のべりんちゅ.

坂井美月と申します♪ よろしくお願いいたします♡

【ヒミツの時間】第3話 バックの左手

 

第3話 バックの左手

 

「こういうことだろ?」

低い声。

 

肩を覆う甘い熱。

勘違いしそうで……怖い。

 

 

【ヒミツの時間】第3話 バックの左手

 

バックの左手

 

みんなといるのに、ひとりぼっちな気持ちを持て余す私。

きらきらピンクのお昼休みは終わりを告げ、みんな午後の仕事に向かう。

のろのろと立ち上がった私に、香里さんが振り向き声を掛けた。

「麻衣、午後イチで指導室へ。いいわね」

あ。レポート提出って言われてたんだ。

さっきのあの話、何も、メモしていない。

シンジョメンバーの一番後ろをとぼとぼ歩きながら、前を歩くミカさんに訊く。

「……ミカさん。

車をバックさせるときの左手って、どういう意味ですか?」

 

 

 

その時。

背後から、声を掛けられた。

「こういうことだろ?」

囁くような低い、男の人の声。

慌てて、道を譲ろうとした私。

逃がさないと言わんばかりに、私の肩に腕を回す長身の人。

道を譲ろうと傾きかけた身体は、あっという間に引き寄せられて。

理解できないままの私を置いてそっと離れたその人は、私とミカさんを追い抜いて行く。

お兄ちゃんの香水に少し似た、爽やかで少し甘いマリンの残り香。

 

 

 

「……氷の榊」

階段を軽やかに降りる背中に、ミカさんが呟く。

「えっ?」

絶句。

うそ、でしょ。

今、私どうなってた? 

なに、されたの?

黒髪。

長身。

ちらりと見えた横顔。

ホントだ。

榊、課長っぽい……。

企画書の、神。

彼は、私をちらりと見上げた。

口角を上げ、挑むような笑み。

新人の分際で神に近づこうなんて、身の程知らずなんだよ。

そう、言っているような、不敵な笑み。

ぞくり、と背中が粟立つ。

と同時に、左肩が甘い熱を持った。

さむくて、あつい。

ヘンな気分。

 

 

 

「氷の榊が6階なんて珍しい」

ミカさんが、ぼそりと呟く。

「いつも、社食か外食らしいよ」

はぁ、と気のない返事がこぼれる。

やっと、思考が働き始めた。

ミカさんには気づかれていない。

あの時、私の背後には彼しかいなかったはず。

誰も、知らない。

ということは……幻覚?

うん、そうだ。

幻、白日夢ってことにしよう。

じゃないと、心臓が痛いし、頭がパンクしそうだもの。

「手ぶらだったから、なんか用事だったのかな?

香里さんにさ」

そう言ったミカさんの言葉に、覚醒した。

「企画書の返事ッ?」

顔を見合わせ、同時に叫ぶ、ミカさんと私。

それで、「午後イチ指導室」。

私は、香里さんに企画書の件で呼ばれたんだ。

 

 

 

「失礼します」

指示通り、午後イチで指導室をノックする。

デスクに戻って、思い出せる限りの言葉で埋めた〈男の人の好きなしぐさ〉のメモを、一応持って。

「麻衣。座って」

改まった雰囲気。

企画書却下の件なら、傷つきません。

大丈夫ですよ、香里さん。

心の中で呟く。

「その、書きなぐってあるメモ、なに?」

「あ、これは、まだレポートの前段階で……」

もごもご、言う。

「さっきの? 好きなオトコのしぐさってやつ?」

無言で、ぶんぶん頷く。

 

 

 

「あのね、あんなの女子の大好物トークよ。

畏まってメモを取らなくても、覚えられるでしょ?

そういうところが……」

……また、呆れられた。

榊課長も、きっとバカにしてるに違いない。

私がウブ子で、無知だから。

そうでなきゃ、初対面の女子社員に、いきなりあんなこと、しない。

香里さんは、言いかけたままフリーズしている。

「そういうところが」に、続く言葉を予想する。

ヘンなのよ。

変わってるのよ。

……ウザいのよ。

自分の想像がショックすぎて、目眩がする。

「麻衣の、そういうところが」

ぎゅっと目を瞑った私に、くるりと何かが巻きついた。

「可愛いのよッ、もう」

香里さんが私を抱きしめている。

 

 

 

今日って、一体……。

厄日、なのかもしれない。

香里さんは私の言葉を流すし。

そのくせ、可愛いなんて言葉でごまかそうとするし。

榊課長にはバカにされるし。

バカにされて、あんな……こと。

ひゃぁぁぁぁああ~//////

「あ、どうせ質問でしょ? 

