のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】第7話 課長のヒミツ① 離れない視線

 

気づくと追っている視線。
その理由からは目を逸らせる臆病者。

 

第7話 課長のヒミツ① 離れない視線

 

 

 

「……充電完了」

 

――今日も、また――

彼女に囁く

 

 

 

氷の榊、氷解

幻滅必至? 

閲覧注意報発令中!

 

 

榊? ああ、僕の友達

氷の榊なんて呼ばれてるけど、喋んないだけだよ

からかい甲斐があって、楽しいけどね(僕が)

F社 E部第2課長 T氏談 

 

 

榊のどこがいいわけ?

小心者のくせに、自己中、冷徹、思い遣りがなくて、協調性のかけらもない……

ただ顔がイイだけじゃない(同期で2番目にね)

F社 J部S課長 S女史談

 

 

 

課長のヒミツ・プロローグ

 

「……充電完了」

――今日も、また――

オレは、彼女に囁く。

彼女は何も言わない。ただ、俯くだけ。

大きく息を吐く彼女に、笑みがもれる。

離れる時は名残惜しくて。

彼女の背中に指を這わせる。

下心をひた隠し、あくまでもさらりと撫でるだけ。

拒否されてる感、は微塵もないと信じてる。

それでも、いつか拒絶されるかもしれない。

臆病なオレは、今日も彼女の背中越しに抱きしめる。

 

 

 

毎週水曜日。17時50分。

5階のオフィスから階段で6階へ。

休憩室に併設された給湯室に、まっすぐ向かう。

小さな背中をこちらに向けて、おとなしく待つ彼女。

初めて「充電させて」と言った、あの秋の日。

勘違いとはいえ、素直に「どうぞ」と首をかしげた彼女。

オレが言う”充電”の意味を知った今も、そう、思っていてくれますように。

今日も祈りながら言葉にする。

「充電、させて」

後ろから、彼女の頭に頬をよせて。

覆うように包んで、両手をふんわりと彼女の前で組む。

 

 

 

ふれていられる限界は、頭と背中と肩だけ。

それ以上を感じてしまえば、オレの淡い想いは暴発する。

――怖がらせたら逃げられる――

――ゆっくり、手なずけたい――

そんな呪文を何度も唱えて。

欲望が疼きだす、ほんの一瞬を見極める。

「……充電、完了」

そう、自分に言い聞かせ、腕を解く。

本当は、もっともっと欲しいのに。

席を外して、戻るまで、時間にして5分ちょい。

それが、限界。

 

 

 

課長のヒミツ・第3企画課

 

大手イベント企画会社【Felice(フェリーチェ)】の企画部、第3企画課長。

それが、オレの肩書。

課長とはいえ、部下はいない。

第3企画課に所属するのは、課長のオレ1人という斬新さだ。

第1企画課には、課長以下12名、第2企画課は同じく15名。

カフェ経営、野外フェス、学園祭、個人の結婚式もプロデュースする第1。

ネット広告、音楽配信の第2。

第3は……もともと第1から派生した異端児みたいなもの。

誰かに指示を出すくらいなら、自分でやった方が早いし、手間もかからない。

上下の摩擦に神経をすり減らすくらいなら、プレゼンを練りたい。

そう、直訴したわけではないのだが。

黙々とリサーチデータを分析し、行動心理学に照らし合わせ、過去の事例を鑑みる。

出来上がった企画書。

プレゼンの段取り。

それらが結果となって現れ、今の体制になった。

 

 

 

