【ヒミツの時間】 KISSの法則 第49話 ジャッジの行方
KISSの法則・勝てない戦いには挑まない
そして。
本当に慌ただしい日々が始まった。
決戦日は7月最後の月曜日。
社長、役員、各部長の前でウォーム・イベントのプレゼン発表が行われる。
「じゃあ、その日。
プレゼン発表の後に、その場で婚約報告すればいいな。
わざわざ挨拶に行かなくてもいいし、ウォームのプレゼンで唸らせてその勢いで」
榊課長はさらっと爆弾発言。
「ただでさえ9月と10月って、シンジョ内の結婚が続いてる。
ひとりひとりに挨拶に行ったら、当然、渋い顔をする人もいるだろう。
一人でも反対されたら、結婚にケチがつく。
全員一致で祝福されたい」
それは、そうだけど。
……勝算は?
「不安そうな顔すんな。
任せとけって。
オレは、勝てない戦いには挑まない主義」
榊課長がそういうなら……少し安心。
チームは高橋課長、榊課長、私の3人で構成されていて。
課長が二人なので、榊課長を“課長”、高橋課長は“高橋課長”とそのまま呼ぶことにした。
二人は私を“チーフ”と呼んで。
高橋課長の“麻衣ちゃん”は、社内では聞くことがなくなった。
それでも……
榊課長が言う通り、勝てない戦いではなく。
前回行ったクール・イベ社内デモンストレーションのプレゼンの成果もあって。
1週間前には形になってきた。
香里さんに見てもらって、客観的な意見を参考にして。
決戦の月曜日を前にした、土曜日。
【Jolly】で作戦会議。
議題はプレゼンの後の婚約報告。
チーム内の高橋課長にはその場で報告することを知らせてあるけれど。
どう切り出すかは、まだ決めてなくて。
土曜日に段取りを決め、日曜日は休日出勤して、婚約報告の練習。
これって、職権乱用&公私混同じゃないのかな……。
KISSの法則・婚約報告の前座?
決戦の月曜日。
プレゼンは15時から。場所は6階、中会議室。
午後一番に籠ってリハーサル。
14時30分。
「チーフ、ちょっといいか?」
榊課長が指をくいくいっ。
それが何を意味するのか、もうわかってる。
榊課長が出た1分後、小会議室に向かった。
阿吽の呼吸で、広げた両手に飛び込んで。
ぎゅうぅぅって……充電。
「今日のプレゼンは、オレたちの婚約報告の前座だ」
びっくりして顔を上げる。
「なんてな! 冗談だよ。
麻衣はさ、びっくりさせると緊張の結び目が緩くなる。
あとはちょっと引っ張ってやれば、簡単にほどけるだろ」
もう。
百戦錬磨、企画の榊には敵わない。
どんなに背伸びをして追いかけても、するっと一段高い位置にいて。
だけど。
戸惑う私にいつも優しく手を差し伸べてくれる。
KISSの法則・プレゼンテーション
14時55分。
社長をはじめ、専務、常務、各部長、シンジョ課長の香里さんが顔を揃えた。
その方々の前でのプレゼンは緊張する。
だけど本音を言うと、前回の社員さん達の方が緊張した。
人数も多かったし、“誰? あのコ”的な視線も痛かったから。
今日は皆さんが私のことを知っていて。
期待を込めた、でも温かい瞳で見守ってくださっている。
深呼吸して、始まりを待つ。
15時ジャスト。
高橋課長の神がかり的なフォローで始まって。
榊課長の流れるような、プレゼンテーション。
そして、タイミング通りのクリック術。……は、自画自賛だけど。
「……以上で、我々のウォーム・イベントのプレゼンテーションを終わります。
ご清聴いただき、ありがとうございました」
榊課長の締めの言葉。
沈黙が流れ、ほぉっと感嘆のため息。
そして、拍手。
KISSの法則・質疑応答
「では、質疑応答へ移らせていただきます」
高橋課長の言葉に、各部署の部長さんが挙手。
前回と同じく、フォロー役の高橋課長が司会者。
榊課長と部長さんとのやり取りの内容を、メモに取る。
質疑応答というよりは、概ねバックアップ体制の申出で。
「うちの部はこれをお手伝いできます」
「この件はうちで引き受けましょう」と。
嬉しいお言葉の数々に、緩む涙腺。
「はい」と、社長が手を挙げる。
「社長どうぞ」と高橋課長。
「素晴らしいプレゼンでした。