バックの時の左手」

顔がぼんっと音を立てた、気がした。

ピンポイント過ぎます、香里さん。

「麻衣、ぽかんとしてたもんね。

でも、その顔の紅さはどうしたわけ?

……さては、誰かに聞いたな」

いえ、そうじゃなくて。

あ、最初は訊いたんですよ、ミカさんに。

でも、傍にいた人に、実践されて。

頭の中に、言い訳がぐるぐる廻る。

言え、ないよ。

 

 

 

「一人で紅くなったり、蒼くなったり。

百面相がすごいわよ」

けらけら笑う香里さん。

「こういうこと、よ」

目じりを拭った香里さんは、私の右側に座り、椅子の背もたれ越しに左手を回した。

あくまでも、背もたれ越し。

「え? あ? 

直接触れるんじゃないんですか?」

香里さんを見上げると、思ったよりも顔が近くて。

「うぉわっ」

「なに、その声。失礼ね~」

のけぞった私に、香里さんが吹き出した。

「直接手を回すってことは、助手席のカノジョが背中を浮かせるってことでしょ?

そんなあからさまなアピールされたら、

カレ、ドン引きよ」

いい? と腰に手を当てる香里さん。

 

 

 

「背中にほのかに感じるカレの腕。

息をのむくらい近い、顔の距離。

息をのむ、のよ。叫んじゃダメ。

ここがポイントなの」

はあ、と頷き、メモを取ろうとして。

……やめた。

さっき注意されたばかりだし。

それ以上に――

思い出したら、仕事にならない。

同じフロアにいられない。

 

 

 

ヒミツのチャレンジ

 

「さっきは、ごめんね。

話の腰、折るようなことして」

“バックの左手”レクチャーを終えた香里さんが、改まって私に言う。

やっぱり、意図的にスルーしたんだ。

「あの時、榊がいたから。休憩室に」

榊課長の話題に、ぴきーんと反応してしまう、チキンな私。

「ひっそりと、気配を消すように佇んでたのよ、アイツ」

気持ち悪い。

っていうより、きっとなんか企んでるのよ。

〈却下〉を伝えに来たんじゃないんですか?」

え? ううん?

きょとんとした顔で答える香里さん。

「逆よ。今朝、別の依頼メールが届いたもん」

今朝?

でも、お弁当食べながら言ったじゃないですか。

返事はまだ、って。

「ミカに、気を遣ったの。

ミカに対して失礼かもしれないけど、やっぱり言えなかった。

もう少しで、シンジョ卒業でしょ?

コトが仕事なだけにね、新天地に行っても引きずりそうで……」

 

 

 

「リトライ、じゃなくて。

別の依頼、ですか?」

「あー。うん。

ムカつくだろうけど、聞いて」

香里さんは気まずそうな顔をする。

「あれは多分、今年のシンジョトップの実力がどの程度なのか見ただけ」

例年はシンジョトップですが、今年はかなり微妙な線ではないでしょうか。

「それで新しい依頼も、業務依頼というよりは、実力テストみたいなの。

何様のつもりかしらね」

愚痴る香里さんに心の中で呟く。

(企画書の神様、ですよ)と。

「とりあえず、やたら専門用語が多いメールなのよ。

企画書の種類らしき名前が羅列してあって、伏せ字で一式作れっていう……。

転送したから、あとで見て」

専門用語と聞いて、蒼褪める。

なまじ、テンプレなんか使ったから。

生意気なヤツをこてんぱんにのす作戦、なのかもしれない。

 

 

 

「それで、休憩室の話。

クール、イベント?」

はい、と頷く。

「そんなの、誰でも考えつくかもしれないし。

現に、企画だってその道のプロなんだから『今更~?』なんて嗤われるかもしれない」

う、そうですよね。

口がへの字に歪む。

「でも、麻衣が思ったクールイベントを形にしてみたら?」

え?」 

ぱちぱちと瞬きをする。

「どーせ、伏せ字で結構、なんて上から目線なんだし。

そこに文字が入ってたって、文句はないでしょ。

それに、さ……」

二人だけの指導室で声をひそめる香里さん。

「榊は、誰が作ってるかなんて知らないんだし。

恥も外聞もないっていうか、そんなもの要らないでしょ?」

 

 

 