大がかり且つ社運のかかった単発の企画を担当するのが、第3で。

ホテルやデパートのイベントを0からプランニングする。

企画が軌道に乗れば、その都度、営業、システム開発、広報などの主要部署から責任者を選抜し、チームを編成。

1人で第3企画課の看板を背負ってるといったって、特に企画力に優れているとは思わない。

行動心理学のちょっとした知識。ニュースとデータ。

それを組み合わせているだけだ。

ひとごみは嫌い。

イベントだって熱狂するほど好きなわけでもなく。

醒めている分、冷静に分析できることが強みといえばそうなのか。

楽しそう。ウケそう。

そういう直感ではなく、データで論理を組み立てる。

企画書は、そのための大切なツール。

勘で動ける天才型の人間に劣等感を覚えながら、戦略でそいつらを打ち負かす。

ちっぽけな優越感に浸っては、また怯える日々。

 

 

 

春以降、がらりと変わった世界観と処世訓。

今まで通りのやり方では企画が通らない。

自粛ムードはじわじわと人の心を蝕んで、様々なところに影を落とす。

華やかなブライダルフェアも、ホテルのグルメバイキングも、もはや悪でしかなく。

何かをしても、逆に何かをしなくても批判される異常事態。

批判元を辿れば、現場の声ではない事実。

近い将来、少しでも余裕を、そして笑顔を取り戻せるように、祈り。

そのとき、生きる希望が湧くような、心が躍るような、何か。

それを暗闇で模索している。

 

 

 

元々、他人は信用しない主義。

信じなければ、裏切られない。

「榊くん。

そろそろ一人で抱えるのも限界だろう。

アシスタントをつけた方が、効率も上がると思うんだが。どうだい?」

そんな部長の労いの言葉も、煩わしいと思っていた。

それでも、良かれと思ってアドバイスをしてくれる部長の言葉を無碍(むげ)にするほど、アオくない。

毎年、新入女子社員に該当者がいるかチェックする……フリをしておく。

形の上だけの単なる儀式。

人事部、新人女性社員研修課に依頼メールを送り、一瞥して〈却下〉と返す。

同期の新堂香里(しんどう かおり)が課長を務めているので、気楽なもんだ。

こっちの都合で振り回しているのは気の毒だが、新堂は、がーっと怒って、すぐケロッとする。

扱いやすい、いや、竹を割ったような性格で正直助かっていた。

おそらく、同じく同期の営業課長、高橋が宥めたり賺したり、とフォローしてるんだろうが。

ま、アイツらは恋人だから。

それくらい、いちゃこきの延長だろう。

 

 

 

課長のヒミツ・シンジョトップ

 

「ねぇねぇ、榊。

今年の“シンジョ”に異変あり、だよ」

いつもの社食。

高橋が声を落としつつ、興奮気味に話しかける。

シンジョとは新人女性社員研修課の略。

シンジョなんて、正直興味ない。

「どうせ新堂から聞いた、どーでもいい話だろ?」

恋人から聞いた話をしたり顔で広めるなよ。

頭の軽いオンナみたいじゃん。

「そう言われたら、身も蓋もないんだけどさ」

社内だからって、オモテ口調なのがムカつく。

気心の知れたごく少数の前では、そんな甘えた言葉遣いしないクセに。

「シンジョの中に、僕と榊を知らないっていうコがいるんだって」

僕、だって。気持ちワル。

「別に異変でもないだろ。

ぎゃあぎゃあ騒ぐ方が、おかしいんだよ」

ほんとにオンナっていうのは、どうしてああも煩いのか。

「騒いでねーで、仕事しろっての」

吐き捨ててやった。という割には、小さな声で。

 

 

 

オレの小心ぶりを、あはは、と笑う高橋。

「なんでもさ。

そのコのとこに、名古屋支店の新入女子社員からメールが来たらしいんだよ。

すごいイケメンがいるんだってねって、僕ら二人を名指しでさ」

名古屋? 

めったに行かない名古屋で、そんな噂が。

うあ、めんどくさ。

「それで、そのコ『高橋課長と榊課長ってどの方ですか?』って香里に訊いたんだって。

香里も唖然としてた。

シンジョのほかのコが『同じフロアにいる人だよ』って教えても、きょとんとしてたって」

「鈍いオンナだな、そいつ」

 

 

 

ところがさ、と高橋は続ける。

「そのコ、今年のシンジョトップらしいんだよね」

トップ? 

