のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】 KISSの法則 第31話 決戦前夜

 

麻衣と一緒に歩む覚悟なんて、とっくにできてる。
安心して麻衣の全部をオレに預けろ

 

【ヒミツの時間】 KISSの法則 第31話 決戦前夜

 

KISSの法則・企画3課のビジネスモデル

 

翌日から、目の回るような忙しさで。

榊課長の出張中、がむしゃらに仕事をこなしていたつもりだったんだけど。

淋しさを紛らわせるため、という不純な動機と。

ふとした瞬間に、気持ちが流されていたせいで。

どれもミスはないものの、覇気のない仕上がり。

小さくまとまって、ぷつんと完結。

次につながるもの、広がる発想がない。

いかに自分のモチベーションが下がっていたのかが、わかって……苦笑い。

恋にかまけると仕事に支障が出るという人もいるけれど。

私の場合……

憧れから始まった恋だけに、恋と仕事は比例して。

お互いに好影響を及ぼし合い、相乗効果があるみたい。

 

 

 

火曜日に依頼メールが届いた。

〈時間がないから説明はなし。

 添付ファイルに基づいて、ネット情報を参考にまとめること。

 書式は立花に任せる。

 修正点は一度見てから指示する〉

なんてアバウトな。

雛形を参考にして書式を作成したいのに、それもなし。

去年の6月に受けた最初の依頼を思い出しながら、アウトラインを作成して。

うーん、と唸りながら作成した。

 

 

 

水曜日、お昼前にメールを返信。

夜はルールに則り、残業なしでいつものダイニングバーへ。

月曜日から数えて、中1日しかない水曜日だから……

さすがに充電はないかも、なんて思ってたのに。

最初から隣の席で、ずっと手を離してもらえなくて。

しっしっ、と香里さんたちを散歩に追いやって。

ハグとキスの……オンパレード。

お散歩から上機嫌で戻った香里さんは

ぽわ~んと意識朦朧な私に、大激怒して。

榊課長の耳をぐいっと引っ張って、私から引っぺがした。

 

 

 

「榊、あんたね。

 加減ってもんを知りなさいよっ。

 中学生じゃないんだから、がっつかないで。

 こんなんじゃ麻衣、明日仕事になんないでしょ?」

ふんと、せせら笑う榊課長。

「麻衣のスキルをみくびるなよ。

 オレの依頼を迅速に、かつ、かなりのレベルで返してきた」

ふぁっ? と。

間抜けな声が、私の口からこぼれる。

「ほ、んと。ですか?」

うん、と優しく頭を撫でて。

「立てるか。

 帰り道、タクシーの中で話してやる」

「麻衣、レストルームに行きましょ?」

手を取る香里さん。

「ついてってあげる。

 そんな、なまめかしい顔でふらふら歩いてたら、さらわれちゃう」

責めるような口調、強い視線は榊課長に向けて。

さんきゅ、と平然とのたまう榊課長に、ちっと舌打ち。

 

 

 

KISSの法則・ヒミツの女子トーク

 

「榊の依頼って、直接来たの?」

レストルームで、香里さんが問う。

はい、と頷きながら、出すぎた真似だったことを反省。

「すみません。

 ご報告しなくては、いけませんでした」

う~ん、そうね、と。

ミラー越しに難しい顔を見せる、香里さん。

「企画3課専属って言ってるのは榊だけで、麻衣はシンジョだからね。

 シンジョの仕事もこなして、その上に……でしょ。

 麻衣は大丈夫なの?」

私は大丈夫。だけど。

自分の浅はかさに、今頃気づいた。

 

 

 

「一緒に帰ろうと思って、残業して仕上げているんです。

 でも、勝手に残業するなんて、軽率でした」

目の前のタスクに夢中で、忘れていた。

残業申請は、所属長である香里さんがおこなっている。

課長が関知しない仕事で、残業になるのは大問題。

「残業申請はしとくから、榊からの仕事の内容は逐一報告して?

