のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】KISSの法則 第14話 兄への想い

 

「オレの大切な麻衣が、大切に想う兄貴」
彼の言葉に勇気をもらった。

 

 

【ヒミツの時間】KISSの法則 第14話 兄への想い

 

KISSの法則・しかるべき時

 

温かい胸に安心して。

泣きやんで、くすん、と鼻を鳴らすと。

「落ち着いたか? 

 ここだと、やべー。外へ出よう」

ここだと? 首をかしげる私に。

「ここだと、ほら。二人っきりだろ? 

 今日は麻衣に煽られっぱなしだからな。

 もう限界 タガが外れる。

 ……いいのか?」なんて。

至近距離で色っぽく覗き込むから。

慌てて首を振る。

 

 

 

バタバタと外へ出る用意をする私に、ため息をついて。

「そんなあからさまに拒否されると、

 いじめたくなるだろ?」

固まる私を捕まえて、ぎゅうっとハグ。

「伊織さんとの約束は守る。

 でも、あれってさ。

 “最終段階”は、だめってことだろ?

 そこに至るまでの“途中経過”は、OKだよな」

そんな、掠れた声で囁かないで。

「麻衣は、どう思う?」

イジワルな質問。

「わ、わかりませんっ!」

首を振るのが精いっぱい。

 

 

 

やっとのことで腕から抜け出して、家を出たらもう夕暮れで。

「近くに公園があっただろ?」

手をつないで、ゆっくり歩く。

公園の一番歩道に近いベンチに並んで座って。

デートみたいで、にやけちゃう。

「今日は、ありがとうございました。

 それと……重たい話で、ごめんなさい」

ちらりと私を見て、笑顔。

「重い、か。

 まぁ、軽い話じゃないよな」

 

 

 

「……あの時、お兄ちゃんに」

呟いて、榊課長を見上げる。

「私の耳を塞いだ時。

 お兄ちゃんになんて言ったんですか?」

んー? と、菫(すみれ)色の空を見上げて。

「麻衣を一人にしないでくれ。

 自分の人生から逃げないでくれ、って。

 そういう意味のことを。

 もっとズバッと言った」

榊課長らしくて、笑っちゃう。

 

 

 

「もっとズバッと、って。

 まさに“単純で短く”。

 KISSの法則、ですね」

きゅっと強く握る手。

「麻衣ちゃーん?」

ふざけた口調で口角を上げる榊課長。

う、やな予感。

また“煽った”とか、“覚悟”とか言われちゃう。

「違いますよっ。

 お兄ちゃんの話は、複雑で長かったな……と思って。

 それ、だけです」

お兄ちゃんに話題が及ぶと、途端に気持ちが沈む。

複雑で長い、だけじゃない。

重くて、結論が見えない。

……救われない話。

 

 

 

「麻衣。

 伊織さん、ほっとけないんだろ?」

はい、と。頷く。

「伊織さんが、麻衣に踏み込んでほしくないって思ってても?」

うぅ、と。言葉に詰まって。

「私。自分が正しいとは思わないし。

 お兄ちゃんを余計苦しめることも

 あるかも……しれません」

でも、と。

俯きかけた顔を上げる。

「お兄ちゃんが大切なんです。

 私、弱いから。

 すぐ泣くし、立ち止まるし……ブレまくりだけど。

 一緒に背負いたい。一緒に笑いたい。

 ……大切な家族だから」

 

 

 

「オレは、他人の人生には首を突っ込まない主義だ。

 その人間にしかわからない、歴史とか環境とか感情とか。

 そういうもんを自分の尺に合わせても、迷惑だろうし」

尖っていた頃の高橋課長にも、そうやって接したって。

気づいていても、動じないスタンスで。

認めているって暗に示して、信頼して。

「でも、今回は別だ。

 伊織さんはもう、他人じゃない。

 オレの大切な麻衣が、大切に思う兄貴だから」

ぼぉっと、頬に火が灯る感覚。

 

 

 

「それにな」

挑むような笑顔を見せて。

「……策はある。

 百戦錬磨、企画の榊。

 オレの手の内、麻衣にだけ見せてやる」

ぞくりとするほど、色っぽい瞳。

ふわぁっと、吸いこまれそう。

「オレも、麻衣も。

 諦めようとしてる伊織さんも。

 全員が幸せになるように動く。

 いいな。

 逃がさないから、覚悟しろ」

胸にずんって、響いて。

逃がさないなんて……

逃げる気なんてないもん。

もう、離れられないのに。

 

 

 

「ああ、そうだ。

 あっちの“覚悟”は。

 もう、できてるって解釈でいいよな」

う、あ。……え?