「ある程度体裁が整ったら、打ち合わせましょ。

それから……」

それまでの柔らかい表情を、ぴりりと厳しく変える。

「榊以外の企画の人間から依頼が来たって、ミカには言っとく。

麻衣の性格からしたら、心苦しいでしょうけど、話を合わせといて」

迷いながらも、はい、と頷く。

「わかってるのよ、このままじゃダメだって」

はあ、と大きなため息をつく香里さん。

「ミカを騙したいんじゃないの。

ミカの不器用なとこ、あたしはわかってるから。

シンジョ卒業までに頑なな心を溶かしたいとも思ってる。

でも今は、ミカを、ただモヤモヤさせそうだから」

香里さんの心にある、まっすぐな芯。

それが見えて、私の心のつかえはゆるゆる溶けていく。

 

 

 

指導室を出ると、ミカさんが顔を上げた。

「やっぱり、ダメだった?」

複雑な表情の、ミカさん。

「榊課長の方は、まだ返事は来ないそうです。

たぶん忙しくて〈却下〉メールを送信し忘れてるんじゃないか、って」

ふうん、と気のない返事をするミカさん。

「ただ、企画の別の人から、

依頼というか、

テストみたいなものが届いたそうで、す」

うまく言えてるだろうか。

余計にこじらせたりしないかな。

「麻衣のテンプレ祭りを見て、ちょっと詳しいのかな? みたいに思ったらしいのよ。

いろんな種類のフリーテンプレ集めみたいな仕事よ」

すかさずフォローを入れてくれる香里さん。

 

 

 

自分のデスクにつき、転送メールを開く。

「……な?」

「な、ってw」

隣のミカさんが、吹き出した。

「麻衣、やめてよ。うける、ホントに」

だって……。

だって!

〈以下10種の企画書雛形希望。

フリーテンプレ、可。

なお、伏せ字にて作成のこと〉

短い依頼メッセージの下にずらりと並ぶ意味不明な文字の羅列。

目眩が……。

 

 

 

  • 3C分析
  • 4P分析
  • 5F分析
  • 7S分析
  • AIDMA
  • MECE
  • PPM分析
  • SWOT分析
  • PDCA
  • フローチャート

 

あは、ははは。

乾いた笑いが漏れる。

「麻衣っ。がんばっ!!!」

前回とは180度違う、ミカさんの熱い声援。

……心に沁みます。

 

 

 

検索ボックスにすべてのワードを、次々に入力して。

それぞれのアルファベットが、企画書の意味をあらわす頭文字だと気づいた。

調べれば、面白い発見があって。

特に、事業管理用の“⑦PPM分析”にはびっくりした。

自社製品や事業を「金のなる木」「花形製品」「問題児」「負け犬」の4つに分類し、事業展開を検討するらしい。

あからさまな分類の仕方に、

「アメリカっぽ~い」と口にして。

“ボストン・コンサルティング・グループが考案した”という説明文を見つけて、

「やっぱり」なんて、にやりとしてしまう。

「香里さん。麻衣のひとりごとと、にやけ顔がキモいんですけど」

冗談めかしたミカさんの訴えに、ぎょっとした。

「ごめんなさいっ」

慌てて謝る。

ミカさんは困ったように笑っていたけれど。

香里さんは眉を顰めていた。

時計を見ると、17時30分。

あと、30分しかない。

 

 

 

「麻衣。ちょっと」

指をくいくい曲げて呼びよせる、香里さん。

「今、抱えてる仕事は?」

「経理のデータ入力と、

社内報の原稿のテープ起こし。

それと、あの、さっきの企画の依頼です」

にこりともせずに、香里さんは頷く。

「期限は?」

「経理が明日15時。

社内報が週末まで、です」

「経理の進捗状況は?」

「ほとんど終わっていて、チェックのみです。

明日の10時までには完成できます」

ふうん。と、そこで初めて笑顔を見せた。

「企画は期限なし、よ」

はい、と、うな垂れる。

「ん、まあいいわ。

遅れそうなものはないし。

ただね、熱中しすぎるのは麻衣の短所よ」

そうなんだろうな。とは、朧げながら感じていたけれど。

 

 

 

