のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】 KISSの法則 第25話 無敵の4人

 

今は不完全だけど。
足りないところを補い合えば
……きっと無敵の4人になれる。

 

 

【ヒミツの時間】 KISSの法則 第25話 無敵の4人

 

KISSの法則・過去は、過去

 

「顔色が悪いわよ、麻衣。

 ぜ~んぶ、吐き出しちゃいなさい。

 そのために連れてきたんだから」

腕を組む香里さん。

視線を泳がせる私。

もやもやを言葉にするのは難しい。

それでも、心を落ち着けて。

目を伏せて絞り出す、胸の痛み。

「……怖い、んです。

 アケミさんも。

 榊課長も。

 そして、私自身も。

 過去を知ることも。

 今を判断することも。

 未来を予想することも。

 ……ぜんぶが怖い」

それはね、と。

香里さんは微笑んで。

「榊のことが好きだから。

 大切で、そばにいたい唯一の存在だから。

 失うのが怖いって、怯えてるの」

 

 

 

「榊も劇的に変わったけど……

 麻衣は、恋する乙女に成長したわね。

 心配だったのよ。

 仕事はできても、晩生(おくて)でお人好しで。

 いつか、悪いオトコに騙されて、ひどい目に遭って、泣くんじゃないかって。

 ほんと、ひやひやしてた」

シャンパンと烏龍茶、前菜のマリネがテーブルに並ぶ。

お店の方がシャンパンをグラスに注ぐと、立ちのぼる華やかな香り。

「そんな麻衣が、よりによって氷の榊に魅かれるんだもの。

 想いが淡いうちに、何とか目を覚まさせようとしたんだけどね。

 ……とんだ誤算だったわ」

肩をすくめて。

「あの榊が、手をつけられないくらい本気なんだもん。

 悔しいけど完敗よ」

シャンパングラスを烏龍茶のグラスと軽く合わせ、乾杯、とウインク。

「あ、やっちゃった。

 ダダすべりじゃない、“完敗”と“乾杯”なんて」

オトナっぽいしぐさとは裏腹に、自分のギャグめいた言葉に慌てる香里さん。

こわばった頬が少し緩んだ。

 

 

 

からからだった喉を潤して、ようやく人心地(ひとごこち)つく。

あの、と。切り出す。

ずっと聞いてみたかったこと。

「香里さんは、高橋課長の“過去”に嫉妬しませんでしたか?」

やっとの思いで、持て余していた醜い感情を口にしたのに。

しないわね、と。

香里さんはさらっと即答。

「だって。あいつ、あたししか見えてないもの。

 それをバカみたいに惜しみなくわからせようとする」

そうですね、と頷く。

「高橋課長は、香里さんを心から大切に思っていますもん。

 見ててわかります」

人のことはよくわかるのね、と。

香里さんは呆れたように呟いて。

「麻衣は、榊に大切にされてる実感はないの?」

ない、わけない。

いじわるを言われても、からかわれても、全部わかってる、つもり。

だけど……

 

 

 

「過去は過去、よ。

 頭でわかってても、難しいでしょうけどね」

過去は、過去……小さく呟いて、こくこく頷く。

ほんとにそう。わかってるの。

「あたしだって最初からこんなに“でん”と構えてたわけじゃないわよ。

 嫉妬しなくなったのは、ごく最近。

 司、見た目はあんなだし、温厚な仮面を外さないから、女の子が群がってね。

 温厚、誠実がウリだから、絶対に冷たい態度なんか取らないの。

 それが、シンジョ課長のあたしのためだって気づいたのは、ずっと後で」

女子社員のリサーチって……高橋課長が言っていた。

自発的な密偵として情報を上げてたって。

 

 

 

KISSの法則・唯一無二

 

「司の視線の先にいるのが、どうして“あたし”なのか、わからなくてね。

 すごく不安で。

 泣きそうなくらい悩んで」

信じられ、ない……、と。

思わず声に出したら、

「あたしだって泣きそうにだってなるのよ」

冗談ぽく睨まれた。

ひゃ、ごめんなさい、と。首をすくめる。

違うんです。

私と同じ気持ちを、香里さんが抱いていたなんて……

私だけじゃないんだって、気持ちが明るくなる。

「素直で可愛らしい子なんて、いっぱいいるでしょ。

 そりゃ、ね。

 あたしなんて、対等に……んと、まぁ、対等以上にやり合うし。

 愛情表現にも、照れてぶっきらぼうになっちゃうし」

はい、と頷いたら失礼な気がして。

首をかしげてみせる。

 