 スキル的に問題がなくても、あまりにもタイトなスケジュールなら、課長として榊に抗議する」

はい、と頷く。

“迅速”ってさっき榊課長が言ったから、心配してくれてるんだ。

「期限が明示されていないのに、躍起になったのは私なんです。

 ご心配かけてすみません」

 

 

 

「いいの、いいの」

呆れたように笑いながら、香里さんはひらひらと手を振って。

「麻衣のそういう“いいところ”はわかってる。

 だけどね。

 榊も嬉々として仕事に取り組んで、周りが見えなくなるタイプだから。

 二人ともそうだと、抑える人がいないでしょ? 

 それが心配なの」

温かい気遣いが嬉しくて、ぺこりとお辞儀。

「ところで。

 下世話な話だけど。

 なにをどんなふうにされると、あんな顔になっちゃうわけ?」

なにを? どんなふうに? って……。

そんなこと、言えませんよっ!

 

 

 

「言わないと、だめ、ですか?」

目をきらきらさせている香里さんに、“言えません”と断われなくて。

おずおずと、お伺いを立てる。

「ん。まぁ、興味はあるわね。

 あれだけ恋愛に疎かった純粋培養のウブ子が、どうしたらあんなにうっとり色っぽくなっちゃうのかなって。

 ……だって、その。

 深い仲になっちゃだめなんでしょ?」

はい、あの。その。

しどろ、もどろ。

これがいわゆる女子トーク

「ソフトな言葉責めみたいなやつ?

 榊、得意そうだし」

コトバゼメ? こばんざめ?

首をかしげる私に、ぷぷっと吹き出す香里さん。

 

 

 

誤解されてもいけないので、覚悟を決める。

「ハグ、と。き、ききき……」

ききき? 

こらえきれずにおなかを抱える香里さんに。

はずかしさで、顔がかぁっと熱くなって。

「ちゅう、ですっ!」

きっぱり答えたら、香里さんは目をまん丸く見開いて。

「……だけ?」

だけ、ですよぉ。

言葉に出せずに、こくこく頷く。

あ、でも。

耳をぺろっと、とかもあるけど。

それよりも“ちゅう”の方が絶対、高度だし。

 

 

 

「あの、自称とはいえ百戦錬磨企画の榊が?

 ハグとキスだけ? 

 攻略できないものはない、なんて。

 威張りくさって言っちゃうくせに?

 やだ、ウケるぅ~」

目じりの涙を拭う香里さん。

こういう話は、会社じゃできないから。

ずっと気になってたことを訊くチャンス。

「あの。

 私……というか、うちのお兄ちゃんのせいで。

 榊課長に、我慢をさせてしまってるんですよね?」

は? と口を開ける香里さん。

「あ。そうか。お兄さん、ね。

 そうだったわね。

 榊は、手をこまねいてるわけじゃないってことか。

 ただ……」

難しい顔で口を噤む、香里さん。

 

 

 

「ここから先は立ち入っちゃいけないと思うから、訊かないけど。

 お兄さんが、そう言うのってさ。

 単純に、結婚前の娘に対する貞操重視の発言じゃないと、思うのね」

小さく頷く私を見て。

「そろそろ行かないとまずいでしょ」

扉を開けて出る、香里さん。

ふぅ、と。

熱い頬を覆って、香里さんの後に続いたら。

急ブレーキをかける香里さん。

とろい私は停まれずに、香里さんの肩に鼻をぶつけてしまった。

「げっ、榊」

香里さんの言葉に、鼻を押さえながら覗くと。

不機嫌そうに腕を組んで、壁にもたれる榊課長。

あう。怒ってるけど、見とれちゃう。

 

 

 

KISSの法則・大事の前の小事

 

「おせーぞ」

ごべんださい(ごめんなさい)と、もごもご言ったら。

「麻衣はいい。

 文句があるのは新堂だ。

 どーせ。

 高橋と同じで、オレらのこと詮索してんだろ?」

「あら、司とあたしって気が合うわね」

睨みつける榊課長を軽くかわす香里さん。

「詮索は無用。

 麻衣にヘンな情報、植えつけるな。

 ひとつだけ言うと、大事の前の小事ってことだ。

 ……以上!