立花チーフに質問ですが、よろしいですか?」
ぴきん、と。固まる私。
ざわめく会場。
心配そうな高橋課長。
……そして。
大きく頷く榊課長。
「はい」と、社長の目を見てはっきり返事。
「あなたは入社2年目ですよね。
ここまでの力をつけたことは、大変すばらしいと思います。
通称シンジョと企画3課の2足のわらじだと、聞いていますが……
その点について不安は?」
プレゼン内容ではなく、私の所属について。
「不安は……ないわけではありません。
ですが。
シンジョのお仕事は、やりがいがあります。
自分が教わるだけだった頃を経て、教える立場になった難しさもありますが。
尊敬する新堂課長のご指導のもと。
各部署の方々と横のつながりを大事にしながら、創意工夫ができる場所だと思っています」
頬を真っ赤に染めて、俯く香里さん。
「企画3課のお仕事は……正直厳しいです」
場内に笑いがもれる。
「それはシンジョという社内業務ではなく、対外的なビジネスだからです。
社内業務であれば、失敗は次に生かす糧になりますが……
社外の場合は信用を失墜させ、取り戻すのは困難でしょう。
私は社外でのプレゼンを経験しておりませんので、その洗礼は受けていません。
ですが、想像するだけで足がふるえます」
沈痛な面持ちで、頷く場内の方々。
「それでも、無の状態からデータを集め企画を立てること。
あのワクワク感は、忘れられません」
暗かった皆さんの表情が、ぱぁっと明るくなる。
プレゼンの醍醐味って、こういうことかも。
自分の言葉で、誰かの心を打つことができるなんて、すごく素敵。
「どちらもまるで違っているようであり、共通点があります。
奥が深くて、両立は難しいかもしれません。
将来、どちらかに絞る可能性もあるかと思います。
でも、今はどちらにも魅力を感じています」
以上です、の意味を込めて、ぺこりとお辞儀。
顔を上げたとたん、頬が火照る。
やだ、私。
思ったことをそのまま言葉にしちゃったけれど、支離滅裂じゃなかったかな。
「よくわかりました。ありがとう」
社長の優しい言葉と、会場からの拍手に包まれて。
胸がじんわり温かくなる。
でも……気を抜いちゃだめ。
もう一つ大事な報告があるんだから。
KISSの法則・Keep It Simple and Short
「では最後に。
プレゼン側よりひとことずつ今回の感想を……
ではなく。
プレゼン担当の榊と、プロジェクタ担当の立花よりご報告がございます」
ウインクをしながら、榊課長にマイクを渡す高橋課長。
頬を紅くして咳払いをする榊課長。
「本日は、Feliceの社長をはじめ重鎮の方々が一堂に会してくださいまして……
大変良い機会だと思いましたので、私事で恐縮ですがご報告をさせていただきます」
小さなざわめきが起きる。
「私、榊拓真と、隣におります立花麻衣は、10月に挙式および入籍することとなりました」
まさにKISSの法則。
――Keep It Simple and Short――
単純で短い報告に、一同からは言葉も出ない。
「皆様、ご存知の通り。
この会場にはもう一組、9月に結婚を控えた高橋課長、新堂課長がおります。
新堂課長と立花チーフは、同じ課の役付であり、時期をずらすことも考えました。
しかし、シンジョの特性上、秋が一番結婚に好ましい時期です。
だからと言って、1年遅らせることは……
その。私が耐えられなくて……」
そこで言葉を切り、照れた瞳で私を見て、会場を見渡す。
唖然としていた会場内に湧く、温かい笑い声。
KISSの法則・祝福の嵐
すかさず、高橋課長がマイクを奪う。
「新堂香里、立花チーフ、共に結婚後も変わらず仕事をさせていただくつもりです。
そして。
先輩を立てる謙虚で律儀な立花チーフに至っては、社内発表を来年の春以降まで待つ覚悟だそうで。
勝手とは存じますが、私からもお願い申し上げます。
どうかこの二人の婚約と、10月の挙式入籍をご承認ください」
香里さんもそばに来て、4人で頭を下げた。
割れんばかりの温かい拍手に包まれて。
おめでとう、の祝福がこだました。
こうして。
公私混同は否めないものの。