入社成績優秀ってだけじゃなく、新堂の査定でトップってことか。

「今年のシンジョは、しょぼいんだな」

心の中でほくそ笑む。

毎年の退屈な儀式。

オレの依頼メールは、その年のトップが処理するのが慣例だから。

そんな鈍いオンナなら、今年は中身を見なくても〈却下〉でいい。

なんなら、依頼なんてしなくてもいいくらいだ。

 

 

 

そう、高を括っていたオレが、揺れたわけは――

「ほら。あれが榊課長だよ」

「あそこで笑ってる人。営業のプリンス、高橋課長」

遠くで囁かれる声。

「あ、はい。

ちょっと待って、ください」

慌てる声。

ああ、あれが。

トップのオンナがどんなヤツなのか見てやろうと、軽い気持ちで向けた視線。

「どーせ、地味で頭でっかち、な……」

釘付けってこういうことか、と唸るくらいに目が離せなかった。

黒に近いダークブラウンのさらさらなミディアムヘア。

華奢なボディラインに、制服を規定通りに着こなして。

パソコンの画面から離せずにいる真摯な瞳。

遠目でもわかる、愛らしい顔立ち。

 

 

 

「あれが、清楚で可憐な“すみれ”ちゃん」

背後で囁かれ、振り向くと、にたにた顔の高橋。

「すみれ?」

「あだ名。

営業のやつらがそう呼んでるんだよ」

高橋は肩を竦めた。

「本名出していろいろ噂してると、まずいんでしょ?」

まずい噂ってことは、男同士で交わすヤラシイ噂に違いなく。

そんな目で見られることが奇異なくらい、透明な女の子に思えた。

「野に咲くすみれ。立花麻衣ちゃん。

清楚で可憐、手折るのを躊躇うくらい純朴なコ、なんだって」

そういうコをヤラシイ目で見てんのは、誰の部下だ。ぁああ?

 

 

 

「香里も何かと目をかけててさ。

仕事もきっちりこなすし、穏やか。

素直でにこにこ、気遣いもできる」

ふん、と鼻を鳴らしてみせる。

「そんなの、猫かぶってるだけだろ」

「香里の目は本物だよ」

高橋がほざく。

ノロケかよ、勘弁してくれ。

「シンジョに混じってれば、朱に染まるさ。

……そうだな、今日から3日ってトコじゃね?」

なにがさ? と口を尖らす高橋。

「オトコ見て、ぎゃあぎゃあ言い出すのが、さ」

自信たっぷりな笑顔で、そうかな? と呟いて。

「ずっと女子校だからな。本物かもよ」

今年のトップは曲者だ。

女子校育ち、素直ないいコ、清楚で可憐な”すみれ”ちゃん。

果たして、化けの皮はいつ剥がれるのか。

 

 

 

課長のヒミツ・ムカつく同期

 

3日で剥がれると思っていた化けの皮は、意外にもぴったり張り付いていたらしい。

相変わらず、オレらを指差すシンジョ。

毎回、遅れる彼女の反応。

「どんだけ鈍いんだ?」

悪意ある呟きとは逆に、なるべく彼女に姿を見られないように努めた。

意味のない行動だと、わかっている。

早く認識させ、次の行動を見たいような、そうなることが怖いような。

「怖いって、なんだよ」

ひとりごとが多い、最近のオレ。

彼女が周りと同じように騒ぎ出したら、幻滅するだろう。

やっぱりか、とほくそ笑むよりも……幻滅?