 帰るぞ、麻衣」

榊課長は私の手を取る。

お店の扉を出ると、顔を覗きこんで。

「なに言われたんだ? 

 また先走って、悩んでるって顔してる」

 

 

 

「大事の前の、小事って?」

うん? と。甘い声。

ぴくんっと、心がふるえる。

「立花くん、意味を答えよ」

私のどきどきを置き去りに、明るい声でふざけてみせる榊課長。

えっと。つまり。

「大きな事を成しとげようとするときは、小さな事を軽んじちゃだめ。

 ちょっとした油断が大失敗を招くっていうこと、ですよね」

「うーん。まぁ、及第点ってとこだな」

いたずらな瞳で微笑む榊課長に、頬がふくらむ。

正解、じゃないの?

「むくれるなって。

 もう一個、意味があるんだよ」

 

 

 

「逆にさ。

 大きな事を成しとげようとするときは、小さな犠牲にはいちいち構っていられない、ってこと。

 大きな事っていうのは、麻衣との結婚で。

 小さな犠牲は……オレの辛抱。

 理性との壮絶なバトルってやつ」

お兄ちゃんの条件が原因で。

我慢せざるを得ない、私との関係。

「そんな顔するな」

優しく頭を撫でて。

「だってさ。

 犠牲を払ってるのはオレひとりじゃないんだろ?」

黒い笑み……

なにゆえ?

 

 

 

「麻衣もオレと同じ、だろ?

 オレと『ぴったりくっつきたい、熔けちゃいたい』って。

 言ってたもんな」

言った、けど。

口先だけじゃなくて、本心だけど。

だからこそ、そんな風にからかわなくても、いいじゃない。

榊課長は、くくっと笑って。

暗がりに紛れて、むくれる私の頬にキス。

「オレだけが我慢してるなら、虚しいけど。

 麻衣も同じ気持ちだから、前を向ける」

そういう、意味。

コドモみたいに拗ねた自分が、はずかしくて。

それ以上に嬉しくて。

ぎゅっと抱きついて、胸にすりすり。

「ばか、あおるな」

そう言いながら、ぎゅうっと抱きしめてくれた。

 

 

 

KISSの法則・オフィシャルとプライベート

 

帰りのタクシーの中。

今日、返信したメールに関して……ダメ出し。

あれ?

“迅速、かつ、かなりのレベル”って言ってなかったっけ。

その言葉を鵜呑みにするほど、自惚れてはいないけれど。

それにしても。

「朱で修正入れたのをスキャンしてPDFに落とした。

 明日添付して送るから、それに従って」

榊課長の命令口調に「はい」と、しょんぼり、うなだれる。

ぁあ? 

頭上から榊課長のプチ威嚇。

それって。

大好きな“うん?”の対極で。

鼻がつんと痛くなる。

 

 

 

「知ってるだろ?

 オレが、本気で使えないのは“却下”するヤツだってこと。

 麻衣のデータは使えるし、かなりオレ好みで、いい線行ってて。

 正直、小躍りするくらい嬉しかったんだけど?」

そんなの、全然、伝わりません。

黙ったまま、じとっと見あげる。

「すごく、懐かしくて。

 ……惚れ直した。

 去年依頼した時の書式とかオレの癖とか覚えてて、それに沿ってくれたから」

つないだ手に力がこもる。

くすんと、微かに音を立てただけなのに。

「泣いても慰めない、って言ったよな?」

ん、もう。

「感激してるんですぅ」

――水曜日――

ずっと続いた“充電”はレベルアップ。

給湯室から、お店の個室へ場所を移し。

内容も、“ハグだけ”から“ハグ+キス”に。

 