 

 

「何年も一緒にいて。

 司はその間ずっと、飽きずにあたしだけ見てくれてる。

 よそ見なんて一度もない。

 何年もかかって……

 やっと、自信が持てるようになったの」

長い月日を重ねて、今の香里さんと高橋課長がある。

私なんて、付き合ってまだ1週間。

「麻衣が不安なのはわかるよ。

 だって先週の水曜日から、でしょ?

 まぁ、その前に“カラダの関係”はあったみたいだけど」

なっ! と、思わず叫ぶ。それってハグのことでしょ?

「ちがっ。

 ヘンないい方しないで、ください」

首をぶんぶん振って、必死の抗議。

「ほんとに反応してる。

 1年前の麻衣なら、曖昧な笑顔でスルーしてたのに。

 日々、ウブ子から成長してるんだもん。

 だから。きっと大丈夫」

 

 

 

「それぞれ、心に響くポイントって違うでしょ。

 環境とか、経験とか、タイミングとか。

 そういう色んな要素によるじゃない。

 誰かに魅かれるのは、自分との共通点と、相違点なんだって」

自分に似ているから、魅かれる。

自分にないものに、魅かれる。

相反しているけれど、どちらもわかる。

「司とあたしは、違いすぎて、少し似てるの。

 そこが、お互いに響きあったのね。

 何年もそばにいて、本気で離れたいなんて思ったことない。

 イヤなところもダメなところも全部ひっくるめて……

 ずっと、司のそばにいたい」

心がじんわり温まる。

今はまだ、未熟だけれど……

いつか、私たちも。

お互いにそう思える日が来ますように。

 

 

 

「司は、あたしのことを“唯一無二の存在だ”って。

 照れもしないで言うの。

 笑わないでよ~。

 のろけてるんじゃないんだって。

 まじめに聞いてっ」

ステキだなって、思っただけなのに。

香里さんてば、ほんとに照れ屋さん。

「きっと榊にとって麻衣は、“唯一無二”の存在よ」

「そんな。それはないです……」

かぶりを振る。

自信がない。私のどこにもそんな要素はないから。

「じゃ、教えてあげるわ」

ウインクする香里さん。

「麻衣が今見て、知っている榊は、過去に存在しなかった。

 麻衣は“特別”なの」

意味がわからない。

 

 

 

「麻衣と同じくらい、榊が想いをよせてた女の子がいたとしたら……

 過去に激しく嫉妬しても、おかしくないでしょうね。

 でも。

 榊の“過去”は、麻衣にデレデレな“今”とはまるで違うの。

 メールも、電話も、デートらしいことをしたこともない。

 付き合ってると思ってるのは、相手の女の子だけで。

 榊は“断るのがめんどくさい”から、“誘いに乗っただけ”なんだって」

それは、それで……引っかかる。

わがままだよね、私。

 

 

 

「反応の薄い榊に、み~んな去っていったの。

 怒ったり、拗ねたり、気を引いたり。

 あらゆる手段を講じてもね。

 結局、去るしか方法がないのよ。

 自分を見てくれない人を思い続けるのは、疲れるから。

 だけど、榊は追いかけたりしない」

じゃあ、どうして……、と。

浮かんだ疑問を口にする。

「どうして。

 そんな榊課長にとって、私が“特別”になれたんでしょう?」

香里さんは口元を緩めて。

「それは、榊に直接訊きなさい」

聞けるかな? 