「ああ、あの人が」と冷たい反応を見せられたら、癪に障る。

癪に障る、じゃないだろ。

せいせいする、の間違いだ。

「……疲れてんだな」

また、ひとりごと。

 

 

 

どういう心理がそうさせるのかは、謎だが。

姿を見られないように、シンジョに見つかるたびに移動を繰り返す。

そのうち、わざとシンジョの目に入り、彼女が目線を向けるギリギリで躱す(かわす)のが楽しくなってきて。

「麻衣、また見損ねたの?」「はいぃ、すみません」なんていうやり取りに頬が緩む。

「榊、最近ご機嫌じゃん?」

高橋が、にやにや笑って指摘する。

「追いかけっこ、楽しいもんね」

こいつ、オレの行動にいち早く気づき、真似してやがる。

だから、彼女が確認出来ずに残念がっているのは、オレだけじゃなく、高橋も。

それが、ムカつく。

「独占欲っていうんだよ、そういうの」

「ばっ、なに言って……!」

叫びかけるオレを、パーテーションの陰へ引きずり込む高橋。

「あっぶない。

今、麻衣ちゃんにロックオンされそうだったよ」

麻衣ちゃんなんて、馴れ馴れしく呼ぶなよ。

そうは言えないからそっぽを向いてやり過ごす。

「好きなコ苛めるのって、オトコのサガだからね」

……こいつはぁ!!!

 

 

 

課長のヒミツ・依頼

 

勝手な憶測でオレをからかう高橋も、新堂には何も言っていないようだった。

新堂に勘繰られてはいろんな意味で面倒だから、一応、高橋には感謝しておく。

……心の中だけで。

高橋は、新堂から聞いた立花麻衣の話を毎日オレに吹き込む。

概ね好意的なそれで、オレを揺さぶろうという魂胆か。

その鼻を明かしてやろうと、敢えて依頼メールを送ることにした。

例年通りの6月。新入社員が、落ち着いた頃。

これまた例年通りの依頼メール。

手書きのPDFを添付して、それをパワーポイントで作れ、というもの。

これが結構、気を遣う。

毎年同じにしたいところだが、新堂経由なため、やっつけ仕事だとばれてしまう。

仕方ないから、打ち合わせ時のラフをPDFに落とすのだが、そのままだと機密事項がダダ漏れだ。

文字を“○○○”、“***”なんかの伏せ字にして、再度依頼用のラフを書く。

「くそ、めんどくせーな」

下書きの書き直しなんて、不毛な作業。

これを、ただ〈却下〉するためだけにやるなんて、狂気の沙汰だ。

 

 

依頼メールは例年より早く戻ってきた。

From:新堂

To: 第3企画課長 氷の榊さま

Subject:依頼メール返信

Body:添付見てね~ん。季節がわからないので2種作ってみたぞ。

なんだこのふざけた文面は。

バカじゃねーの、新堂。

しかし、開いた添付が思ったよりも上出来で、くーっ、なんて唸ってみる。

テンプレなのは一目瞭然。

でも、使えるもんは使った方が勝ちだろう。

今までのシンジョは、こんな知恵すらなかった。

画像の揃え方、文字の配置。

それなりに研究している跡が見える。

2種っていうのは、ウォームカラーとコールドカラー。

どちらも綺麗な色遣い。

上下の太めのラインに、うっすらと見えるイラスト。

冬用のウォームカラーには雪の結晶、夏用のコールドカラーには波。

インパクト&ダイレクトに重点を置くオレの企画書とは違うけれど。

「こういうのもあり、だな」

女性向けのイベントは、担当者も女性だから喰い付きが違うかも。

 

 

 

どうよ、どうよ。

シンジョのデスクから口パクで、通りすがりのオレにアピールしまくる、新堂。

ぎろりと数秒睨んで、そっぽを向いてやる。

ま、そーだな。

まあ、まあ。ってとこだろ。

絶対、言ってやんないけど。

例年通り、素っ気なく赤ペンで修正箇所を指摘して、新堂に突っ返してやった。

 

 

 

課長のヒミツ・不穏な空気

 