 

 

確かに、榊課長は厳しくて、細かい。

でもそれが、1つ1つのタスクを無駄にしない理念からきていて。

次につなげるため、発想を広げるためなのが、わかった。

榊課長には及ばないものの。

私自身も、そのスタンスで仕事に取り組んできたから。

共通点に嬉しくなっちゃう。

帰り道、手をつなぎながら。

榊課長が構築した、仕事のプロセスの講義を聞くのが日課になって。

“要:変更!”と返ってきたところは、ブレずに一定の法則で構成されている。

一旦、法則をつかんでしまえば、依頼をスムーズにこなすことができそう。

――そうやって。

土曜日が近づくにつれ、漠然と広がる不安を仕事の話で紛らわしていたのかもしれない。

 

 

 

KISSの法則・救われない妄想

 

金曜日。

火曜日の依頼は完成し、新しい依頼が届いた。

いよいよ、明日。

ユウさんに会って、お兄ちゃんの抱えるヒミツに近づく。

ずっと燻る(くすぶる)イヤな胸騒ぎ。

仕事に集中してるつもりでも、キモチが暗い方へ流れてしまう。

それは榊課長も同じらしくて。

電車の中で肩をよせ合っても、手をつないで歩いていても。

はぁと、ため息ばかり。

せっかく、二人でいられる時間なのに。

共有している気持ちが“不安”だなんて、切なくて。

「ちょっと、話せるか?」

親指の先は公園のベンチ。

はいと頷く。

 

 

 

「このまま、明日を迎えるなんてムリだ。

 ひとりになったら、目が冴えて一睡もできない」

うん……力なく頷く。

「そんな顔させるために、時間もらったんじゃないぞ。

 不安を吐きだして、お互いの気持ちの強さを伝え合って。

 乗り越えられるっていう自信を胸に、明日を迎えるためだからな」

なんて、ポジティブ。

私の愛するカレは……

自分を鼓舞することで困難を撥ね退けようとする、強いひと。

胸が熱くなって、榊課長を見上げたら。

ちゅっ、と。

おでこにキスされた。

 

 

 

「麻衣の不安は?」

肩を抱かれ、囁かれる。

伝わる温もりに安心して、凝り固まった不安がとろりと溶けて流れ出す。

「お兄ちゃんが言ってた犯罪が、思った以上に深刻で……

 榊課長と、お、お別れせざるを、得ないんじゃないか、って」

涙をこらえながら、とぎれとぎれに言葉にする。

「へぇ。麻衣はオレのこと、そんな薄情なヤツだと思ってるんだ?」

不機嫌な、あきれ果てた声。

「そうじゃ、なくてっ! 

 どんなに想ってても、知ってしまったら心から笑えない。

 二人でいても、罪悪感に流されて。

 心がすさんでしまうんじゃないかって……」

涙がぽろんとこぼれる。

「こわい、のっ!」

 

 

 

ふん、と鼻で笑う榊課長。

笑いごとじゃ、ないのに。

「その程度の不安なら、ひと息で吹き飛ばしてやる」

その、程度……って。

肩を抱いた手に力を込められて。

体をこちらに向けて、ぎゅっと抱き込まれる。

彼の鼓動がダイレクトに耳に伝わって。

反射的にすりすり。

マリンの香りに落ち着く心。

「伊織さんを筆頭に、家族全員で償えばいい。

 許してもらえるまで、ずっと」

「そう、だよ。……だから、巻き込めない」

胸の中から、そっと見上げて呟くと。

目を瞠って、呆れ顔。

 

 

 

「言っとくけどなっ!」

大きな声に、びくんっと身体がふるえて、ぎゅっと目を瞑る。

「“家族”の“全員”だぞ。

 オレも、家族だ。

 『お別れ』とか『巻き込めない』なんて……バカなこと言うな」

耳にふれそうな位置で、囁く声。

ん……、って思わず吐息がもれる。

そして。

ゆっくりと言葉の意味を理解して、涙がぽろぽろ。

「そんなこと、言っちゃっていいの?

