【もとかれ】第3話 デート
初デート
〈今度の休み。どっか、行かね?〉
短いメールの、嬉しい内容。
〈はいっ! よろしくお願いします〉
返信して、にまにま。
〈朝、アパートまで迎えに行く〉
そんな、お手間をかけさせちゃだめでしょ。
チーフ……、久我さんの気遣いに、慌てて返信する。
〈現地集合で、結構ですよ〉
〈車で迎えに行くから。……返信不要〉
車で。
迎えに。
返信、不要。
……不機嫌だ。
初デートなのに。
気を取り直して、コーディネイトを考える。
【M・Dカンパニー】は基本制服。
設計以外の男性社員はスーツ。
営業と秘書課は、女性もスーツで。パンツスタイルか、スカートスタイルが選べるらしい。女性らしく、ヘアスタイルやアクセで個性をアピール。
受付、総務、庶務、経理の女子社員は、ベスト・ブラウス・スカートスタイルの制服。
……に、ひきかえ。
私たち設計部は、男女同型の制服。ブルゾン型のアウターに、チノパン。
もともと女性の進出が少なかった部署だけに、女性用の制服という考えがなかったようで。
とにかく、動きやすさ、作業のしやすさ重視。
設計女子は、その味気なさに不満を感じることもなかった。
「所詮、仕事だしね」
「ちょっとサイズ変わっても目立たないし」
「なにより楽だも~ん」
「お洗濯もガンガンできるじゃん」
ラヴリー・カルテットの意見に、私も賛同していた。
デートといえば、スカートなのかな。
でも、制服とギャップがありすぎて、ちょっと恥ずかしい。
10歳離れた姉、由香里ちゃんのおかげで、私のワードローブには可愛い服がいっぱい。
年が離れている私を、それはもう怖いくらい猫可愛がりしてくれる。
由香里ちゃんは、外資系商社のバリバリキャリアウーマンでスーツが似合う、モデル系美女。
一方の私は、チビで童顔だから。
由香里ちゃんは、自分では手が出せない甘々系を私に着せたいらしくて。
「だって、明日香ってば、華奢だし。
うるんだ大きな瞳が印象的な、美少女なんだもの」
なんて言葉巧みにおだてては、着せ替え人形のようにあれもこれもと買ってくれる。
私は、子供っぽい印象を変えたいと思っているんだけど、な。
明日香は性格に問題あり、と。
由香里ちゃんはずっと豪語していて。
華の女子高生時代は、恋愛やファッションに興味を示さず、PC漬け。
就職して少しはメイクやファッションに興味が出るだろうと思っていたら、ありえないレベルの制服。
「可愛さを活かさないのは、怠慢っていうより、もはや罪悪よ!」
魔女の呪いのようなお小言に、背筋を凍らせていたけれど。
出番もないのに増え続ける可愛い私服が、こんなに早く日の目を見るなんて思いもしなかった。
ファッション誌を参考に。
淡いピンクのロングニットに、裾レースが可愛いアイボリーのショーパン、黒いヒール低めのニーハイブーツ。
いつもは低めお団子にまとめている髪も、ふんわりおろして巻いてみて。
リハーサルさながらに、鏡の前でファッションショーを繰り広げた。
「夢みたい」
こんな、薔薇色で、甘々、きらきらな夜があるなんて。
待ち合わせ
約束の10時ちょっと前に、下の道路で待っていると
ブラックのSUVがすぅっと近づいてきた。
あ。かっこいい車。
「明日香、乗れ」
ウインドウが下がり、一声。
びっくりして動きが止まる。
久我さんの車、なんだ。
はい、って。
戸惑い気味に言いながらドアに手をかけると。
「ちょっと待て」
ストップがかかった。
まさかの土禁ちゃん?
仲のいい従兄、よっちゃんがクルマ命で。煩くて、辟易してたから。
ちょっと。
ほんとにちょっとだけ、ヒいた。
運転席のドアから、こちらに駆けよる気配。
なにごと?