「お~い、氷の榊く~ん!」

4階、社員食堂の廊下。

後ろからじゃれついてくる、高橋。

「聞いたよ、聞いたよ」

なに、このテンション。

「……なにを」

聞きたい? と首をかしげる高橋を躱して、どーでもいい、と足を進めた。

「麻衣ちゃんがさ」

オレの腕をがっちり掴んで、耳元で囁く高橋。

つんのめる、体。

聞きたがる、心。

戸惑う、脳。

「聞きたい?」

遊ばれてる、確実に。

「……別に」

コイツ、ムカつく……という脳の指令に従ったまで。

意地でも聞く気はないぞ。コケにしやがって。

 

 

 

そのまま、ずんずん廊下を進むと、喫煙コーナーになる。

タバコは吸わないが、その先の自販機が目的だ。

ここの自販機は穴場だから。

自販機は各階の廊下の突き当たりにあるが、4階は喫煙コーナーの裏だからオンナが来ない。

一瞬周りをチェックして、アイスココアのボタンを素早く押す。

ぷしゅっと開けて、ごくごくと音を立てて飲む。

脳が糖分を欲してるだけなのに、何でこんなコソコソと一気飲みしなくちゃならないんだ。

ふう、と息をついたオレの耳に、話し声。

ココアの缶を捨てようとした手が止まった。

……すみれちゃん、何曜かな

お前、新堂さんに聞けよ……

……ばか、聞けるわけないだろ。

でもさ、チャンスだよな……

薄い壁一枚隔てた向こうで、企てられる悪事の断片。

 

 

 

やつらが一服して出て行くまで、息をひそめてじっとしていた。

空き缶を手にしたまま。

どうやら、すみれちゃん=シンジョトップ=立花麻衣に、危険が迫っているらしい。

胸がどくどくする。

嫌な予感。

この時のオレに“放っておく”という選択肢がなかったのは、なぜだろう。

やつらが離れたのを見計らって、立ち去ったのとは逆の階段を駆け上がった。

「おい、高橋!」

見つけた高橋を後ろから羽交い絞めにし、人目につかない廊下の死角に引きずり込む。

「さっきの話、詳しく聞かせろっ」

 

 

 

オレの剣幕に一瞬だけ、ビビる高橋。

「さっきの話って、なんだよ~」

間延びした声に殺意を抱く。

「たち、ばなの、話だよ」

立花と呼ぶだけで戸惑いながら。

殺し屋のように囁いてやった。

「え~、こんな絶好の“いちゃこきスポット”に僕を連れ込んで、女の子の話~?」

おねぇキャラに散々焦らされて。

業を煮やしたオレの鉄拳で、ようやく口を割らせる。

 

 

 

「だからさ……麻衣ちゃんが」

おう、と合いの手を入れて、次の言葉を待つ。

「芸術品だって」

あ? なんの話だ。

……まさか、あいつら。

立花麻衣が芸術品だから狙ってる、みたいな。

キモッ。

本格的にまずいだろ。

「だ、か、ら! お前の企画書だよ。

赤の通りに修正したら、『芸術品だ~』って。

麻衣ちゃんが子供みたいに感動してたって、話」

なんだ、それ。

力が抜けた。

 

 

 

「麻衣ちゃんのこと、“すみれちゃん”って呼んで狙ってるやつが、どれだけいると思ってるんだよ」

お前の部下どもが、立花麻衣によからぬことを企てようとしている、と告げると。

高橋にさらりと返された。

「いーから。なんとかしろよ」

こういう時こそ、新堂の出番だろ。

「そんなの、情報を入手した張本人がどうにかするべきだよ、榊く~ん」

ちっちっち、と人差し指を振る。

「僕は部下を信じるし。

ま、部下のいない榊くんには、このピュアな気持ちはわからないだろうけどね」

ふふん、と威張る高橋。

「じゃあ、やつらが言ってたのが何のことか教えろよ」

曜日と、新堂と、……チャンス。

「7月からシンジョのお掃除当番リニューアルっ! 乞う、ご期待っ♪ ってヤツだろ」

なんだよ、それ。

もっとフツウに、オレにわかるように言え。

首に手を掛けたら、やっとギブした。

 