 私、本当に……

 甘えるし、頼っちゃうよ」

きゅうっと抱く手に力をこめて。

「遠慮するな。思いっきり甘えて、頼ればいい。

 麻衣と一緒に歩む覚悟なんて、とっくにできてる。

 安心して、麻衣の全部をオレに預けろ」

嬉しすぎて、言葉がでない。

ただ、こくこく頷く、だけ。

 

 

 

「大体さ……」

呆れたように呟く榊課長。

「麻衣の想像って、その程度かよ?」

きょとん、と見上げて。

ちょっと、むかっ。

また、その程度って言う……本気で悩んだのに。

「まぁな。素直で無邪気だから。

 ひどい想像はできないんだろうけど」

褒めてる? けなしてる?

「オレはさ。

 企画の性分だろうけど、常に最悪を考えるんだよな」

あ、それ。

企画を練る時は、楽しいことばかりに目を向けちゃだめ。

起こりうる最悪の状況を想定しなくちゃ。

“ありとあらゆる事態をシミュレーションしつくす”って。

手をつないで歩きながら、教えてもらったっけ。

 

 

 

「いろいろ思い浮かんだけどさ」

長い沈黙の後、口を開く榊課長。

「どれも結局、打つ手は思い付くんだよ。

 でもひとつだけ。救われない妄想が……」

慌てて、顔をぴょこんと出した。

「ちょっと、待って。

 言霊って、前に言ってませんでした?

 ほんとになったら、いやです、けど」

だって、言霊って。

言葉に宿っているっていわれる不思議な力で。

発した言葉が結果を導く、ような……。

んー、と眉間にしわをよせて。

私にちらっと視線を合わせ、ぷっと吹き出す榊課長。

なによ、もう。失礼すぎっ!

 

 

 

「麻衣だって、さっき悪い未来を言葉にしただろ。

 オレが逆転のフォローを入れて、チャラになったはずだけど」

あ。そういえば、そうだった。

「つまりさ。

 悪いことを言ったままにするのが、よくないんじゃね?

 オレの妄想を、麻衣が論破して。

 幸せな結末に持っていけばいいんだよ」

それって、難しそう。

榊課長のシミュレーションに、穴なんてない。

なにを突破口に論破したらいいんだろう。

「んじゃ、まかせたぞ」

片方の口角を上げて、口を開く榊課長。

 

 

 

「たとえば、伊織さんの犯罪が……誘拐で」

いきなりの展開に息をのむ。

こわばらせた私の頬を、むにっとつまんで。

「そんな顔するな。

 脅してるみたいで、心が痛む」

痛いのは私のほっぺ、ですけど。

「中学生の伊織さんが、赤ん坊を誘拐したとする。

 誘拐っていうと、聞こえが悪いな。

 出来心で、つい。連れて帰った」

想像してみる。……けど。

お兄ちゃんが、連れて帰りたいほど赤ちゃんに執心するタイプには思えなくて。

「赤ん坊って、身元を証明するものなんか身に着けてないだろ?」

はい、と相槌。

頭に浮かぶ赤ちゃんは、ベビーロンパース姿。

喋れないし。身元はわからないかも。

 

 

 

「ご両親は狼狽えたものの。

 結局、息子可愛さのあまり、その赤ん坊を内緒で育てる。

 騒ぎになって身元がわかったら、こっそり返そう、って。

 思ったかもしれない」

えっ? 