見守っていると、久我さんが助手席のドアを開けて。
「どーぞ」
手を差し出して、空を見上げた。
照れてる。あの、久我さんが。
「ありがと、ございます」
手を取った私も照れながら乗り込んで。
……
……
運転席に座った久我さんと、しばし無言で見つめ合う。
「お前、部屋で待ってろよ」
低い、声。
「でも、その。路駐はいけないと思って」
いきなり、不機嫌モード全開だ。
「路駐はしねーよ。人として当たり前だろ」
ふん、と鼻を鳴らして威張る、久我さん。
「次から、下で携帯鳴らすから。
そしたら降りて来い」
初デートの朝に、次の予感。
いいの? そんなこと言って。
私、免疫ないから本気にしちゃいます、よ。
今日の久我さんはジーンズに、カットソーのジャケット。
インから覗くVネックニットが色っぽい。
ショッキングピンクorアニマルテイストが主張する“よっちゃんファッション”とは大違い。
シックでオトナ。
いじわるで、すぐ不機嫌になるけれど。
あ。だめだめ、ポジティブに。
記念すべき、人生初のデートだもん。
「明日香」
ハンドルに腕をかけ、前のめりで視線を送る久我さん。
どきどき、する。
「いつもと違う、のな」
すげ、可愛い、と。
こっちを見たまま、ぼそりと呟くから。
テンパって、顔が火を噴く。
「く、くる、車。かっこいいですね。
この車、好きです」
じろりと睨む久我さん。
「車、かよ」とぼそり。
え、なに。
……あ、そか。
久我さんは“私”を褒めてくれたのに。
「久我さんも……」
なんて、口ごもりながら言ってみる。
「とってつけたようなお世辞だな」
いじわる。
「えっと。そうそう。
ストップ掛けられたから、土禁かと思いましたっ」
焦りながら言うと。
ぎろりと、さっきより強く長く、睨みつけて。
「あっそ」と、冷たく呟いた。
そのあとはずぅっと黙ったまんま。
完全にスベったらしい。
「あ、の。ごめんなさい。怒ってます?
次はちゃんと部屋で待ちますから……」
涙声になってしまった。
私の顔を覗き込んで、黒い笑みを浮かべる久我さん。
なんで、ご満悦風?
よっちゃん
「車、詳しいのか。
土禁なんて、誰に。いや、誰の……。
あー。
誰から、聞いた」
土禁と、……誰?
「従兄のよっちゃんです。
土禁、土禁って、煩いんです。
車高の低い改造しまくりの車で、ぶぉんぶぉん飛ばすし」
ヤンキーかよ、って。
笑ってくれるから、嬉しくなる。
ナイス、よっちゃん!
