のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】第4話 充電と嫉妬

 

第4話 充電と嫉妬

 

「充電、させて」

彼と共有するヒミツの時間。

心地好くて、終わりの予感に怯えてる。

 

【ヒミツの時間】第4話 充電と嫉妬

 

充電……

 

10月1日付で、先輩方は決定した所属先へ。

ミカさんは経理課。

ミスがなく計算が早いミカさんにはうってつけ。

そして、ヒトミちゃんが、同期の中で一足早く秘書課に配属された。

同期が一人減ったことで、夕方のお掃除当番は組みなおされた。

ハッピーマンデーのミユキちゃんと、各階の給湯室当番のコが持ち回りでその穴を埋める形。

「ラクできるって喜んでたのに~」

ミユキちゃんがぼやくと、香里さんが笑った。

「いつまでもあると思うな、ラクとコネ。っていうでしょ?」

ほんとは違うけれど、この場合それが正解な気がする。

私は変わらず水曜日当番のまま。

終業時間間際の休憩室。

10月ともなると、さすがに肌寒い。

 

 

 

「充電、させて」

久しぶりに聞いた言葉に、頬が緩んだ。

当番を始めた最初のころを思い出す。

サボりに来る男性社員が営業だってわかって、香里さんが“あれ”みたいに怒ったんだよね。

ええと、あれ。

あれ、なんだっけ?

「……般若、だ」

思い出してすっきりした私は、キッチンの蛇口をピカピカに磨き上げはじめた。

そういえば。

さっき、なにか言われたような。

「充電、させて」

少しだけ、苛立ちを含んだ、声。

びくりと揺れた、私の肩。

空耳じゃなかった、けれど。

私に言った言葉なのかも、定かではない。

ましてや「充電」の意味するところも理解していなくて……。

 

 

 

振り返っても、視線を合わせない彼。

えっと、この人は……。

頭の中フル回転で、顔と名前の照合作業を行った。

バカだ、私。

どうしてすぐに思い出せなかったんだろう。

もしかしたら、思い出さないように記憶に鍵を掛けていたのかもしれない。

黒髪。長身。

この、意地悪そうに煌く瞳。

「企画部、榊。

……氷の榊っていえばわかるか?」

小さく、言う彼。

企画の……、神。

あの時抱きよせられた肩が、熱を持つ。

心臓の辺りが、バクバク言ってる。

発作を起こして倒れるかも。

 

 

 

放心していたことに気づき、狼狽えながら私は答えた。

「あ、ごめんなさい。

充電、ですよね。どうぞ」

榊課長は少し驚いた顔をして、私を覗き込んだ。

私と彼の視線が絡まったのは、それが2度目。

前回とは比べ物にならないほど近い距離。

壁のコンセントを指差している私に、彼は右の口角を上げた。

鮮やかに蘇る、意地悪で妖艶な、あの笑み。

さらりとした黒髪が揺れたかと思うと、ぐいっと距離を詰められた。

 

 

 

「そう、じゃなくてさ」

“危険”を知らせるシグナルは、頭の中に鳴り響いていたのに。

ただ近づいてくる彼をぼうっと見ているだけ。

肩に柔らかい衝撃を感じたかと思うと、視界がくるりと反転する。

榊課長に背を向ける格好。

驚いてシンクの縁を掴む私を包んだのは、甘いぬくもりで。

彼の吐息が耳を擽る。

背中から抱きしめられていることを理解するのに、かなり手間取った。

頭が白く痺れ、こめかみが驚くほど強く、早く、脈打つ。

 

 

 

「あ、あのッ」

焦った声は、恥ずかしいほどに上ずって。

耳元で「しずかに」と宥める彼の声に、頬が更に熱を上げた。

「少しだけでいいから。こうさせて」

彼の声が心地好くて、私は小さく頷いた。

どのくらいの時間だったか。

一瞬、ではないし。

30分、ほど長くない。

もう、時間の感覚なんてどこかに飛んじゃうくらい。

包まれたまま、なにか訊かれて、首を左右に振った。

それはぼんやり覚えている。

いつ離れたのか、いつ休憩室から去ったのか。

記憶すら、ない。

 

 

 

一度だけ、抱きよせられた7月。

あれだって、良く言えば、無知な私に対する親切心。

悪く取れば、ちょっとした悪戯心だ。

じゃあ、今日のは?