こんな自意識過剰とも取られかねない質問。

 

 

 

黙りこんだ私の頬をつつく、香里さん。

「麻衣はね。

 思慮深くて、さりげなく気配りできるコよ。

 でも、恋愛にそれは要らない。

 欲しいなら、突っ走っていいの。

 思ったことは言葉にしなきゃ。

 それができなくなったら、終わりが見えちゃう」

“終わり”の言葉にびくっと心が委縮する。

「って、あたしも、いばれないんだけどね。

 他はがんがん言っちゃうけど、恋愛に関しては臆病だから。

 でも、今回は。

 司の企みにとことん付き合って、ちゃんと気持ちを言葉にしようと思ってるの」

決意のまなざし。

香里さんが輝いてる。

 

 

 

KISSの法則・トランプのスート

 

「だから。ごめんね。

 今回のことも、敢えて司を止めなかった。

 あんなに尖った司を見るのは、久しぶりで。

 その対象が麻衣だったから……

 これがラストチャンスかも、って思っちゃったの」

「ラストチャンス、ですか?」

訊く私に、香里さんはふんわり微笑んで。

「麻衣だったら、司はもっと変われるかも、ってね」

なんか、責任重大な感じ。

「あたしは、司に真正面からぶつかった。

 榊は、司から一歩引いて、認めた。

 どっちが正しい、じゃないの。

 どっちも必要だった」

情熱的な衝突と、一目置くクールな対応。

 

 

 

麻衣だったら、と。

香里さんのひたむきな瞳に息をのむ。

「あたしとも榊とも違うやり方で、司を救えるんじゃないかなって」

疎まれているのに? 

高橋課長を救うなんて、そんな大それたことができるわけない。

「きっと。

 麻衣は……司を許すでしょ。

 棘だらけの司を優しく見守る、そういうコ」

ぼっ、と熱くなった頬を押さえて、ふるふると首を振る。

清らかで無邪気な、天使みたい……

私は、そんな人じゃない。

「榊が魅かれたのは、麻衣のそういうとこよ」

もし、榊課長がそんな幻想を抱いているのなら、すぐに訂正しなきゃ。

誰かを妬んだり、うらやんだりする。

そんな俗っぽい心に振り回されていて。

だけど、それを否定も、卑下もしない。

ネガティブな感情は、榊課長のことを好きだという証拠だから。

 

 

 

「当然だけど。

 人間って、それぞれに長所があって、短所があるの。

 司は、信じたら一途だけど、疑り深すぎる。

 榊は、冷静な判断に長けているけど、人の心に配慮がなさすぎ。

 あたしは、パッションだけは誇れるけど、まっしぐらすぎる。

 麻衣は、穏やかで芯は強いのに、自分の気持ちを抑え込む」

尊敬のまなざしで見上げると、ふふんと笑って。

「さすが、シンジョ課長でしょ? 

 麻衣、賞賛は思ってるだけじゃダメよ。

 大きな声で、はっきり言葉にしなきゃ」

うふふ、と。二人で笑い合う。

「あたしたち四人は……今は欠けたところばかりだけど。

 反省して、足りないところを補えば。

 高めていけるはず。

 そしたら、無敵でしょ?」

 

 

 

KISSの法則・夜、したためた恋文は……

 

家に着くなり、すぐに2階へ。

パソコンを立ち上げてメールを開く。

〈昨日さ。すごく、心配した。

 でも、もしかしたら淋しさに耐えられなくなった麻衣が、オレに会いに来てるんじゃないか……

 なんて、ポジティブ妄想したりして。

 “淋しい、会いたい”、は、半分過ぎたら禁句じゃないぞ。

 出張して3日までだったら、精神的に厳しいけどさ。

 逆に今からなら、どんどん言って。

 “もうすぐだから待ってて”、って何度でも伝える。

 それと。

 麻衣の“ぎりぎり”ラインだけど……伊織さんと約束したのは、オレだ。

 麻衣が暴走するのは、OKなんじゃね?

 オレも、伊織さんに言い訳できる気がするぞ。

 “麻衣さんが自ら、身を委ねてきて。僕の純潔を奪ったんです。

 不可抗力だったんですぅ”ってな〉

な、ななな。なんてことをっ!!!

身をゆだねる、とか。

僕のじゅんけつ、とか。

私がムリヤリ何かするみたいな言い方。

 

 

 

〈ただいま、です。香里さんとごはんに行ってきました。

 お兄ちゃんに、“あること、ないこと”……じゃなくて

 “ないこと、ないこと”言わないで!