 

 

どうやら、去年入社のシンジョから今年入社のシンジョへの掃除の引き継ぎらしい。

「毎年シンジョにお近づきになりたいオトコどもが色めき立つんだよ。

夕方の掃除は人目につかないし、香里の邪魔もないだろ。

どの子が一番可愛いか、値踏みするってわけ。

ま、今年は“すみれちゃん”と、“のばらちゃん”がツートップだろうね」

のばらちゃん……が誰なのかは、さておいて。

「どっちにしても、お遊びだよ。

まさか社内で、よからぬ企みなんてありえないだろ」

何でこんな呑気なんだ。

「よからぬ企みなんて甘いもんじゃねーだろ。

犯罪に近いものだとしたら、まずいぞ」

にやりと笑う高橋。

やば、なんか、地雷踏んだか?

 

 

 

「例年の恒例行事だよ。何で今年だけムキになるのさ」

ぐ、と息をのむ。

それは。たまたま、情報をキャッチしたからで……

「それに、毎年何もないだろ。今年も何もないよ」

「でも、なにかあってからじゃ……」

言い募るオレを手で制し、高橋はにやりと笑う。

「データの申し子、榊くん。

君ともあろうものが、噂だけで動くのは感心しないなあ。

ま、現場を押さえて乗り込むんだね」

今度は、なにキャラだ。

「姫の危機を救う王子的な演出を狙うと、姫の心をゲットしやすいだろう?

チャンスだよ、榊くん。健闘を祈る! 

は~はっはぁ~」

おそらく上司キャラと思しき高笑いを残して、高橋は去っていった。

 

 

 

間もなく、オレの指定通り“以上”の企画書が返却された。

前回のフォントを覚えていて、伏せ字をそれに合わせてある。

たかが伏せ字、なのにだ。

芸術品だ、と子供みたいに感動してた、という立花麻衣を想像して口元が緩む。

この企画書をこれ以後どうする予定もないオレは、新堂への返信に困っていた。

〈及第点。

今後仕事頼むからトップのスケジュール調整、求む〉

違うな。

〈合格。

追って仕事を頼むつもり〉

メール画面に入力しては、消して、ため息。

及第点はまずいか。いや、合格ってのも、なんだかな。

〈ところで、立花麻衣の掃除当番は、何曜だ?〉

打ち込んで、またため息。

〈ところで〉って、なにからの〈ところで〉だ。

「訊けるわけねーだろ」

高橋に訊いても、知らないよ、と逃げられるし。

 

 

 

課長のヒミツ・掃除当番

 

7月1日、金曜日。

新入社員の本採用式が6階大会議室で行われた。

シンジョの席は半分が空席、そのほかの部署もフレッシュな顔ぶれがごっそり不在。

「ど~んより、空気が淀んでるね。

新人って、マイナスイオンに溢れてるんだな」

オフィスチェアに逆向きに跨いだまま、コロコロと近づいて耳元でいう、高橋。

「ま、そーだな」

普通に返事をしたオレに、お? と驚く高橋。

「なんて、素直。

そんな榊くんにご褒美です。

なんと! 