いままで通り過ぎた榊課長の背中、よくて横顔を遠目に見るだけだったのに。

それが、いきなりの“ハグ”

彼の姿をまじまじと見たのは、今日が初めて。

「たしかに……

騒がれるくらい、かっこよかった、かも」

呟いて、我に返り。

時計を見たら終業時間なんて、とっくに過ぎていた。

 

 

 

ふわふわした足取りで階段を降り、デスクへ戻った私。

「麻衣、どうかした?」

眉を上げる、香里さん。

知られてはいけない、と警鐘が響く。

信頼できる上司なのに。

どんな些細なことも相談して、指示を仰ぎたいのに。

「ちょっと、熱っぽいだけです」

「大丈夫?」 

そう訊きながら、私のおでこに手を当てる香里さんに、ごめんなさい、と胸の中で謝る。

心配かけてごめんなさい、香里さん。

ううん、心配してくれてるのに、何も言わなくてごめんなさい。

榊課長、すごく疲れているみたいで。

私に何かできるかも、なんて思い上がっちゃっただけ、なんです。

こんなこと、今日だけだから。

――そう。

今日だけ、だと、思っていたのに。

 

 

 

彼は、それから毎週お掃除が終わる時間を見計らったかのように現れた。

「充電させて」と言い

そっと私をハグして

「充電完了」と離れる。

……ただ、それだけ。

もっぱら榊課長のふた言だけ。

私はただ、頷き、動かず、俯く、だけ。

それに何の意味があるのか。

意味なんて、ないのか。

 

 

 

香里さんに最初に言わなかったということは、もはや秘密にせざるをえなくて。

もしもあのハグが問題視されるのなら、私も立派な共犯者だ。

誓ってもいい。

あれは“充電”で、断じてセクハラなんかじゃない、と。

不埒な気持ちも、不快な思いも存在していない。

つまり、榊課長は加害者ではないし。

まして、私は被害者にはなりえない、ということ。

ハグのように見えるけれど、あれは単なる“充電”でしかなく。

進展という変化を考えたこともなかった。

例えば、拒否することもなく。

期待も持たない。

――ただ――

このヒミツの時間は、いつか終わりを告げる。

その日が来ることを恐れていた。

 

 

 

秘書課のアケミさん

 

「ちょっと、新堂さんッ!」

年末、シンジョのブースに乗り込んできた派手な女性。

制服ではなく、スーツ姿。

茶髪をハーフアップにして、後れ毛をくるくる巻いて。

唇は真紅。

睫毛で風がおこせそう。

「あんた、アタシんとこに、よくもあんなアバズレ入れてくれたわね」

うお?

これは、かなりご立腹のご様子。

しかも、アバズレだなんて。

スキャンダルの、予感。

「これは、これは。

天下の秘書課、アケミさん」

飄々と返す香里さんの言葉に、絶句した。

秘書課、アケミさん。

この、人が。

突如訪れた、“終わり”の予感に打ちのめされる。

 

 

 

あれは、そう。

まだ春のこと。

シンジョのイケメン談義の中に、一度だけ登場した人。

女嫌いの噂が立っている榊課長。

その榊課長に猛アプローチをかけて、一歩リードしている……

秘書課の、アケミさん。

アケミさんが怒りまくっているその場にいたのに、何ひとつ飲み込めなかった私。

シンジョメンバーが、呆れながらお昼休みに教えてくれた。

彼女の怒りの矛先は、もちろん私なんかではない。

10月1日付けで秘書課に配属された、同期のヒトミちゃんがそのターゲット。

ヒトミちゃんは綺麗で色っぽさもあるけれど、決してアバズレではない。

ただ、熱心な榊課長信者ではある。

噂のあるアケミさんの前でも、臆面もなく榊課長賛美。

まるで、人づてに榊課長の耳の入ることを狙っているかのように。

「ま。癇には触るでしょうね。

自分よりぴっちぴちで魅力的な女の子が、お局に遠慮もしないでアピってんだから」

お局って……。

アケミさんは、もう、その通りのイメージで。

香里さんの言葉に、苦笑を浮かべるシンジョメンバー。

 