 先週だって、お兄ちゃんてば、“榊さんをもてあそんだんですか?”なんて、言い出すし。

 まるで悪女みたいな言われ方。

 全然、実力(?)がともなっていないのに。

 出張は順調ですか? 

 予定が延びたら、ほんとに押しかけます。

 なんてね。冗談です。困らせたくないもん。

 でも、淋しい。会いたい。ぎゅうぅってしてほしい。

 榊課長不足で、息が苦しいです。

 土日は、休日出勤するの。

 “どうせ、一人が淋しいから仕事しようって魂胆でしょ?”って。

 香里さんには見抜かれちゃいました。

 淋しすぎるのと。

 それから。

 来週たくさん榊課長との時間が作れるように。

 頑張ってきます。

 あの、ね。

 メールじゃなくて。

 会って言わなきゃいけないって、わかってるんだけど。

 大好き、です〉

 

 

 

“夜、したためた恋文は、翌朝読み返すと、はずかしくて出せない”って。

聞いたことがある。

絶対、はずかしくて身悶えするに決まってる。

けど、送信しちゃった。

“欲しいなら、突っ走っていい”

“思ったことは言葉にしなきゃ”

今夜、香里さんに言われたこと。

今は、欲しくても突っ走れない事情がある。

だからこそ、思ったことは言葉にしようって決めた。

――終わらせたくないから――

――二人で永遠を手にしたいから――

 

 

 

KISSの法則・休日出勤

 

休日出勤は、有意義で。

電話も鳴らない。メールも来ない。

次から次へと溜まっていく依頼がストップしているから、焦らない。

手持ちの仕事を完了させて。

シンジョ内に滞っているチェック待ちの業務をこなす。

落ち着いてゆったりチェックしていたら、それぞれのコの長所と短所が見えてきた。

慌ただしいウイークデーでは、ここまでわからない。

すぐにエクセルで名簿を作って、個々の得意分野、苦手業務、克服ポイントを打ち込んでいく。

毎日、チェックのたびに書き込んでいけば、きっとパワーアップが図れる。

 

 

 

土曜日夕方の電車は、デート帰りの恋人がいっぱいで。

車内にハートがふわふわ。

いいな。

大好きな人がそばにいるって、幸せなことなんだよ、って。

つい、言いたくなっちゃう。

今日は私の方が早いはず、と。メールボックスをクリックしたら。

「……もう、届いてる」

思わず声がもれた。

時間は朝8時。

え。朝、8時?

家を出る前に確認しなきゃいけなかったのかも。

 

 

 

〈おい、こら。

 殺し文句言うだけ言って、放置かよ。

 一人だけ、ぐっすり寝てんじゃないぞ。

 オレなんて、いろいろと……

 “オトナのオトコ”の事情があって、眠れなかったんだからな。

 (例のごとく、質問は受け付けない!)

 それはともかく。

 休日出勤って、なんだよ。

 そりゃ、シンジョの仕事にケリがつけば、こっちはありがたい。

 名目上“企画3課の仕事手伝ってくれ”ってことで

 来週月曜以外も、思う存分二人っきりになれるからさ。

 けど、毎日会社でそれはまずいだろ。オレが止まらないぞ。

 月曜は暴走ぎりぎり充電で留めて、あとはゆっくり落ちつかせないと……

 暴発して、火曜日から同棲開始決定だ。

 企画3課課長として言わせてもらうが、

 立花くん、君は会社をなんだと思ってるんだい?

 “ぎゅうぅって”する場所じゃないんだぞ(笑)

 ま、冗談はさておいて。

 

 

 

 休日出勤は、人目がないから気を付けろ。

 なんかされたら、いや、声を掛けられた時点で投げていい。

 そいつの“ないこと、ないこと”を挙げ連ねて、正当防衛だって証明してやる。

 そういうの得意だからさ。

 それと。

 ああいうの、メールで言うなよ。

 ゆうべはただ嬉しくて。

 悶々&爛々(パンダじゃないぞ)だったけど。

 夜が明けるにつれて、なんかあったんじゃないかって、やきもきしてきた。

 なぁ。そのまま、真っ直ぐな意味でいいんだよな?