シンジョが戻ってきたら、お掃除当番表の配布イベントが開催されます」

がばっと顔を上げたオレの耳に、ざわめきが届く。

「噂をすれば。戻ってきたね」

シンジョ達の中に、立花麻衣の姿。

「は~い。本採用おめでとう」

新堂の声が聞こえる。

「さて。本採用となったあなた方に、新しいお仕事です。

詳しくは採用通知の背後に隠されているプリント参照」

 

 

 

やべ。急げ。

用もなく傍にあったA4封筒を手に、がたがたと席を立つ。

「〈夕方のお掃除当番表〉?」

「はい、そうで~す。

曜日や場所の変更は一切受け付けません。

その表の通り、粛々と行うこと。なお、初回限定で前任者から引き継ぎあり」

見つからないように、不審がられないように。

慎重にシンジョのデスクへ近づく。

A4封筒で顔を隠しながら、精一杯、眼球を動かした……のだが。

 

 

 

「いや~。頑張ったんだけど、一歩及ばなかったね」

失意を胸にデスクに戻ると、ぽんと肩に手を置かれた。

見なくてもわかる、高橋だ。

「そんな榊に朗報だ。

土曜のランチと引き換えに、とっておきの情報を教えるよ」

取引か。

汚いぞ、高橋。

「何で土曜にお前と二人でランチなんだよ」

「二人じゃないよ、香里も一緒」

笑顔の高橋。

「お前らのデートを邪魔する趣味はない」

「邪魔じゃないって。榊は空気みたいなもんだし。

同期会の打ち合わせみたいに見えるでしょ」

うちは社内恋愛には寛大なほうだと思う。

だが、高橋と新堂は隠している。

新堂が“シンジョの鬼”である限り。

「特別にランチで手を打ってあげるんだから、ありがたいと思い給え」

くぅぅ、ムカつく。

 

 

 

課長のヒミツ・張り込み

 

「麻衣ちゃんは、6階の休憩室当番だよ」

土曜日、薄い財布と引き換えに得た“とっておきの情報”は、やけに中途半端。

「曜日は?」

「そこまではいくら僕でも」

わざとらしく眉を下げる高橋。

疑惑の目を向けると「榊が知りたがってるって言っていいなら、香里に訊いてあげる」と脅す。

……仕方がない、こうなったら、張り込みだ。

月曜から17時半を目安に6階をうろついた。

休憩室に一番近い小会議室をアジトに決め、人の気配がしたらそこに逃げ込む。

掃除は18時前に終わるようだ。

新旧2人が揃い踏みってことは、見つかる可能性が極めて高い。

姿を見られないよう、18時までアジトから出られなかった。

 

 

 

――水曜日。

こんなことを金曜まで続けてたら、5日×30分=週2時間半の無駄遣いだ。

企画が通らないから焦っていて。

企画が通らないからできる張り込み。

なんだ、このジレンマ。

はあ、とため息をつくオレの耳に、突如届いた話し声。

「水曜日なら、比較的、業務も立て込まないし。よかったね、マイ」

マイ? 立花麻衣だ!

素早くアジトに逃げ込み、聞き耳を立てる。

今、喋ったのは前任者だろう。

いや、待てよ。

マイという人間が立花麻衣だけとは限らない。

米原○子、あだ名はマイっていうのも充分あり得るだろう。

何とかして確認しなくては。

 

 

 

通り過ぎたのを見計らって、そうっと小会議室を抜け出す。

よし、休憩室の扉は開けっ放しだ。

ぺたぺたと音を立てるリノリウムの床を慎重に進んだところで。

背後に人の気配……。

「あ、榊課長。どうしたんスか」

営業のやつらだ。

「しょ、小会議室で、ちょっとな。お前らは?」

ボクらは、その……とバツが悪そうに、にやける面々。

「高橋課長から、今日は“すみれちゃん”が6階だぞって聞いて。

……見に来ちゃいました」

あんの、やろー。

 

 

 

「おかえり、榊」

悪びれずもせず、にこにこ笑う高橋につめよる。

「どういうことだ?」

「ああ、例の? 

さっきわかったんだよ。

榊に知らせようと思ったのに、デスクにいないし」

嘘つけ!