 

 

「大体、アケミさんがシンジョを作ったようなもんなのよ」

鼻息も荒く、香里さんが吐き出す。

「派手しか取り得がないくせに、『秘書やりたーい』って、ゴネて秘書課に入ってさ。

秘書をナメんじゃねーっつーの!」

もしや、お酒飲んじゃってます? 香里さん。

「アケミさんなんて表に立たせらんないの。

だから、内勤。

秘書課の内勤なんて、ありえなくない?

ボスのスケジュールも覚えられない。

興味があるのは相手の肩書だけ」

それは、ひどい。

「媚びて、しな作って、色仕掛けみたいなことばっかやって。

秘書があんなんじゃ、社長も役員も面目丸つぶれ、よ」

「アケミさんを連れてたら、愛人にしか見えませんもんね」と誰かが言う。

「辞めさせるわけにもいかないし。

年がいっちゃってるから、今更他に回せそうもない。

もうこういう失敗はこりごりってね」

ふう、と息をついて、目を伏せる香里さん。

「これが、シンジョ誕生ストーリー」

 

 

 

もやもや、する。

そんなアケミさんにゴリ押しされて、一歩近づかせてるんだ、榊課長は。

華やかで、大人っぽくて。

ああいう、女性が好みなんだ。

私とは真逆の……。

なのに、なんで?

「秘書課内勤って結局何やってるんですか? アケミさんは」

同期のコの質問に、それなのよ、と、歯痒そうな顔で呟く香里さん。

「新人指導係……という名の、イビリ専門職」

うわ~、と、げんなりした声が上がる。

「ヒトミだけじゃなくて、歴代の秘書課配属者には、話してあるの。

何言われても、無能なヤツがほざいてる~って、流しなさいって」

あはは、と笑うみんな。

 

 

 

「ただね、ヒトミは頭がキレるし、弁も立つコだから。

真っ向から正論をぶつけたらしいの。

今、秘書課にいるコ達は全員シンジョ育ちだし、アケミさんには恨みもあるし……」

「バトル勃発ですか?」と揶揄する声。

「バトルなんてもんじゃないでしょ。

怒鳴り込んできたように見えたでしょうけど、あれはアケミさんなりのSOSよ」

「え、あれが? 明らかに喧嘩売ってましたけど」

困惑するみんな。

「あ~。

あたし、収拾するべきよね~。

でも、ヤだ!!!」

 

 

 

唇を噛んで俯いていたけれど。

アケミさんについての話は、ちゃんと聞こえていた。

秘書としては無能。

悪い意味で、シンジョ誕生の立役者。

新人をイビリ倒したツケが回って、反旗を翻され、ピンチに陥っている。

因果応報。

勧善懲悪。

みんな、大好きなストーリー。

……でも、私はアケミさんが羨ましかった。

たくさんの人に嫌われ、疎まれても、彼の傍にいられる人、だから。

 

 

 

「……麻衣、唇。血が滲んでる」

香里さんが、私の顔を覗き込む。

頷く私に心配そうに大きなため息をつくと、香里さんはおもむろに口を開いた。

彼と、アケミさんの話。

「アケミさんが一番堪えたのは、榊のことなんだよね」

榊課長っ? 