 返信は夜でいい。待ってる。

 オレはメールじゃなくて。

 会って思いの丈をカラダで目いっぱい伝えるから、覚悟しとけ。

 煽り倒したバツだ〉

 

 

 

もぉ、また。いじわるばっかり。

でも、にまにまが抑えられない。

会える日が近づくにつれて、メールが長く、濃く、そして大胆になってる。

煽り倒してないよ。

素直な“大好き”を伝えたかっただけ。

メールで言うのは卑怯だけど、ね。

個人的に、パンダの悶々と爛々が気になって。

想像してぷぷっと吹き出す。

うずうずしているシャイなコと、瞳を輝かせる好奇心旺盛なコ。

仔パンダで、気持ちを逸らせているのに……

ふつふつ沸いてくる逢いたいキモチ。

あぁ、もうっ……

声が聞きたい!

押しかけたいっ!!

ひっつきたいぃ!!!

あと2日。もう少し。

頑張れ、私。

こらえて、私の恋心。

 

 

 

〈ただいま

 えっと、まずは。

 “あれ”は、そのままの真っ直ぐな気持ちです。

 他意はないの。

 思ったことはちゃんと言葉にしようって決めたんだけど、TPOをわきまえていませんでした。

 社会人失格です。ごめんなさい。

 それから!

 会社で、ぎゅうぅってして、なんて。

 私、言ってないでしょっ。

 大体、会社でそういうことしたのは、誰ですか?

 私だって、いやじゃなかったけど。

 でも、その……

 もう! いじわる言って、ドキドキさせて。

 心臓が痛いです。

 

 

 

 今日、誰も声なんかかけてきませんでしたよ。

 にやにや笑いながら、ひとりごとをぶつぶつ。

 そして、鬼のように仕事をしていたからかも。

 かっこいいでしょ、私。

 あ。違う。不気味、ですよね。

 明日、仕事の合間に、パンダの悶々と爛々の絵を描こうと決めました。

 そして、例の小会議室の下見をしようかな?

 わくわくしすぎて泊まっちゃうかも。

 ……嘘です。

 あと、2日弱。

 こんなこと書いたら、また、からかわれちゃうけど……

 明後日、“ぎりぎりの充電”楽しみにしています。

 おやすみなさい〉

 

 

 

KISSの法則・兄の友人

 

送信しながら、ほくそ笑む。

明日は、出張中最後のメール。

ひと泡ふかせる言葉を考えなくちゃ。

そうそう、夕食の支度とお風呂の準備しなきゃ。

“帰ってすぐに2階に上がるなんて、お行儀が悪いですよ”、って。

お兄ちゃんに叱られちゃう。

ぱたぱたと階段を降りたら、玄関ホールに人の気配。

「ただいま、麻衣」

お兄ちゃんだっ。

土曜日だから、今日は早く帰れたみたい。

わーい、いっぱい話せる。

おかえりぃ、って。はしゃいだ声で出迎えたのに。

「なんですか、階段を駆け降りたりして。

 お行儀が悪いですよ」

やっぱり、叱られた。

 

 

 

ごめんなさい、と首をすくめる。

ちらりと見上げたら、お兄ちゃんの背後に誰かいて。

くすくすと笑い声が聞こえた。

「こんばんは、麻衣ちゃん」

お兄ちゃんの肩越しに顔を覗かせた人は……

ずっとお兄ちゃんの恋人だと疑わなかった、“あのひと”で。

初めて、声を聞いた。

「は……初め、まして。えっと、ユウさん。

 兄がいつもお世話になっています」

わたわたしながら、ぺこぺこお辞儀。

至近距離で見ても、すごく、綺麗。

声だって、落ち着いた女性そのもので。

違和感なんて全然ない。

 

 

 

やだ、もう、と。

ユウさんは華のように笑って。

「ユウって、本名よ。イオから聞いたのね」

イオ……? あ、伊織。お兄ちゃんのこと。

やだ、なんか。

恋人のヒミツの呼び名っぽい。

身内だから気恥ずかしくて、どんな反応していいかわからない。

だから、無言でこくこく頷く。

「ここではなんですから、上がりなさい、ユウ。

 麻衣、リビングへ案内して」

お兄ちゃんの言葉に、弾かれるように頷いて。

どうぞ、と。ユウさんに声を掛けた。

 