「典型的にヤンキーに憧れてるタイプみたい。
本人はヘタレだけど」
ふうん、と。気のない返事。
「だから、こういうSUVに憧れてて。その中でもこれが一番好き」
「それ。オレに置き換えて言ってみ」
首をかしげて脳内変換。
――久我さんに憧れてて――
――久我さんが一番好き――
ひゃ、ああ。
言えません、てば。
ふふん、と。隣でわたわたする私に笑って。
「どこ、行きたい?」
ん、と。……少し考えて。
「山道とカーブじゃないとこ」
そう答えたら、盛大に笑われた。
「“ドライブに付き合え”って言われて渋々行くと、いっつもそういうとこで。
目は回るし、気持ち悪くなるし」
「よく二人で行くのか」
久我さんは前を見たまま訊く。
「由香里ちゃんが。
……あの、姉なんですけど。
“よっちゃんと遊んで修行しなさい”って、命令するから」
あ? と怪訝そうな声。
「え、と。
“男っけがなさすぎるから、慣れるために相手してもらいなさい”、っていう意味らしいです」
ふぅん、と。
笑いを含んだ声で、やっとこっちを見てくれる久我さん。
水族館
「水族館、好きか?」
はいっ! と。
元気よく返事をしたら、髪の毛をくしゃくしゃにされた。
「よっちゃん、ってヤツとは行ったことあるのか?」
「え? 行かないですよ。
よっちゃんには、目的地がないんです。
ただ、ひたすら、ぐねぐね飛ばすだけ」
げんなりした声を出すと。
「ソイツの方が修業すべきじゃね?」
爽やかに笑って、車を発進させた。
話題になっていた、都心の水族館。
館内は薄暗くて。
ライトアップが幻想的で。
小さい頃、由香里ちゃんに連れてきてもらった水族館とは、印象が違った。
それは、やっぱり。
一緒に来る人との関係性じゃないかな。
好きな人とのデート、だから。
薄暗いのを理由に、なんとなく距離が縮まる。
幻想的な雰囲気に酔って。
甘えたくなってしまう。
ぴとっと、くっつくのに何の抵抗もなくて。
彼の肩に、こつんと頭をよせたりして。
……なのに。
久我さんは、さりげなく距離を取ろうとする。
周りのカップルは手をつないでるのに。
手が、心が。
淋しいって言ってますよ、久我さん。
声に出せない代わりに、実力行使。
手を、ひらひら泳ぐ魚に変えて、久我さんの手をぱくっと掴まえた。
長いトンネル型のアクアリウム内。
久我さんの驚いた顔が、青いイルミネーションライトに照らされる。
大胆な自分。
拒否されたらどうしよう。
すごく、どきどきした。
「はぐれたら……こまるので」
だめですか? と。見上げると。
「明日香がそうしたいなら、いい」
逸らされた視線に、ぐうっと下降。
ぎゅっと握られた手に、急上昇。
ジェットコースターさながらの、私のテンション。
私はそうしたいけど。久我さんは嫌だったかも。
俯いていると、優しい声が降ってきた。
「怖がらせたから、自制はする。
でも……これは。
明日香が手をつなぎたいって言ったんだから、自制の意義は消滅だろ」
自己責任だからな、と。
ぐいっと腕をひきよせられて。そぉっとハグ。
「これはオプション。おまけ、な」
どきどき、されっぱなし。
消化しきれない、幸せな“もやもや”のせいで。
なんだか、うまく喋れない。
そんな私たちを救ってくれたアシカのショー。
絶対中に人が入ってる、と疑うほど芸達者で。
一発芸やショートコントを見せてくれた。
大好きなペンギンに歓声を上げて。
可愛いっ、と。はしゃぎまくる私に。
「ペンギンって鳥だよな、なんで水族館に住んでんだ?」
いじわるを言う久我さん。
深海やサンゴ礁の生き物、鮮やかな熱帯魚に歓声を上げる私をちらりと見ては。
隣で、皮肉めいたことを呟くくせに。
ムキになる私を甘く宥めて、優しく見つめる。
イルカショーも圧巻で。
大きな円形プールでダイナミックに泳ぎ、ジャンプする流線形に釘付け。
ポンチョを身に着けてるとは言っても、最前列の子供たちはびしょぬれで。
泣き笑いが可愛くて、笑ってしまった。
「明日香も、かけられたかった?」
覗き込んで、にやりと笑う。
「イルカにさわったり、アジ食わしたりできるんだってさ」