1オクターブ高くなった声が、彼の名を呼ぶ。

「ヒトミが詰めよったらしいの。

『ホントに榊課長と付き合ってるんですか? 誰も、アケミさんと榊課長が一緒にいるとこ、見たことないって言ってますよ』って」

それで、それで? と、みんな目を爛々と輝かせてつめよる。

聞きたいような、聞きたくないような。

ぐちゃぐちゃな心を持て余す、私。

 

 

 

「それで、参って。

あたしに助けを求めに来たの。

っていうことはさ。わかるでしょ?」

「ああ、なるほど~」

口々に納得するシンジョメンバー。

なに、なに。どういうこと? 

どこを、どう、納得?

わたわたする私。

それを見て「ウブ子、参上」なんて、からかうシンジョメンバー。

「本人同士で話せばいいじゃない、ってことよ。わかる? 麻衣」

そう言って優しく見つめる香里さん。

どう、いう、意味だろう?

 

 

 

自慢の娘

 

「残業の件、なんですが」

16時半を回った頃、おずおずと香里さんに声をかける。

年が明けてから、徐々に私の仕事の比重が大きくなっていた。

先輩方が抜け、新入社員の入社前のこの時期だから、だということを差し引いても。

私の仕事がほかのコより、多いのかな?

でも、香里さんはそんな差をつける人じゃないし。

もしかして……

思い当たることはひとつ。

「私、仕事が遅いんでしょうか」

ただでさえ、ぼんやりした性格だし。

思い込むと横道に逸れる。

榊課長は、相変わらず水曜日にやってくるし。

だから、もやもやが晴れなくて。

時折、心がふわりと彷徨ってしまう。

 

 

 

「今、手元に残ってるのは?」

「広報に載せる記事の清書とレイアウト、

営業日報の一括データ入力、

経理ミスのチェック依頼、です」

うん、うん、と頷く香里さん。

「麻衣、今日は何件仕上げたっけ?」

んー、と思い返す。

「5件、です」

ひゃー、そんなに? と目を丸くする香里さん。

「ごめん。あたしがたくさん回し過ぎたね。

……ちょっと、話そっか」

親指で指導室を指差す香里さん。

覚悟を決めてついていく。

 

 

 

「麻衣はね、仕事がスピーディで正確よ。

あたしの自慢の娘だもん」

にこりとする香里さんに、笑顔を返したつもり、なのに。

「麻衣、最近、笑顔がぎこちないよ。

なんか、悩んでる?」

答え、られない。

口を堅く結んで、首を振るのが精いっぱい。

「ごめん。話したくなったら、いつでも聞くから、ね」

ぽんぽんと頭を包む、かおりさん。

お礼を言おうとした口から、嗚咽が漏れて。

涙がぽろぽろ、零れ落ちた。

 

 

 

「各部署からの依頼がね、『この間担当してくれた人で』って形で来るの。

それが全部、麻衣なのよ」

涙が枯れるのを待って、でも敢えて涙のわけには触れずに淡々と話す香里さん。

その深い優しさに、また涙腺が緩みそうになる。

「麻衣に負担が掛かってるのは知ってた。

でも依頼主の気持ちもわかるから。

正確なうえに、期限より早く仕上げるでしょ」

それに、と真面目な顔でつづける香里さん。

「数字入力は空いてるセルを“=”でつないで、一目でミスがわかるように。

セルに色を付けて一致箇所を際立たせて、ミスを減らすように。

『この間の人』、つまり麻衣が手掛けたベースデータは、使いやすいって評判なの」

よかった。

押し付けとか、お節介とか思われていなくて。

返信するたび、びくびくしてた。

良かれと思っているのは私のエゴで、快く思わない人がいるかも、と心配だったから。

 

 

 

「ほかのコは、言われた以上のことに手を付けない。その場凌ぎの仕事ぶり、よ。

あたしが注意しなきゃダメなんだろうけどね。

傷つけるかも、ヘソを曲げちゃうかも、って臆病になる」

そう、香里さんは寂しそうに笑った。

「麻衣にたくさん回してる。

でも、麻衣ならできるはずって甘えてた。

ごめんね、追いつめて」

目を伏せる香里さんに、「いいえ」と声をかける。

「お仕事、ばんばん回してください。そのほうが……」

余計なことを考えなくて済むから。

 