 

 

「今夜はパーティーなんですよ。

 なんでも、取引先のご子息の婚約らしくてね。

 ですから、夕食はすませてください。

 私は支度を整えますから、ユウにお茶をお出しして」

はい、と頷く私に、お兄ちゃんは真っ直ぐ視線を合わせて。

「少し、二人でお話をしていなさい」

意味ありげに、囁いた。

「紅茶でよろしいですか?」

淡い薔薇色、ロゼワインのようなスプリングコートのユウさんは、にっこり笑って頷く。

「コートをお預かりします。どうぞソファへ」

ありがと、と。コートを脱ぐ彼女。

ドレスを見て、思わず感嘆のため息。

 

 

 

桜色のイブニングドレス

デコルテも腕もあらわにしていない、ローブ・モンタント調の露出の少ないもの。

でも、背中が広く開いたドレスで、匂い立つような色香にくらくらする。

紅茶を淹れる私に、ユウさんは気さくに話しかけてくれて。

「私ね、何も手を加えてないから、脱ぐとぺったんこなの。

 背があって華奢だから、モデル風のコーデが基本。

 ウエストはごまかしが効くけど、胸と喉は骨っぽくて見せられないのよ」

“お胸”に関しては、私も悩んでいる。

自分の貧相な“お胸”をちらっと見て、ため息。

「麻衣ちゃんったら、もう。

 相変わらず可愛いわね」

堪えきれないようにくすくす笑う、ユウさん。

相変わらず、ですか? と、訊く。

初めまして、じゃなかったっけ。

 

 

 

ソファに座って紅茶をひと口。

美味しい、と。優雅に微笑むユウさんから目が離せない。

「覚えてない? ……わよね。

 会ったのは、あなたが赤ちゃんの頃だもの。

 何度も見に来て、抱っこさせてもらって。

 私、まだその頃は、完全な美少年だったのよ」

えーっと。今の発言は突っ込みどころがある気が……

まず、“赤ちゃんの頃”という時期と、“相変わらず”という失言。

“完全な美少年”という、自画自賛

ユウさんって、見かけによらずおちゃめな人、かも。

ユウさん、と。呼びかけて、言葉を止める。

「あ、ユウさんってお呼びしていいですか?

 本名を呼ばれるのは、お嫌なんですよね」

そうそう、思い出した。

叶わぬ片恋の女性がいて、その名前を源氏名にしている、って。

 

 

 

「ううん、いいわよ。

 ユウって呼んで」

ユウさんは、はずかしそうに首をすくめる。

「イオがそう呼んでるのに、麻衣ちゃんが別の名前を呼んだらややこしいでしょ?

 ほんとはお店のコ達にも知られたくないんだけど、イオはお店でもユウって呼ぶの」

すみません、と。謝るしかない。

お兄ちゃんって物腰は柔らかいんだけど、頑固なところがあって。

一度決めたら、絶対変えない。

「今度、一緒にお買い物、行くのよね。

 楽しみにしてるわ」

そうでした。その打合せ、しなきゃ。

「お忙しいのにすみません。よろしくお願いします」

お休みは土日? と。訊くユウさん。

はい、と頷くと。

「じゃあ今日、日程を決めちゃいましょ? 

 もう一人、一緒に行かれる方も土日休みよね」

そうです、と。返しながら、タスク管理表を思い浮かべる。

6月に入ったばかりだから、達成には充分。

よくやった、って褒められるかも。

 

 

 

「そうね、来週の土曜日。

 場所と時間を連絡するから、アド交換してくれる?」

あ、はい、と。

答えたところへ、タキシード姿のお兄ちゃんが登場。

ひゃあぁ、今夜もびしっと決まってる。

「麻衣、カフスを止めてください」

なんていう妖艶さ。

これじゃ、女の人が放っておかない。

ユウさんが隣にいなかったら、ちょっとした騒ぎになるはず。

はい、どうぞ、とカフスを止めて見上げたら。

「ありがとう。

 お礼に、メールアドレスの交換をしてあげましょう。

 携帯を持ってらっしゃい」

助かったぁ。

やり方がわからなくて、お兄ちゃんにお願いしようと思ってたから。

 