買収された挙句、散々振り回されて。

「でもさ。そんなに必死な榊って、今まで見たことないな~」

うぐぐ。

言葉に詰まる。

 

 

 

課長のヒミツ・頭脳戦

 

次の水曜も偵察に向かった。アジトは同じく小会議室。

微かに聞こえる、椅子を動かす音。

ジャーという水音。

そして……

がやがや話しながら、休憩室へ向かう複数の足音が小会議室前を過ぎた。

通り過ぎたのを確認して、小会議室から顔を出す。

先週のアイツらだ。人数増えてないか?

「充電させてもらっていいスか?」

スマホを手にする男が言うと、

「あ、俺も。端末充電していい?」と声が重なる。

返事がないので覗いてみると、立花麻衣は唖然とした顔で頷いていた。

「ちょっと行きづまって、気晴らしに来ちゃった」

「ねぇねぇ、名前なに? 

なにちゃんっていうの?」

立花麻衣は、ただ驚いて立ち尽くしている。

律儀に手だけは動かしているが。

それでも、「そうですか」とか「立花です」とか、消え入りそうな声で答えている。

答えなくっていいんだよ、無視しろ、無視。

 

 

 

気まずい空気が流れ、ヤツらが休憩室を後にする。

そんな短時間で、スマホ充電できたのかよ。バカが。

アジトで隠れながら、胸の中で悪態をつく。

……可愛いな、やっぱ

戸惑ってるところが、また、超そそるよな……

……この中の誰がオトすか、賭けようぜ

扉越しに聞こえる声。

すっと冷える背中。

「まずいだろ」

どうしたものかと思案する。

高橋に訴えてものらりくらりとかわされて、おちょくられるのが関の山だ。

落ち着け、落ち着け。

こういう時の行動心理、と勇んでみる。

北風と太陽くらいに解釈の違いはあるものの、“準拠集団”を使ってみた。

ターゲットの価値観、信念、態度、行動などに強い影響を与える人間、か。

ターゲットである営業のやつらに大きな影響を与えるのは、この場合、高橋じゃなくて……。

 

 

 

「新堂、ちょっといいか」

翌日、新堂が一人でいるところを呼び止めた。

ちょっと見かけたからついで、って感じを装って。

「夕方、6階の掃除してんのって、シンジョ?」

そうだけど。と、腑に落ちない顔の新堂。

「なに。クレーム?」

いや、と首を振る。

「掃除中、社内のオトコに絡まれて困ってるみたいだったからさ」

え、ほんと? と心底驚いた顔の新堂。

高橋~。少しは耳に入れとけよ。

「それ、いつッ? 昨日?」

すごい剣幕の新堂。

若干ビビりながら、ああ、と頷く。

「オトコって、どこのどいつ?」

「あー。オレ、小会議室にいたから、顔はわかんね」

ちっと舌打ちする新堂。

「結構、しつこかったぞ」と、新堂の怒りに燃料投下。

新堂は血相を変えて踵を返す。

ひゃっほーい、上手くいったぞ。

心の中に棲む小さなオレが小躍りした。

 

 

 

「……卑怯なヤツ」

新堂の襲撃を受けた部下どもを横目で見ながら、オレに恨み言を並べる高橋。

なにがだよ、出るとこへ出ただけだろ。

シンジョの鬼はな、代官みたいなもんなんだぞ。

「僕はさ、姫を“直接”救えって言ったんだよ。

こっそり助けたって、何も気づかないでしょ。

あの姫ってば、ちょっと鈍感そうだし」

「んなこと、できるかっ!」

小さく叫ぶオレに、高橋の冷ややかな視線が突き刺さる。

「榊が本気みたいだから、せっかくお膳立てしてあげたのに」

そりゃ、まあ。

限りなく嫌がらせに近い高橋の行動も、裏を返せばオレの本気度を計っていた、とも思えるけど。

そんな風に煽られても、オレ自身がわからない。

立花麻衣に抱く感情が、どっから来たもので、

なんて呼ぶのか、なんて。