 

 

「朝、早出してもいいですか?」

切なそうに見つめる香里さんから、目を逸らして。

「夜の残業が、不安なんです」

私の言葉に、息をのむ香里さん。

「いえ、そうではなくて。と、言いますか」

これは、ちゃんと話さなくては。

無用な心配をかけることになっちゃう。

「あの、ですね。

実は、最寄り駅から自宅までの間に、不穏なルートがありまして」

心配そうに眉を寄せる香里さんに、慌てて状況を説明する。

私の説明した内容が限りなく予想外で、突拍子もなかったらしく。

香里さんはぽかんと口を開け、堰を切ったように笑った。

「んー、と。それってさ。今後も続くよね」

困ったように確認する香里さんに、「はい」と頷く。

「つまり、正式に配属されてもって意味なんだけど」

「陽が長いうち、春と夏は平気ですよ」

「そっか。秋冬の夜の残業は難しいっと」

難しい顔で、手帳に書き込む香里さん。

 

 

 

「やっぱ、秘書か受付にすべきだったかな」

香里さんが呟く。

秘書、という言葉に、嫌でもアケミさんを思い出し、ぎゅうっと目を瞑った。

「麻衣ってさ、補佐に向いてるの。

気が利くし、でしゃばらない。

一歩下がってフォローする、みたいな。

でも、秘書も受付も、顔を覚えなくちゃ、いけないから。

いい意味で人間に興味がないとキツいでしょ。

行き過ぎると単なる噂好きになっちゃうけどね」

とりあえず“人間”として興味は持とうね、って香里さんに言われたことがあった。

「麻衣が、高橋と榊を知らないって言ったとき、あたし『あちゃ~』って思ったもの」

懐かしいな。

あの頃の私は、今みたいに醜い思いに苦しんでいなくて。

ぽわ~ん、と過ごしていたっけ。

 

 

 

「入社プロフィールって、一応各部課長に回るのよ。

『これはっ』っていう新人にはね、各部署、名乗りを上げるの。

麻衣には、秘書課と受付が一番に手を挙げたのよ。

自分じゃ気づいてないでしょうけど、麻衣って華があるのよね。

華があるのに、品もある。

ああ、見た目の綺麗さもそうだけど。心もね。

学校の成績も文句なしに優秀だったし……」

言いかけた香里さんが、目をひん剥いた。

「はぁっ? 

なに、ゆでだこみたいになってんの?」

 

 

 

「香里さんがっ。

き、きれいとか、華があれだとか、品がどうとか、言う、からです」

びっくりしすぎて、声が裏返る。

ぷっ、と吹き出す香里さん。

「ま、これは麻衣だけじゃないけど。

6階のお掃除って、オトコがちょろちょろいたでしょ?」

そう、いえば。

榊課長の“充電”って言葉を額面どおりに受け取ったのは、実際私用のスマホを充電する人がいて。

充電しながら、結構話しかけてきてた。

 

 

 

「あれ、みんなシンジョ狙い。

特に麻衣の人気は、すごかったのよ。

どんなに話しかけても、靡かないし、媚びない。

でも、邪険に扱うわけでもなく、にこにこしてて。

今時、珍しいほど男っ気もなくて純朴なのに、ルックスがいいんだもん。

誰が麻衣をオトすのか、なんて噂もちらほら、とね」

知らない男の人にそんなふうに言われていたなんて、身震いがする。

「掃除の邪魔だから、17時半以降は休憩室の入室禁止って

脅迫……じゃない、通達したのよ。

それを、アイツ」

アイツ?