「麻衣はね、熱中すると周りが見えなくなってひとりごとが増えるの。

それとね……」

そこで、言いづらそうに視線をはずす、香里さん。

え? なに。 不安になる私。

「とんでもなく、おかしな百面相が始まるのよ」

香里さんの周りのシンジョメンバーから、くすくすと笑いが漏れ出す。

さざ波のように広がった笑いは、次第に“頷きのウエーブ”に変わった。

それは、誇張ではなく事実ということ。

とんでもなくおかしな百面相、というものが。

「あたしも吹き出しちゃいけないと思って、目を逸らすくらいなんだから」

ショックのあまり、口を開けたまま固まる、私。

「仕事熱心なのはいいけど、ますます縁遠くなるわね」

は、は、は、恥ずかしいッ。

 

 

 

「ん、で。これをダウンロード、っと」

翌日、早めの出勤を思いついた私。

いつもより1時間早く出社して、思う存分、パワポのテンプレ画面と会話を交わす。

「よぉぉっしぃ。これで、オッケ♪」

朝の空気は清々しくて、窓を開ければ空調も必要ない。

勝手に会社の電気を使って……というお小言も想定内で、ソーラー充電のLEDデスクライトも持参した。

パソコンだけは電気を使ってしまうけど。

電車も空いてて快適だったし。

何よりも、ひとりごとや百面相で迷惑をかけることも、多少減る、はず。

「私って、あったまい~い」

えへへ、という私の間抜けな笑い声にかぶさる、低い声……。

くっくっく、と、こらえるような忍び笑いが遠ざかったと思うと、豪快な笑い声が廊下で響いた。

……誰かに、聞かれた。 llllll 

 

 

 

「麻衣。今朝、早出(はやで)したんだって?」

お昼休み、香里さんから訊かれた私。

思わず、肩がびっくうんと跳ねる。

「そ、その情報は、いったいぜんたい、どなたから?」

ん? と片眉を上げた香里さんは、少しだけ口ごもった。

「……とある、情報筋から?」

なにゆえ疑問形? 

きっと、すごく変な伝わり方をしているに違いない。

ここは自己申告がベストだろう。

「正直に言いますと、激しくひとりごとを言い、怪しいくらい笑っておりました。

でも、あの。

ちゃんと仕事はしてたん、です、よ」

「わかってるから、大丈夫」

そう言いながら、ひいひい笑う、香里さん。

 

 

 

「たださ、朝だからって誰もいないわけじゃないんだよ」

すみません、としゅんとする。

きっと、その人をひどく驚かせてしまったに違いない。

香里さんは教えてくれなかったけれど、機会を見てちゃんと謝るべきだろう。

ひそかに、ミカさんに該当者をリサーチする。

「システム開発は泊まり込みが多いみたいよ。

SEなんて誰かしら泊まってるんじゃない。

急な企画変更で、氷の榊も何日か泊まってたことあったみたい」

ふぇ、榊課長……? 

 

 

 

クールイベント

 

午前中に経理データと社内報を“さくっ”と終わらせたので、

午後は企画部の仕事に取り掛かった。

今朝の笑い声が、榊課長だったとしても。

彼に、私の名前も顔も知られてはいない、はず。

香里さんにも言われたもん。

恥も外聞もないし、そんなの必要ないって。

イタいコだと思われようが、なんだろうが、依頼だけはこなすんだから。

テンプレは集まったし、伏せ字も前回依頼されたときの朱書きを参考に、榊課長好みに仕上げた。

そして、フラットな状態でクールイベントに時間と頭を費やすことにした。

 

 

 

10種類の企画書の雛形から“AIDMA”を選択する。

A (Attention) 注目してもらう

 ≒ 電力不足

I (Interest) 興味を持ってもらう

 ≒ 節電

D (Desire) 欲求をそそる

 ≒ 節電に貢献しながら涼しくありたい

M (Memory) 記憶に残る

 ≒ 古き佳き日本の夏の風物詩

A (Action) 行動を起こしてもらう

 ≒ そうだ、イベントに行こう!

 

AIDMAの概略を作成しつつ調べていくと、インターネットが普及してからは3つのSも見逃せないことがわかった。

S (Search) 検索させる

 ≒ 類似商品などをネットで調べる

S (Share) 共有させる

 ≒ 口コミが広がる

S (Satisfaction) 満足させる

 ≒ 行ってよかったぁ……これが一番重要!

 

 

 

「はぁ。複雑」

この書き写しのメモを、どうまとめて、お客様の心に響かせるか。

難しいけれど、わくわくしてくる。

“理想論で企画書を作っても、しょせん綺麗事。企画者の自己満足に過ぎない”という言葉に「おおぅ」と共感。

今度はイベントに来られるお客様目線でメモを作る。

 

暑い ⇒ 出かけたくない

 ⇒ 家で過ごそう

 

家も暑いじゃん ⇒ クーラー使いたい

 ⇒ でも、節電しなきゃ……

 

いっそ、涼しいところに出かけちゃう?