感動的かつ忘れられない状況で、晴れて結婚の承認をいただいた。
8月第1週の大安に高橋課長と香里さんは、婚姻届を提出して。
翌日、全部署、全社員に向けてメールが送信された。
【社員結婚のお知らせ】
営業部第2課 課長 高橋司
人事部 新人女性社員研修課 課長 新堂香里
上記社員より、8月○日付にて婚姻届を提出した旨の報告がありましたので、ここに報告させていただきます。
――以上――
各部署から一斉に悲鳴と歓声が上がる。
びくびくしていた香里さんも、次々に湧き起こる祝福の言葉に嬉しそうで。
本当に、よかった。
そして。
高橋課長と香里さんの結婚式と披露宴の日が、9月半ばの土曜日と発表された。
KISSの法則・鑑定の行方
DNA鑑定から3週間以上が過ぎた、金曜日。
「鑑定結果が届いたそうですよ。
明日ジンさんのお店に、レイくんと二人で行ってきます」
お兄ちゃんの言葉に、緊張が高まる。
わかってる。
そのジャッジの行方で何かが壊れるわけじゃない。
絶望に突き落とされるわけでもない。
……だけど。
親子であって欲しい、と切に願った。
翌日の土曜日は【Jolly】で、定例会議。
もう、会議じゃなくてデートだと思うんだけど。
結婚までは、会議で通すんだって。
手をつないで【Jolly】に向かいながら、拓真さんに打ち明ける。
「今日、DNA鑑定の結果がわかるの。
お兄ちゃんとレイさんが一緒に【J】に行っててね。
わかり次第連絡をくれるって」
「そっか」と、榊課長は空を見上げて。
「違っても仕方がない。
だけどさ、かなりの確率で、親子だと思うんだよな……
楽観的すぎるのは危険だけど。
確信があるから、ジンさんは検査に踏み切ったんだろうし」
そう、だよね。
検査結果は見えなくても、支え合う二人の姿は見えていただろうし。
KISSの法則・入籍と挙式と、一緒に暮らす日
今日の会議の内容は、拓真さんと私の入籍と挙式について。
挙式の日は10月初旬。大安の日曜日。
都内にある、神聖で厳かな雰囲気のチャペルに一目ぼれして。
「もっとこう、ピンクとかブルーのきらきらした感じじゃなくていいのか?」
拓真さんは訊いてくれるけれど。
荘厳な佇まいに、気持ちが引き締まるようで。
なによりも人前式なのが一番のポイント。
大好きな家族と友人が立会人になってくれるなんて、素敵だから。
人数は両家の家族と友人で約15名。
拓真さんのお父さま、和真さん、静香さん。
そして……お返事はいただいていないけれど、海外にいる拓真さんのお母さま。
私の両親、お兄ちゃん。
今日の結果がどちらであっても、レイさん。
それから、高橋課長と香里さん。
ジンさん、ユウさん、足立さんも。
「入籍は10月に入ったらすぐ、な」
拓真さんは、当然のように言う。
「え? どうして? 結婚式の時に書くんでしょ」
は? と、眉間にしわをよせる拓真さん。
「だってほら。なんか書いてない?
チャペルで。神父さんの前で。ペン持って」
拓真さんは、難しい顔で考え込む
「そうだな。カズ達もなんか書いてた。
式の中で婚姻届を書くのか?」
たぶん……、って曖昧な返事をしたら。
「キリスト教式のアレは、結婚証明書だろ」
拓真さんの背後から、足立さん。
「日本だと法的な効力はないけど、記念になるから人気なんだってさ。
人前式の場合、本物の婚姻届に記入する場合もあるらしいぞ」
「詳しいな、足立さん」という拓真さんの言葉に、足立さんは視線を逸らして。
「もうすぐ、ほとぼりが冷めるからな。
その時を迎えたら、結婚したいって二人でよく話してる」
お日様の下で安心して暮らせるようになる……
ジンさんがそう言ってた。
「俺らはカラダに規制はないけど、社会的には規制だらけで。
存在自体を隠さなきゃいけなかったから」
窓の外に視線を向ける足立さん。
存在自体を隠すということは、息をひそめる毎日で……
それを思うと、胸がつぶれるほど苦しくなる。
「拓真が入籍日を10月入ってすぐにするのは、カラダの規制を解くためか?」
「ばっ! 違うって」
大きな声で慌てる拓真さん。
「違うぞ、麻衣。
高橋が日曜に婚姻届出しただろ?