首をかしげる私に、なんでもない、こっちの話、と香里さんは笑った。

 

 

 

ラブコール

 

入社1年が経った4月。

新入社員から「先輩」なんて呼ばれ、もぞもぞする季節。

毎週変わらず“充電”に現れる、榊課長。

そして、2,3か月のスパンはあるものの、定期的に依頼される榊課長の仕事。

自分の仕事に関わっているシンジョの一員と、“充電の電源”が同一人物だなんて、榊課長はきっと知らない。

いつか終わりを告げるに違いない“ヒミツの時間”を憂いて、情緒不安定になっていた私も、春のぽかぽか陽気とともに、少しずつ復活していた。

 

 

榊課長は“企画の神”で。

つまり、尊敬と憧れの対象なのだから。

彼のおかげで日の目を見た、私の拙い企画書もどき。

目の前の仕事をこなすのに精いっぱいだった私に、昂揚感を教えてくれた。

なんの“充電”かは不明だけれど。

そんな榊課長のお役に立てたなら。それだけで、もう。

それ以上欲張ったら、きっと天罰が下る。

そして――

どんなに憂いて足掻いても。

“ヒミツの時間”の期限は、もう3か月を切っている。

7月1日には、夕方のお掃除当番は新入社員にバトンタッチされるのだから。

 

 

 

「麻衣。配属だけどさ、どこがいい?」

「希望を言ってもいいんですか?」と問うと、香里さんは困ったようにふんわり笑った。

「麻衣は特別。モテる女は選べるのよ」

モテる、女? 仕事の話なのに照れる。

「どこに出しても恥ずかしくない出来のいい娘なんだけど」

お嫁に出す父親みたいな顔をする香里さん。

「だからこそ、どこに出そうか迷っちゃうのよ」

人差し指を顎に当てて難しい顔。

「麻衣の力を活かせる場所、麻衣が伸びる場所、麻衣の居心地も優先したい。

ほんわか麻衣ビームで、殺伐とした部署を変えるっていうのも捨てがたいし」

思案顔で呟く香里さんに、「なんですか? それ」と苦笑する。

 

 

 

「各部署から麻衣ちゃんコールがすごくて。

ただ、1件、驚くほど熱烈なラブコールがあるの」

ラブ、コール。

ちがう、ちがう。仕事の話でしょ。

熱い頬を押さえる。

「そこにしようかと思ってたんだけど。なんせ素行が悪いから」

素行が悪い? 

それは……かなり、心配。

 

 

 

「企画部。

エースが『絶対よこせ』って、このあたしに凄むのよ」

企画部、エース。

「って、榊課長ッ! ……で、すか?」

取り乱しちゃった。

「榊の依頼で及第点取ったのは、麻衣だけだからね。

手元に置いて、自分好みに育てたいでしょ。

そりゃもう喉から手が出るほど欲しいわよ」

誤解を招きかねない、言葉のチョイス。

ばかだ、私。勘違いしそうになる。

だって、同一人物だって知らないでしょ?

依頼は香里さん経由だし。

あの、ときだって名乗っていないし、訊かれてもいない。

名前すら知らないんだろう、な。

だからこそ、私が配属されたら驚くかも、なんて頬が緩む。

でも、素行が悪いって、どういうことだろ?

 

 

 

「2番手は営業部。

ただね、あそこは能力よりも見た目で選んでるんじゃないかと睨んでるんだ。

麻衣、素直だし、可愛いから」

「素直に見えるのは、ほんわか麻衣ビームのまやかしですよ。

可愛いっていうのは、ビームで視力ががた落ちになったからでしょう」

香里さんの“褒め言葉攻撃”を受け流せるくらいに、私も成長した。

前は真に受けて、必死に否定していけれど。

褒め言葉は、別名、社交辞令。

円滑な人間関係を保つ潤滑油。

 

 

 

「企画って聞くとテンパるのに、営業だと平常心が保てるのね」

「ちちち、ちがいます!」

「すずめ?」

成長を見せる私に、反撃する香里さん。

そして、【企画】の名に平常心が吹き飛ぶ未熟な私。

「でもね、どっちも夜の残業はつきものだから。

それを考えると、総務か経理、広報あたりね」