 ⇒ 遠くには行けないし

 ⇒ 公共施設や商業施設なら涼しいよね

 

 

 

「そうだ、デパートにしよう」

デパートなら広い館内全部が涼しい。

おなかが空いたらレストラン。お手洗いも完備。

お昼寝はできないけれど。

デパート側にとっても、集客できればメリットは計り知れない。

消費電力は13時から16時が一番のピーク。

デパートの営業時間とも、ばっちり被ってるし。

問題は、足を運んでいただける企画力と、

いかにその時間を退屈せずに過ごしていただけるか。

 

 

 

テーマは〈夕涼み〉。

照明はもちろんLED。

暗めに設定することで、消費電力も体感温度も下げられる。

夏といえば、夏休みだけれど。

子供の天下と思われるこの夏を、敢えてオトナで勝負したい。

なんて、デキるオンナ風にコンセプトを立てたりして。

候補は2つ。

大人の縁日と、川床風茶屋。

 

 

 

縁日には屋台がつきものだけど、火を使えば熱くなる。

金魚すくいもヨーヨー釣りも、衛生面やお掃除の手間を考えると、デパート側から敬遠されそう。

川床風茶屋だったら、どうだろう。

京都が本場で、川の上や、川がよく見える位置に席を設けて飲食を愉しむ、オトナの風流決定版だ。

画像では、緩やかな川が少し段差になっていて白く涼しげなしぶきが上がっている。

その上に床をしつらえ、涼やかな茣蓙に、木の卓、陽を遮る野点傘が映えている。

デパート内に川を流すことは不可能。

しつらえた床から川の映像を映しだす、なんて無茶かな。

水のゆらぎを映し出す照明と、川のせせらぎ音、なんていいかも。

ドライミストをふんわり使ってしぶきの雰囲気を出すのもあり、かな。

 

 

 

節電グッズの販売コーナーも設けて。

風鈴や、冷却シーツ、ミントのアロマを置くといいかも。

節電対策の豆知識冊子配布。

これは行政や電力会社から協力してもらえそうだし。

グリーンカーテンのための、朝顔の苗も。

朝顔の種類は、ハートの葉っぱに涼しげな蒼。

ヘブンリーブルーなんて素敵。

空想は果てしなく、ぐんぐん広がって。

もはや収拾がつかないメモになってしまった。

「なんか、のりうつってるんじゃない? 

麻衣」

ミカさんが、おどろおどろしい声を出す。

「あっ、お化け屋敷! 忘れてたぁ。

でも、それだと子供っぽくなっちゃうし。

ま、いっか」

テンションの高すぎる、私。

呆れたようにため息をつく、ミカさん。

 

 

 

大騒ぎの末、香里さんに下書きを見ていただいた。

「ド素人のくせに、ぶっ込みすぎなのよ。

そんなに熱中してたら、知恵熱出すわよ」

結局、削りに削って、【AIDMAシートに川床風茶屋で】という結論になった。

「期限はないのに、これがあるから早出したんでしょ?」

ため息をつきながら訊く香里さんに、大きく頷く。

「だって、もたもたしてたら、夏が終わっちゃいますから」

「でもね、麻衣」

諭すような香里さんの優しい声。

「これは私と麻衣が考えたお遊びよ。実現するものじゃないの」

あ、あ……。

口をパクパクさせるしか、できない。

「かおなし、じゃないんだから。

麻衣、しっかりしてよね」

そう、だった。

途中からすっかり企画を求められていると錯覚してしまった。

「これくらいで燃え尽きないでよ。

優秀な麻衣さん。配属先は今から決まるんだから」

 

 

 

浮かれまくっていた自分にカツを入れ、冷静になって企画書もどきを仕上げた。

あー、バカみたい、私。

誰にも求められていない、勝手にやってることなのに。

熱くなっちゃって、ね。

落ち込みながら、淡々と仕上げていく。

もぉ、私のおバカ。と呟きながらも。

出来上がった企画書は、贔屓目たっぷりとはいえ、シンプルかつ説得力満点で。

無知、ひとりごとが煩い、百面相がキモいという三重苦も、これならきっと。

なかったことに……できる! 