「あんだけ抱きついてくるってことは、もうできてるだろ。

 それに。

 やばいくらい色っぽくなってるぞ。麻衣の顔」

「ほんとですかっ?」

“色っぽい”という言葉にはしゃいで、我に返る。

いじわるな笑顔。

あ……まずい、かも。

ベンチの端まで、そっと後ずさり。

 

 

 

「逃げんなって。

 無理やり迫るほど、ガキじゃないし。

 しかるべき時がきたら、実地に移すから」

「しかるべき、時、ですか?」

そう、訊いたら。

「固まってただけの麻衣が、抱きついてきただろ?

 てことは、きっと。

 それ以上も、麻衣からしたくなるはずだ。

 その時まで待っててやるってこと。

 優しいな、オレ」

榊課長は笑って見せて。

「ま、しばらくは保留だろうな。

 伊織さんの幸せの道筋が見えるまでは、

 そんな気になんないだろ?」

はい、と。沈んだ気持ちで頷く。

 

 

 

KISSの法則・作戦会議

 

「じゃ、明日の日曜。作戦会議な」

作戦、会議?

「今日はもう暗くなるし。家まで送るよ。

 会議の詳細はPCにメールする」

はぁ、と。戸惑いながら頷くと。

「最終オブジェクトは“みんな笑顔”なんだろ?

 だから、伊織さんの意に沿うように留意する。

 せっかく、第一段階はクリアしたんだから」

そういうと、表情をきりっと引き締めて。

「会議の時間帯は、休日昼間のみ。

 もちろん、日没前にはきっちり送っていく。

 出席者は、榊と立花の2名のみ」

仕事モード? 

さっきまで、あんなにいじわるだったのに。

 

 

 

「デートみたいだけど。

 あくまでも、会議だぞ」

はいぃ、という返事が、情けないほど淋しく響く。

「ぁあ? 不満なのか?」

口癖の“ぁあ?”も、愛おしいくらいなのに。

からかって舞い上がらせたり、突き放して打ちのめしたり。

本当にいじわる。

「不満ですっ」

口がとがってる。

わかってるけど戻せない。

「ばか、煽んな。

 自分に言い聞かせてるんだよ。

 そう思ってないと、セーブできない」

いいのか? と。覗きこむ黒い瞳

いいです、と。答えてしまいそうな私。

 

 

 

ぽわんとした頭の中に、苦悶に歪むお兄ちゃんの顔が浮かんで。

ううん、だめ! と。小さく叫んで首を振る。

“みんな笑顔”になるんだから。

誘惑に勝たなきゃ。

悪魔の微笑みに惑わされないよう、精いっぱい睨んでみせる。

ふふん、と。

鼻で笑ったくせに、目を逸らす榊課長。

「……マジで、やべー。

 会議は人目のある場所限定だな」

“やべー”と“会議場所”の関連性は謎だけど。

ちょっとだけ、勝った気がする。

 

 

 

ちぃっ、と。面白くなさそうに、舌打ちして。

「こっちが攻撃してんのに、ダメージが半端ないな。

 どっちが翻弄されてるんだ?」

え? と訊きかえしたら。

ミイラ取りがミイラになってるってこと、と。

理解不能なボヤキ。

「からかって優位に立ってるつもりが、

 いつの間にか、麻衣に翻弄されて骨抜きにされてる」

いいえ、私の方が翻弄されてます! 