「ほんとですか? ごはんあげたい」
わくわくしながら見上げると。
今度な、と、つないだ手をぎゅっとする。
今度。
うん、今度。
すごく、いい響き。
水族館内の素敵なレストランで、遅めのランチ。
熱帯魚が泳ぐ水槽を囲むように、カウンターがしつらえてあって。
まるで海の中にいるみたい。
ランチメニューは、お肉かお魚。
「アイツらが見てる前で、仲間を食べるのは……まずいよな」
熱帯魚を指さす久我さんの言葉に頷いて。
お肉料理のランチコースをオーダーした。
「どこ行きたい? って、訊いたけどさ。
実はデートの定番ってヤツを調べた」
わかんねーからさ、マジで、と。
頬杖をついて呟くと、熱帯魚を目で追って。
「パソコンの検索ボックスに文字さえ入れれば、何でもわかるから。
ほんと助かった」
かっこいいのに、意外にデート慣れしていないこと。
慣れていないのに、私とのデートのために調べてくれたこと。
心がぽんわり温まって。
嬉しさがじんわり胸に広がる。
「明日香が楽しそうだと、オレも嬉しくなる。
不思議だな。
今までそんなふうに考えたこともなかったのに」
こくこく頷きながら、言葉を探すけれど。
私も……、と言うのが精一杯で。
「しつこいけど。
もやもやすんのは性に合わないから、訊いとく」
いきなりの宣言に、びっくりして久我さんを見上げると。
「よっちゃんっていうヤツとは、外でメシ食ったりしたのか?」
ん、と。
……また、よっちゃん登場。
「ごはんは、ファーストフード、オンリーでした」
ドライブスルーか。
そう、勝手に納得してるから。
「いえ。店内で食べるんですよ。
あの改造車には、食べ物を持ち込まないそうです」
なんだよ、それ、と。呆れたように笑って。
“不機嫌より、笑う久我さんが好き”って思いながら見惚れていた、のに。
「明日香」
低い、声。
あ、また不機嫌?
さっきまで笑ってたのに。
「もう、いいだろ」
いいだろって。なに?
意図がつかめなくて見上げると。
「よっちゃんってヤツのこと」と言い捨てる。
「訊いたのは、久我さんですよ」
そうだけど。……そうじゃなくて、と。
きゅっと私の手を握る。
「修行なんかもういいだろ、ってこと。
オレと、経験していけばいい」
「大体、よっちゃんはオトコじゃねーだろ」
そっぽを向いて呟くから。
「オトコ、ですよ。
あ、よっちゃんって女の人だと思ってました?」
やだ、もう。久我さんたら。
「ばーか。生物学上の話じゃねーよ。
そいつ、イトコだろ。
か……」
言ったきり、しばし黙り込む。
「カレシと比べんな」
か。カレシ。
カレシ……って。
カレカノのカレで。
嬉しいっ。
「どーりで、な。
ドライブ慣れしてると思った」
帰りの車中、呆れた声で。
「駐車場の料金支払機に近づけば、さっと硬貨を渡すし。
駐車場から右折で出る時は、ウインドウから顔出して……
入れてくれるように頭を下げる」
睨まれて、ますよねぇ……私。
「休憩すれば、カップのコーヒーがいつの間にかオレのドリンクホルダーで湯気立ててるし。
渋滞が始まると“ガム、ありますよ”って、にっこり笑うし。
それってさ、全部“よっちゃん”仕込みだろ?」
はぁ。まぁ。
「なんか……ムカつく」
……と、言われましても。
「いいか。
そういうのは今後、オレ専用だからな」
はいっ、と。
大きく頷く私の頭を撫でて。
「そんで。
オレの隣は、明日香専用だから
……今までも。これからも」
優しく囁く、久我さん。
「今までも?」
信じられなくて。嬉しくて。訊いたのに。
そっちかよ、と大きなため息。
「車乗るようになってから。
あー、つまり。
社会人になってから、な。
カノジョは明日香が初めて」
その、前は?
不安になって小さく訊く。
胸がしくしく痛い。
「いっちょまえに、オレの過去が気になるんだ」
いい兆候だな、なんて。口角を上げる久我さん。
「それなりに。フツー、にな。
それ以上は教えねーぞ。
少しはオレで悶々しろ」
いじわるそうに瞳が煌めく。
「大体な。
“今までも”より、“これからも”の方に反応しろよ」