わけ……ない、よね。

 

 

 

榊課長にリプライしたメールのことをすっかり忘れていた9月半ば。

香里さんから指導室に呼び出された。

「落ち着いて、ね」

最初に、くどいほど念を押される。

「はい、香里さん。

私、立花麻衣は落ち着いてます」

禅僧の気持ちを想像して、その度に答える。

「クールイベント、採用されたのよ」

はあ、それは、結構なことで。

一旦ONになった禅僧モードは、さすがになかなかOFFにならず。

目を瞑って、口はあんぐり、腕はガッツポーズというおかしな体勢を、10秒ほど取っていたらしい。

あ、わわわわ。

いつ。どこで。だれが。なんのために。

ハチャメチャな体勢に目を見開く香里さんに、やっとのことで、単語を呟くと。

「お盆明け2週間。

あたしにも事後報告でさ、さっき聞いたとこよ」

ぷんすか怒りながら、リーフレットを広げる。

「とりあえずやって見る価値はあるって、判断されて。

本格的なイベントは来年以降に、練り直して実施されるみたい」

 

 

 

場所は銀座のお洒落なデパート。

8階レストラン街の1階下にあたる7階催事場。

オトナの夕涼み。メインは川床。

わあ! ほんとだ!!! 

ん? でもその下に見覚えのある文字がちらほら。

節電情報満載、冷やしシャンプー、ヘブンリーブルーの苗プレゼント、募金箱。

「こ、こここここ、これは?」

にわとり? と訊く香里さん。

スルーして欲しそうに目を逸らす。

「榊が、ほかに意見が出なかったかって訊くもんだから、つい、ぽろっとね」

「あ、りがと、ございます」

声が、詰まる。

「麻衣? ばかね、あんた泣いてんの?」

香里さんが、「企画書に書いちゃえ」なんて言ってくれなかったら、あんなに夢中になれなかった。

無から有を生み出す大変さ。

しんどかったけど、わくわくした。

 

 

 

落ち着いてリーフレットに目を落とす。

文字の外枠はモノクロコピー、そして手作業で色が塗られていた。

これ、1枚1枚……? 

節電を謳い文句にするなら、カラーコピーはご法度。

そこまで配慮できるなんて……すごい。

企画の概略は似ていても、ド素人な私の空想とは全く違う。

ぐっとあか抜け、興味を引く素晴らしい告知になっていて。

これがプロの力量だと思い知った。

「あの……

この企画って、成功したんですか?」

そこが一番大事なところ。

深呼吸して訊いてみると、香里さんはにっこり笑った。

「そこそこ、ね。

稟議も決済も、榊が手を回してスムーズだったし。

準備も、各部署が協力を惜しまなかったんだって」

でも、シンジョは何もお手伝いしていない。

「ミカに気を遣いすぎたことが裏目に出て、シンジョはノータッチだったの」

「どういう、意味ですか?」

首を捻った私に香里さんは渋い表情で。

「稟議にも決済にも、企画原案の欄にシンジョって、載っちゃったから……

ミカはさすがに気づくでしょ」

肩を落とす香里さん。

「ミカに真っ直ぐぶつかってれば、参加できたのに。

ごめんね、あたしが臆病だったから」

そう言って香里さんは眉を下げた。

 

 

 

「今年はそこそこだったけど、来年のオファーが殺到してるんだって。

あたしは、詰め込みすぎて中途半端かなって、削ったんだけど。

榊は自分の一存で詰め込み直したらしいの。

でも、そのおかげで、たくさんの人が興味を持ってくれたって。

悔しいけど。さすが、榊よね」

私みたいな欲張りド素人が浮かれて詰め込んでしまったのとは、全然違う。

さすが、企画の神様。

「結局、来場者の口コミが広まって、右肩上がりだったそうよ」

嬉しい。

それしか、言葉がない。

 

 

 

お昼休み、事の顛末をシンジョメンバーに報告した香里さん。

ミカさんとの兼ね合いもあり、シンジョ発とは言えないものの。

企画部以外の課で提案があって、と語った。

それでね、と、香里さんが続ける。

「企画部以外の全社員から、イベントのアンケートを募ることが決定したの。

これって、すごいことよ」

にんまり笑う香里さん。

「とりあえず、手始めに。

シンジョは、カフェメニューを考えようかと思ってま~す。

1人2メニュー。来週月曜日までに考えてきてね」

唖然とするメンバー。

「もう、企画部に啖呵切っちゃったから。

よ・ろ・し・く・ね」

首をかしげて「うふっ」って笑顔見せられても。

企画部に啖呵って、なにゆえ喧嘩腰なんでしょうか?