悔しいから、その反論は胸の中に留めておいた。

 

 

 

ああ、そうだ。

帰る道すがら、思い出したように榊課長は呟いて。

「伊織さんは、ああ言ったけど……

 新堂には、相談すんなよ。

 あいつ、何でも首突っ込んできてめんどくさい。

 話が余計ややこしくなる」

榊課長とのことで悩んだら、香里さんに相談しなさい、っていうあれ。

頷きかけて、ふと気づく。

「ごめんなさい。あの……

 お兄ちゃんと会う話、しちゃいました」

マジか、と。

額に手を当て、天を仰ぐ榊課長。

 

 

 

「ま、新堂は単細胞だから、何とかなるとしても」

ちらりとこちらを窺う、榊課長。

「問題は高橋だ。

 あいつ、伊織さんに興味津々だからな」

高橋課長がお兄ちゃんに? 

どう、して。

「メール転送のことオレに話した時にさ。

 あいつ、伊織さんのこと言い当てたんだよ。

『麻衣兄(まいあに)が麻衣を育てた』とか。

『かなり年上だろう』とか」

ぞくり、とする。

 

 

 

「高橋が面倒なのは、嘘が通じないところ。

 疑り深いだろ? 

 うんざりするくらい、しつこく矛盾点を突いてくるんだよ」

うあ……。

想像に難くない。

「あいつ、闇っていう話に喰いつきそうなんだよな。

 でも、そこが一番デリケートなとこだろ?」

あの時の、お兄ちゃんの言葉。

告発されなかったから、のうのうと生きている、って。

つまり、犯罪が絡んでいて……

お兄ちゃんの口ぶりからすると、加害者で……

 

 

 

「オレは完無視するつもりだけど。

 そうすると、矛先が確実に麻衣に向くだろうな。

 麻衣は性格上、無視できないだろ?」

はいぃ、多分ムリです……、と。情けない返事。

「しかも、無視できないように、ぜったい新堂を絡めてくるはずだ。

『香里も知りたいよね?』なんて言うぜ」

その声音も表情も鮮明に浮かぶ。

香里さんも、うん! って答えそうだし。

「悩むな。

 なるようにしかならないけど、オレが何とかする」

頭をくしゃっと撫でて、かがんで瞳を覗きこむ。

とくんとはずむ私の心臓。

「オレを信じて、任せとけばいいから。な?」

 

 

 

公園から家までなんて、ゆっくり歩いてもあっという間で。

もう、家の前。

明日も会えるのに、離れがたい。

「麻衣が伊織さんと何を話すか、どう接するか、は……

 今後に関わる重要事項だけどさ」

見上げた榊課長の視線は、エントランス方面で。

「麻衣を、っていうか。

 そうだな。

 麻衣と伊織さんの家族愛を信じる」

家族、愛か……、と。

榊課長は確かめるように呟いて。

その横顔が切なそうで、目が離せない。

「見すぎ。ここで襲うぞ」

笑顔で、からかうけれど。

さっきの表情が目に焼き付いていて、うまく笑い返せなかった。

 

 

 

「じゃな。メールするから」

ぽふ、と。

大きな手を私の頭に置いて、繋いだ手をするりと離す。

手が淋しい。ううん、手だけじゃない。

心が淋しい。

どうして、あんな顔、するの?

「見えなくなるまで、ここにいるから」

はい、と。

ぎこちない笑顔で頷きながら、一歩踏み出す。

このまま離れるのが忍びなくて、くるりと反転。

「また、明日」

そう、明日また会える。

訊きたいことは、悩まないで訊けばいい。

小さく手を振る私に、はにかみながら手を振りかえしてくれた。

 

 

 

KISSの法則・兄の思惑

 

ただいまぁ、と。

小さな声でドアを開く。

話しすぎて疲れた、と自室に籠ったお兄ちゃんに気を遣って。

なのに、お兄ちゃんはソファに座っていた。

「お兄ちゃん。もう、大丈夫?」

怪訝そうな顔。

「だって、疲れたって言ってたから……

 今日はありがとうございました」

いいえ、と。

笑顔を見せてくれたから、ほっとした。

「お礼を言うのは私ですよ。

 私が会いたいと言ったんですから。

 人と話すのは慣れていないとはいえ、お見送りもせずに

 こちらこそ、すみませんでしたね。

 榊さんはお気を悪くされていませんでしたか?」

「ううん、全然」と、首を振る。

 

 

 