突拍子もない声が出かかって、榊課長の胸にくっついて抑えた。

おぁ? うっ、ってヘンな声を出す榊課長。

でも、そんなの構ってられない。

頭の中がぐるぐる。

中学生のお兄ちゃん。

連れてきちゃった赤ちゃん。

「それって。……私、ですか?」

声がふるえる。

だって、そんな……

 

 

 

「オレの妄想だって言ってるだろ。

 意識引っ張られすぎだぞ。

 乗せられてないで、論破の糸口を探せよ」

そう、でした。

これはディベートだと思わなきゃ。

ディベートは、出された論題について肯定側と否定側にわかれ、議論をするゲーム。

榊課長が肯定側なら、私は否定側に立たなくちゃ。

言霊のことを考えたら、負けるわけにはいかないんだもん。

うんうん頷く私を見て、くくっと笑いをもらす榊課長。

「その赤ん坊は、どこの子だと思う?」

首をかしげる。見当もつかない。

どこの子、だろう。

 

 

 

KISSの法則・トリッキーな論破術

 

「麻衣の家と、オレのマンションって近いよな。

 んで。オレのマンションは、実家の近く。

 つまり……」

行きつく先に恐れを感じて、ぶんぶん首を振る。

「ちゃんと聞けって」

なだめるような、言い草に。

まだ続けようとする、唇に。

思わず、体が反応した。

抱き込まれていた腕をするりと出して、榊課長の首に回す。

「ばかっ、おい麻衣。なんだよっ?」

慌てた榊課長の腕が緩んだ瞬間に。

伸び上がって、榊課長の顔をひきよせて。

唇で、唇を塞いだ。

 

 

 

言葉を止めるために取った、苦し紛れの奇策。

手段はともかく目的は達成できて、ほっとしたのも、つかの間。

大胆な自分の行動に、どうしようって不安がむくむく湧いてきて。

その瞬間、頭と、腰に、榊課長の手が伸びる。

ぐいっと強くひきよせられて。

あっという間に、形勢逆転。

ちゅっと音を立てて、唇を離される。

「こういうのは大歓迎だけど。

 ……卑怯な手には、制裁が必要だよな」

黒い笑みに、血の気が引く。

ごめ、ん、なさっ……

謝罪は、榊課長の唇に絡めとられて。

気を失うくらい、長いキス。

 

 

 

息ができなくて。

くたん、と脱力したら、やっと解放してくれた。

肩で息をする私を腕に抱いて、困ったように目を逸らす榊課長。

「やべ。まずい、やりすぎた。

 ていうか、オレがやばい」

ディベート。言霊。論破。

早く早く、と。私を急き立てる言葉たち。

「私が、榊課長と血の繋がった、妹かも……って。

 思ってるん、ですか?」

とぎれ、とぎれ。

あ? 

榊課長はこちらを見て、また慌てて目を逸らす。

「そんなこと、絶対ないです。

 根拠も、証拠も、今は明確にはできません」

 でも……」

乱れた息を整えて。

 

 

 

「もう止められませんっ。

 もし、そうだったとしても。

 もう。むりなのっ。

 離れられない、です、もんっ」

ぼろぼろ涙がこぼれて、せっかく整えた息が、うぐうぐ乱れる。

榊課長は自分の胸ポケットからハンカチを出して、こぼれる涙をぽんぽんと拭ってくれた。

すごく柔らかくて、心地よくて……眠っちゃいそう。

「おい、寝るな。

 これ、麻衣の涙拭くハンカチ。

 優しいだろ、オレ。

 無撚糸? とかいう、ふわふわのやつ」

感激して、また涙がぽろぽろ。

「可愛いやつ」

そう呟いて、嬉しそうに涙を追う。

 

 

 

やっと涙が止まって、くすんと鼻を鳴らしたら。

「あのなー……」

心底、呆れた声。

「冷静に考えたら、突っ込みどころ満載の妄想だろ。

 まず、そんな偶然あるか?

 うちの両親はどうして探さなかったんだ?