 

 

「じゃ、麻衣ちゃん。携帯にメールするから。

 メールの見方はわかるのよね、返信もできる?」

頭を撫でながら、訊くユウさん。

愛おしげに目を細める表情は、幼子に対するかのようで。

「できます。

 ちょっと、返信に時間がかかりますけど。

 すみません」

答えながら、落ち込む。

ユウさんとお兄ちゃんは、並んだらとてつもない相乗効果で。

見ているだけで、その色香に酔ってしまいそう。

ユウさんから見たら、私なんてほんとに赤ちゃんなんだろうな。

行ってらっしゃい、と。

笑顔で二人を見送って。ソファに、とすん。

色気のなさに落ち込んでる場合じゃない、と。奮い立たせてお風呂の準備。

月曜日、愛しい人に会えるんだもん。

見違えるほど、は、ムリでも。

少しは綺麗になっていたい。

 

 

 

KISSの法則・メールの応酬

 

お風呂から上がって、ひとりきりで夕食。

淋しいな、なんて。ひとりごと。

もう、今日のメールも送っちゃったし、つまらない。

「そうだ! もう一通メール送っちゃお」

ユウさんと会うのは、業務の範疇(はんちゅう)だし。

〈業務連絡です

 さっき、ユウさんにお会いしました。

 お買い物の件ですが、来週の土曜日で、とのことです。

 ご都合はいかがですか?

 あのね。

 今夜、お兄ちゃんとユウさんはパーティーに行っちゃったの。

 淋しい、淋しい、淋しい、淋しいぃ……

 榊課長に早く会いたい。

 わがまま言ってごめんなさい。

 ちゃんと待ってるから、気をつけて帰ってきてね〉

 

 

 

翌、日曜日は、家を出る前にメールを確認。

〈ばーか、煽りやがって。

 また、寝かせないつもりかよ。

 けど、残念でしたー。

 麻衣のメールを読んだのは朝だから、爆睡した後だ。

 今日が最終日だからな、ミスは許されないんだぞ。

 まぁ、正直。

 伊織さんとユウさんの話を麻衣から聞いて、クールダウンできた。

 煽られたまま、本社に戻ったら……

 麻衣の初めては、ぜーんぶ小会議室で、ってことになる。

 それぐらい、想いが募って、切羽詰まって。

 麻衣が欲しくて欲しくて、抑えが効かなかった。

 オレが書いたタスク管理表、コピーとって1部くれ。

 暴走しそうになったら、それ見て頭冷やすから〉

 

 

 

おなかの、もっと下のあたりが、“きゅうん”って熱く疼く。

私、ヘンだ。

“麻衣が欲しくて欲しくて”……なんて。

もう。どうにか、なっちゃいそう。

ふわふわしたまま、出勤して。

仕事はこなしたものの、淡いピンクのフィルター越しに世界を見ているよう。

ぽわん、と。思考が彷徨う。

だめだめ、榊課長がクールダウンしてるのに、私がこんなんじゃ。

コピーしたタスク管理表を眺めて、へにゃへにゃの思考を立て直そうと頑張るけれど。

全てが丸く収まって、何の障害もなくなった時。

私、どうなっちゃうんだろう。

とろけて、ぐにゃぐにゃかもしれない。

 

 

 

夜、家に帰って、今回の出張最後のメールを送る。

〈やっと、明日会えますね。

 はぁ。長かったし、苦しかった。

 でも、今はもっと苦しいです。

 榊課長のメールを読んでから、なんだかヘンで。

 ずっと。

 胸がとくとく、頭がふわふわしています。

 これが、“煽られて眠れない”っていうことなの?

 私もクールダウンしなきゃ。

 月曜日、小会議室へは17時頃行きます。

 そのまま二人で直帰しなさい、って。香里さんから言われました。

 あのね。

 せっかくクールダウンしたところ、申し訳ないんですけど。

 ずっとメールでいじわるされて、一矢報いたいって企んでたの。

 だから、言わせて。

 おやすみなさい。……拓真さん〉

ぽちっと、送信をクリックして。

きゃあぁ、送っちゃった! と。ひとり奇声を上げた。

 

 

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