「榊さんは……」

お兄ちゃんは口元をほころばせる。

心臓がどきり。

本音の時間が始まりそう……

「いい意味で、誤算でした。

 誠実で賢い方だと、素直に感じましたから。

 あの話を否定せずに静かに聞くだけでも、器が違います。

 それ以上に、なにか策を練っているようですし」

……お見通し、だ。

「そんなに蒼褪めなくても大丈夫ですよ、麻衣。

 面白そうだから彼の策に乗ってみる、と言ったでしょう?」

はぁ。そういえばそんなような。

「まさか、追い返さずに条件をすべてお話しするなんて、想像もできませんでしたからね」

くすくすと笑う、お兄ちゃん。

楽しそうに見える、けど。

 

 

 

「明日はデートですか?」

うん、と。頷きかけて、うーんと唸る。

「昼間会うの。

 デートじゃなくて……会議だよ」

ほんとは“作戦”会議だけど、そこはナイショ。

いつか、ほんとの笑顔になれるように。

「会議、ですか?」

笑いをこらえるお兄ちゃん。

むぅ、ばれてる。

“策を練る”から“会議”の流れじゃ、わかっちゃうよね。

「そういうことにしとかないと、

 “セーブ”できないって」

だから、昼間ですか、と。

笑いを含んでいた声が急に沈む。

 

 

 

「私があんな条件を出したからですね」

「違う、そうじゃないのっ。

 お兄ちゃんも言ってたじゃない、私が幼稚だって。

 あんな条件出さなくても、

 最初から『覚悟ができるまで待つ』って言われてたし」

幼稚じゃなくて、おさるさんだっけ?

「“覚悟”ができるまで、ですか」

“覚悟”の話はいいんだってば。

自分で言ったのに、わたわたする。

「まぁ、麻衣の幼稚さは筋金入りですからね。

 デートではなく会議であっても、小学生レベルの私服では失礼ですよ」

うぅ、と。唇を噛む。

 

 

 

小学生レベルって……。小さく抗議。

でも、最近の小学生はお洒落だから、並んだら完全に負けるような。

ずっと制服だったせいか、お洋服に興味がなくて。

クローゼットにはワンピースがずらっと並んでいる。

だって、楽だし。

コーディネートに悩まなくてもいいし。

それに、パンツスタイルがとことん似合わないんだもん。

体型のせい、だけど……。

「お買い物に行ったらいいでしょう?

 カードを貸しましょうか?」

だいじょぶ、だいじょぶ、と。カタコトで首を振る。

お兄ちゃんのカードって金ぴかに光ってて、

出すとレジの人が目を瞠るから恥ずかしいんだもん。

 

 

 

「お給料をいただいてますから、心配しないで。

 そうじゃなくて……」

私の言葉に首をかしげるお兄ちゃん。

「見立ててもらわないと、全然わかんないの。

 またワンピース買っちゃう」

「それは困りましたね」

お兄ちゃんは眉間にしわをよせる。

「香里さんはパンツスーツの人だから……

 ちょっと頼みづらいし。

 系統っていうか、体型が……」

口の中でもごもご。

「わかりました」

にっこり笑うから、爽やかに突き放されたのかと思ったら。

「彼、いや“彼女”に頼みましょう。

 ゲイバーにお勤めの“ユウ”に」

 

 

 

え、ユウさんってあの人?

午前中までお兄ちゃんの恋人だと信じて疑わなかった、あの……

私より断然綺麗で色っぽい、男の人。

「ゲイバーのママだそうですから、すぐには無理ですよ。

ですが、時間が空いたら付き合っていただけるよう、話しておきますが?」

「ご迷惑でなければ、お願いします」

殊勝に頭を下げているのに。

「メイクや、女性らしい所作も、しっかり教わりなさい」

むぅぅ。けなされた。

 

 

 

「それから、これは私からの指示ですが。

 ユウと会うことは、榊さんに報告すること。

 そして、ユウとのショッピングには榊さんを同行させなさい」

口をぽかんと開けたままの私を残して、お兄ちゃんはリビングを出ていく。

「夕食ができたら、呼んでください。一緒に食べましょう」

嬉しくて、うん、と返事。

でも、どうして?