 オレだってそん時はもう小学生で。記憶くらいあるだろ」

ぽかんと口を開ける私に、困ったように咳払いをして。

それに……、と続ける。

「もしそうなら、伊織さんが『結婚しろ』なんて言うわけない。

 真実なら絶対太刀打ちできないけど、真実には程遠い穴だらけの妄想だ。

 麻衣に、論破させてやろうって思ったのに」

え? あ? じゃあ。

こんなに泣かせて……

ううん、違う。勝手に泣いたんだけど。

「た、試したってこと?」

はずかしさと悔しさで、顔が熱くなる。

 

 

 

KISSの法則・ずっと、そばで…

 

「やっぱオレ。麻衣が、すげー欲しい」

ぼそりと呟く榊課長。

その意味に……暴れる心臓。

え。だめっ。ちょっと待って。

落ち着いて……。

あーん、どうしようっ。

パニクりながらも、腕から逃れようと、じたばたするけれど。

どこでこんな体勢になったのか……

完全に膝の上に横抱きにされている状態で、ただ空を切るだけ。

「ばか、暴れんなって。

 企画3課に欲しいっていう、意味。

 麻衣ってば。なーに考えてるわけ?」

あう。

また、からかわれた。

進歩がない……私。

 

 

 

「企画ってとこはさ。人のプレゼンを聞いてるふりして。

 粗を探してやりこめようって、虎視眈々と狙う世界なんだよ。

 いいものでも、いいって素直に言わない。

 足の引っ張り合いだらけ。全然建設的じゃない。

 それがライバル会社、クライアントだけじゃねーの。

 自社のグループ内でも、だぜ」

うんざりしたように、肩をすくめて。

……だから、ひとりなの?

……だから、誰も要らない。信じないって……。

「そういう中で仕事してたら……

 熱い初心(しょしん)や、高い志(こころざし)なんて、擦り減って消えていく。

 楽しむ、わくわくする、じゃなくて。

 仲間内からのブーイングとか、バッシングとか。

 そんなものばっかり気にして」

殺伐とした雰囲気。

そんな中で、斬新なひらめきを形にするなんて、むり。

 

 

 

「麻衣みたいに正直な気持ちを表に出せるのは、新鮮で。

 そうできることは、ほんとに貴重なことなんだよ。

 論破するために、疑ってかかるんじゃなくて。

 同調して、感応して、

 その上で自分の気持ちを表すから……

 まっすぐに伝わって、心に響く」

膝の上で身動き取れない私を、愛おしそうにじっと眺めて。

きゅっと胸に抱き込む。

『止められない、むり、離れられない』……なんて。

 強烈に響いた」

改めて言われると、はずかしくて。

でも。

取り乱したものの、ほんとのキモチ。

「麻衣はずっと変わらずに、そういう素直な感覚を伝え続けてほしい。

 仕事でも、プライベートでも。

 いつも……いつまでも。

 ずっと。オレのそばで」

 

 

 

手を取って、背中を支えて。

優しく立ち上がらせてくれる。

見つめ合って、ちょっと照れて。

唇にちゅっ、とキスをおとされた。

「だから。明日のために、もう帰ろうぜ」

頷く私の頬に手を当てて。

「やべーな。

『ひとりになったら、目が冴えて一睡もできない』って。さっき言ったけど。

 別の意味で眠れないかも」

 

 

 

「明日、不安ですもんね」

頷きかけて。

……ん? 別の意味で?

首をかしげる私に、ふふんと不敵な笑み。

「麻衣に唇、奪われちゃったし。

 きっとさ。

 いじわる言ったら、スイッチが入る仕組みだぜ。

 色々、パターンを考えないと。

 あぁ、楽しみだな」

いじわる、と呟いたら。

、と。

かがんで、唇を突きだして……

「し・ま・せ・んっ」

ぷん、と顔を背けた。

 

 

 

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