役所は休みだけど、受理はしてもらえる。
まあ、入籍日もその日になるんだけど。
『不備があると後から訂正になって、日がずれる場合がある』って言われたんだってさ」
プレゼン後の婚約発表といい、拓真さんは足踏みを嫌う。
誰の反対も受けないよう、万全の態勢を整えて。
自信を持って、短期決戦で一気にことを進めるのがポリシー。
「10月に入ったら入籍を機に、徐々に新生活の準備を始めて……
すんなり麻衣を溶け込ませたい。
挙式が終わったら、スムーズにオレのマンションを拠点にするためだ。
ああだこうだ、文句は言わせない。
もう。待てないから」
まっすぐ見つめる瞳に、頭の中がぽおっとなる。
「立花さん、気をつけな。
拓真はこうやって、洗脳して逃げ道を塞いでんだぞ」
せせら笑って立ち去る足立さん。
その背中を睨む、拓真さん。
コドモみたい。
「文句なんて言いません。
逃げる気だってないし。
挙式が終わったら、帰る場所は拓真さんのマンションです」
視線の端に肩をすくめる足立さん。
小さく手を挙げて、キッチンに入っていく。
“俺は見てない、お好きにどうぞ”、の合図。
テーブル越しに距離が近づいて、唇がふれる。
気が遠くなりそうなくらい長いキスの後……
鳴り響く携帯電話の着信音。
KISSの法則・どっちなの?
「お兄ちゃん、から……です」
ジャッジの行方がわかるとき。
深呼吸して、通話ボタンにふれた。
「麻衣、です」
緊張して、声がふるえてるのに。
〈よぉ〉
電話の相手は、予想もしないレイさんで。
「こんにちは」と挨拶するのが精一杯。
〈あー。
こんにちは、立花麻衣〉
挨拶したから、挨拶を返して。
フルネームで覚えてるから、そう呼ぶんだろうけど。
ちょっと面白くて、プッて笑ったら。
〈なんで、笑う?〉
キレ気味で訊かれた。
普通なら、びくんって怯えるところなのに。
不思議。全然怖くない。
「レイさんが律儀に挨拶を返して、私をフルネームで呼ぶから」
〈ふぅーん〉と納得したのかしてないのかわからない相槌。
〈立花麻衣のことを“叔母さんって呼ぶな”って。
立花伊織が言ったからだ〉
叔母さんって呼ぶな、って。
お兄ちゃんがそう言った……
それって、親子じゃなかったってこと?
〈麻衣? 電話を代わりました。
レイくんの言い方だと、誤解を生みますから。
ショックを受けているだろうと思いましてね〉
はい……、その通りです。
でも、私よりもお兄ちゃんが心配で。
レイさんはあっけらかんとしてるから、心配はしてあげない。
あれ? でも、誤解って。
「どういうこと? どっちなの?」
プチ、パニック。
〈『血縁上叔母であっても、ひとつしか年が違わないのですから。
そんな風に呼んでは失礼ですよ』と。
レイくんを諭しました。
彼は、言葉を省略しすぎるので〉
じゃあっ、親子?
DNA鑑定の結果は親子で……間違いなしっ!
「ほんとに? よかった!」
ほんとに。
ほんとに……よかった。
〈立花麻衣、うるさい。騒ぎすぎ〉
あ。またレイさんに代わってる。
「だって、嬉しい、んだもん」
泣きながら言ったら、黙りこくる。
〈泣くほど嬉しいのか?
オレみてーなのが身内なのに?〉
信じられないという気持ちが混じって不安そうに揺れる声。
身内の愛を知らずに育った彼に、伝えたい。
「嬉しいよっ。
ありがとう、レイさん。
お兄ちゃんに、出会ってくれて。
そして。
検査を受けてくれて」
ぽろぽろ落ちる涙を、拓真さんが笑顔で拭ってくれる。
私の涙専用のハンカチで。
「もし、違ってても……
お兄ちゃんの友達でいてほしかったの。
だから。ほんとに、嬉しい」