く榊課長。
じぃんとなって、ぴくんっと反応する。
抱いた手は緩めずに、嬉しそうに私を見つめる榊課長。
近いですぅ。
あんなにくっつきたかったのに、いざ、ぎゅうってされると心臓が持たない。
それに。先週の、あの時は……
榊課長が高度な技“ぺろり”で、私を翻弄したからです、よ。
思い出して頬が熱くなる。
「オレに会える嬉しさで、貧血起こしたんだって……」
なっ! 自信過剰すぎ!
……あながち、外れてはいないけど。
「じゃあ、あのメッセージは?」
我に返って呟いた。
【すぐ戻るから、思った通りに動け。……麻衣を信じてる】
あのメッセージに勇気をもらったんだもの。
「あれは、保険だ。
高橋が、なんか仕組んでるのは気づいてたし。
もしもの場合に備えた」
安堵の息がもれる。
香里さんから、事前にアケミさんとの対面を聞かされていたこと。
そして、榊課長のメッセージ。
2つがなければ、今頃、私……どうなっていたんだろう。
KISSの法則・カオスなベクトル
「んで?」
いきなり、榊課長の声が尖った。
びっくりして、ほぼ真下から見上げると。
刃(やいば)は高橋課長に向けたもので。
「お前は麻衣に何がしたかったんだよ。
ぁあ? 高橋」
威嚇する低い声、そぐわないこの体勢。
もぞもぞ動いて腕から抜け出そうとするけれど、がっちりホールドされていて。
「もうちょっと堪能させろ。
あいつらがいないと暴走するから、今のうちにフルチャージしとかないとまずいんだよ」
耳朶に唇っ! くっついてますっ。
囁く声の震動がダイレクトに伝わって、全身に走る甘い疼き。
ん……っ、て。
鼻にかかった声がもれそうになって、必死に耐える。
香里さんに視線で精いっぱい助けを求めるも、呆れたように肩をすくめるだけ。
「あたしが許す。麻衣、榊の気がすむまで抱っこされてなさい。
それに、本気で嫌だったら合気道使えるでしょ?」
香里さんのいじわる。
力が入らないんですってば。
ううぅ……、と。
地を這うような呻き声。
扉、のそば。
すっかり存在を忘れていたけど……アケミさん。
「……麻衣ィ?
あんたが、シンジョの立花麻衣?」
まだ土気色が残る顔を上げ、ぎろりと睨むアケミさん。
私と榊課長の体勢に目をむいて、怒りをあらわにする。
「あんた、何してんのよッ!
榊さんから離れてッ」
頸部圧迫されたのに、興奮してそんな大声出すと……
心配した通り、苦しそうにむせて。
喉がヒューヒュー鳴ってる。
「大きな声で喋っちゃだめです。
少し安静に……」
ぎゃ、睨まれた。
「アケミさん、よく見たら?
榊が、麻衣を離してくれないのよ」
呆れ気味な香里さんの言葉に、唇を噛むアケミさん。
腕を組んで楽しそうに見下ろす、香里さん。
“こてんぱん”状態。
“ぎゃふん”は言えても、“ぐうの音”は出ない。
だけど。刺激させたら、だめですってば。
「立花麻衣って。
あんた、婚約者がいるんでしょ?
社長も真っ青の高級車を会社に横付けさせたって噂の……高飛車オンナ」
ゲホゲホッと咳き込む、アケミさん。
私、“高飛車オンナ”って噂されてるんだ。
「相手だって、すごくお金持ちなうえに、超イケメンらしいじゃない。
独り占めなんて卑怯よ。
どっちかよこしなさいよ」
どっちか、よこせ……って。
言葉だけじゃなくて、手まで突き出してる。
冗談を言える状況でも体調でもないはず。
ってことは、本音?
「この、二股オンナッ……
榊さん、騙されちゃだめ!」
アケミさんは喉に手を当てつつ、しゃがれ声でまくしたてる。
あ、そうか。
二股って。
そう見えちゃう、よね。