お兄ちゃんからの指示は意味不明。

 

 

 

夕食後、デザートは、残りのチェリーパイ。

不意にお兄ちゃんが口を開く。

「……怖くは、ないですか?」

ちょうど、フォークに刺した大き目のかけらを、口に運ぶ途中で。

んうぇ? と。開いた口からもれるヘンな声。

「麻衣は私が怖くないんですか? と。

 訊いているんです」

その真剣な声音に、フォークをお皿に置いた。

「全然、怖くないよ。

 失礼な言動は多々あったけど……

 怖いっていうか、正直に言うとムカついた」

ちょっと睨んでみせる。

毒気を抜かれたような顔のお兄ちゃん。

 

 

 

「私は、自分が犯罪者だと伝えたつもりですが……」

、と。思わず声がもれた。

その、話。

それで怖くないかって訊いてるの?

「麻衣は恋愛ごとには疎いですが、

 それ以外はかなり洞察力の鋭いタイプだと」

そう、かなぁ? 

「ぼんやりしたコ、って言ってたよ」

「洞察力に優れていても、それを言葉にはしないだけでしょう。

 心に留めて、静かに分析する。

 そして打算がないから、行動には移さない。

 だから、はた目には“ぼんやり”に見えるのです」

うん? 

思慮深いようなことを言いながら、結局ぼんやりに落ち着いてる。

でも、もういいの。そんなこと。

 

 

 

お兄ちゃんの問いに対する答えは……

きっと、今後に関わる重要事項。

私とお兄ちゃんの家族愛を信じる、と言ってくれた榊課長に背中を押されるように。

今の正直な気持ちを伝えたい。

息を吸って、お兄ちゃんを見つめる。

「怖くないよ。

 お兄ちゃんを怖いなんて思わない。

 私の知ってるお兄ちゃんが、すべてだから」

愚にもつかない幼稚な答え。

じっと耳を傾ける、お兄ちゃん。

「もし、誰かが犯罪者だって言っても……私は違うって言える。

 のうのうと生きてきた、なんて思わない。

 だって今日、知ったもん。

 苦しんできたこと、悩んできたこと、私を守ろうとしたこと」

告発されなかったのは、そこに“理由”があるから。

多分、榊課長もそこを突破口にしたいはず。

 

 

 

麻衣は……、と。

苦しそうに言葉を絞りだして。

「私を買いかぶりすぎです。

 身内ですから、私を甘やかしてしまうのでしょう。

 ですが。

 怖くないという正直な気持ちは、嬉しいものです」

目を細めて私を見つめる、お兄ちゃん。

伝わったのかな。

ごちそうさまでした、と。

手を合わせ、キッチンへ向かうお兄ちゃん。

他愛のない話をしながらお皿を洗って、拭いて。

ずっと続くと思っていた何気ない幸せな日常。

私がこの家から旅立つとき、この日常は変わる。

それがどうか幸せなものでありますように、と祈った。

 

 

 

2階に上がって、メールをチェック。

来てる、来てる。

開いて文面を追うにつれ、頬が火照る。

もう、やだ。なにこれ。

 

From:榊拓真

To: 立花麻衣

Subject:【会議開催通知】

Body:

以下により会議を開催する。絶対参加のこと

日時:明日日曜 10:00~日没前

   (開催時間まで立花は自宅待機)

場所:近所のカフェ

議題:

 1)土曜日の報告

 2)今後の役割分担

 3)バカップルへの対応協議

 4)仕事の連絡事項

 5)親睦を深めるフリータイム

   (ただし、煽り過ぎは自粛のこと)

 

もう。

なんて返信したらいいか、わかんない。

考えに考えた末、素っ気なく〈了解ですっ〉と送った。

 

 

 

そうだ、明日の服。

どうしようっ。

がらんとしたウォークインクローゼット。

手前に、定番のワンピースがちんまり掛けてあるだけ。

紺とかグレーとか。無難な色ばっかり。

あ、この淡いピンクがいいかも。

……ピアノの発表会みたいかな。

鏡に向かってひとりごと。

どれもコドモっぽい。

ワンピースじゃなくて、中身の問題だけど。

それでも一番オトナっぽく見えるグレーのワンピと

桜色のスプリングコートに決めた。